FREAK SCENE

2022.04.01.

Posted on 04.01.22

3月最終日の昨日は、夜の予約が全く入らないという、美容師としては今がまさに油が乗り切っているであろうキャリアにある僕としては、座禅を組んで肩に気合を入れてもらわないといけないくらい由々しき事態にあったのですが、今週もし早く終われる日があったらと虎視眈々と狙ってたのがシネマートで上映されているダイナソーJr.のドキュメンタリー映画『FREAK SCENE』です。

 

 

ヤケ酒ならぬヤケ映画という感じで観るならまだ情状酌量の余地があるのですが、美容師を生業にしているにも関わらず、あわよくば平日の夜8時スタートの映画を観に行きたいと思ってしまっている時点で、僕の美容師としての末路が悲惨なものになるのは想像するに明らかです。

当日の15時くらいまでは「チャンスあるかな」とささやかに期待してたくらいでしたが、19時くらいには『Bug』を流しながら「絶対に今日行くんだ」という強い気持ちに変わっていました。

 

 

今の場所にお店を移転した時、ひとつの節目にと思ってV:oltaオリジナルのジェルを作ったのですが、その商品名に“Grunge Couture”(グランジクチュール)と名付けました。

 

 

薄汚くみすぼらしいという意味を持つ「グランジ」と、繊細な手作業による高級な仕立ての「クチュール」、相反する要素を持ち合わせたような質感をイメージして作ったのですが、音楽性を持たせる言葉も入れたいという意図もあって自分の好きなジャンルのひとつである“グランジ”から着想を得たところがありました。

 

音楽でグランジといえばニルヴァーナが最も有名ですが、僕はニルヴァーナよりダイナソーJr.、カート・コバーンよりJ.マスシスがよりお気に入りでした。

(もちろんニルヴァーナもたくさん聴きましたし、カート・コバーンのドキュメンタリー映画もおそらく全部観ています)

このジェルの持つグランジのイメージは、まさにダイナソーJr.でした。

 

というのが、昨日仕事を早退した僕の幼稚な言い訳です。

 

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boidsoundでの上映も今回初めて体感したのですが、とても良かったです!

(シネリーブルの「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」をodessaで上映するのだけは全く意味がわからなかったですが)

 

マスシスがカート・コバーンにニルヴァーナのドラムとして誘われたのは音楽好きの間では有名な話ですが、マスシスは学生時代レコードを45RPMで高速再生させてドラムの練習をしていたらしいです。

劇中でマスシスがマイブラのケヴィン・シールズと共演して“thorn”を演奏しているシーンがあったのですが、映像だけでも鳥肌が立ちました。

 

グランジやスケーターのカルチャーが謳歌していた当時のシアトルの空気感というのは、やはり良いものですね。

 

久々にダイナソーをガッツリ聴き返したくなりました。

(というか、行く時からダイナソー聴きながらテンション上げてたのですが…)

 

ちなみに、同じ時間に映画を観にきてたのは全員で15人いないくらいで、ほぼ男性でした。

(そのうちの一人は当店のお客様で、帰りは途中まで一緒に自転車を押しながら帰ってきました)

ダイナソーJr.は、そういうバンドです。

なんたってヴォーカルのルックスが(世間一般的には)イケてないんですもの。

 

自分は、美容師として女性のお客様もしっかりと狙っていかないとさすがに生きていけないですが、美容室として目指すべきはニルヴァーナよりもダイナソーJr.の姿だと改めて思いました。

 

マスシス最高!

 

Posted on 12.27.21

先日音楽の年間ベストを書いたことでタイピング・ハイ状態になっているので、僕の今年観た映画の中からも年間ベストをご紹介したいと思います。

と言っても新作は一切なく(ひとつ入れるとしたらアメリカン・ユートピア)、あくまで僕自身が今年中に観た過去の映画ばかりなので、どうぞご了承くださいませ。

原則として、一人の監督につき一つの作品という縛りを勝手に設定しています。

 

今回も老体に鞭打って、ドドンとbest15からいきたい所存であります。

 

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15th/ クシシュトフ・キエシロフスキ – トリコロール/赤の愛

 

フランス国旗の色である「青(青)・白(平等)・赤(博愛)」をテーマにした、トリコロール三部作の最終章。

 

それぞれの作品で、テーマとなる色が画面に多用されており、映像の色彩だけでも魅了されます。

本作のテーマは“博愛”

3部作とも今年観ましたが、僕はこの最終章が一番好きでした。

全ての作品に共通するワンシーンがあるのですが、完結編での見せ方の変化でも微笑ましい気持ちになりました。

 

来年こそは、部屋で眠らせている『デカローグ』シリーズにも手をつけていきたいです。

 

 

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14th/  ビクトル・エリセ – ミツバチのささやき

 

舞台は1940年、スペイン内戦が収束した直後のカスティーリャ地方の小さな村、姉イザベルと暮らす6歳の少女アナは、移動巡回映写で上映された『フランケンシュタイン』を観て怪物に興味を持ち、姉イザベルはアナに「あの怪物は本当は精霊で村の外れの一軒家に隠れている」と囁く。

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本作の主人公を演じた当時5~6才のアナは、撮影時これが映画のために作られたストーリーだという“虚像”と、実際の“現実”との区別が半ばついていない状態だったらしいです。

そんなアナにとっては半分ドキュメンタリーのような映画の後半で、本人が実際にフランケンシュタインに遭遇するというシーンは、あの名作『E.T.』の名シーンよりも遥かに感動しました。

究極のファンタジー的演出でもあり、物心つくかつかないかの純粋な心だからこその好奇心や恐怖心などの繊細な感情がストレートに表れた、アナにとってはまさしく“演技”ではなく“現実”の表情でした。

 

固定カメラでの映像も非常に美しかったです。

ラスト近くの、手の動きで繋がれるシークエンスもとても印象的で、素晴らしい余韻の残る作品でした。

 

 

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13th/  クロード・ランズマン – SHOAH

 

 

第二次世界大戦時のホロコーストのユダヤ人被害者,ナチス側の加害者, ナチスの手下となって生き残る道を選んだ者など、あらゆる立場で生き残った者達に証言インタビューを試みたドキュメンタリー作品。

反戦映画では、日本映画の『人間の條件』も観ました。

『SHOAH』は9時間27分ありますが、『人間の條件』はそれを僅かに超える9時間31分あります。

 

この人類が起こしてしまった残虐な歴史を繰り返さないように、どちらの作品も時代の教訓としてぜひ多くの人に観てほしいです。

 

 

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12th/ ジャック・ロジエ – アデュー・フィリピーヌ

 

ヌーヴェルヴァーグの傑作と謳われている本作。

DVDに付いていた蓮實さんの解説に「本作は、映画の存在を前提として撮られた映画ではない」とのことが書いてありました。

本当にその通りの映画でした。

今まで観た(大して観れてないですが)どのヌーヴェルヴァーグ作品よりもヌーヴェルヴァーグしてました。

 

自由で瑞々しく、そして軽やか。

 

 

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11th/  ケリー・ライカート – ミークス・カットオフ

 

今年はケリー・ライカート特集があったおかげで、彼女の主要作品を全部観ることができました。

どれも良い映画でした。

その中でもひとつ挙げるなら本作です。

果てしなく広がる荒野をただひたすら歩く女性達、その姿がなんとも叙情的で美しい。

 

ライカート作品は、来年はじめにU-NEXTでも配信されるみたいなので、今回見逃したという方はそちらでもぜひご覧になってみてください!

 

 

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10th/  ルイス・ブニュエル – エル

 

40歳,童貞,金満,足フェチ男の、妻を愛し過ぎるが故の妄想と憎悪に塗れた狂気の嫉妬劇。

本作の主人公には自分を投影しているところがあると言っているくらい、ブニュエル自身もやはりヤバい奴なのでしょう。

だからこそ面白い。

 

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9th/ ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー – 不安は魂を食いつくす

 

ファスビンダーが撮ったメロドラマ。

メンタル弱男の僕からすれば、タイトルからして唯ならぬ共感を覚えます。

 

周囲から向けられる自分への態度の変化や疎外感による不安は、どれだけ必死に耐えてもやがて精神を根っこから折られるような感覚ではないかと思います。

インターネットの匿名性を武器に特定の人を叩くような現代人の行為は、もっと卑怯です。

 

インテリアの色使いや、扉越しの室外からのフレーミングなど、映像もとても美しいです。

数あるファスビンダー作品の中でも、かなり観やすい部類に入るのではないでしょうか。

「幸せが楽しいとは限らない」

 

 

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8th/  オリヴィエ・アサイヤス – 冷たい水

 

アサイヤスの自伝的作品。

自分が観てきた(と言ってもそんなに多くはない)青春映画の中でもトップクラスに好きな作品でした。

35mmフィルムで撮られた魅力的な映像の質感と、忙しなく動くカメラワークが、10代の危うさや衝動を見事に表していました。

但し、自分にもし娘がいて、こんな男と付き合ってたらブチ切れると思います。

 

 

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7th/ ヴィム・ヴェンダース – 夢の涯てまでも

 

これは先日映画館で観てレビューを書いたところなので、詳しくはそちらを見てください。

ヴェンダースの映画は映像も音楽も、全て素晴らしいです。

オルタナティヴ・ロックとか好きで、まだヴェンダースを観たことがないという方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。

きっと感性が合うはずです。

 

 

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6th/  ミヒャエル・ハネケ – セブンス・コンチネント

 

タイトルの“セブンス・コンチネント”は「第7の大陸」の意。
とても秀逸なネーミングセンスのデビュー作です。

ハネケのヤバさの本質は、『ファニーゲーム』よりも本作に現れていると思います。

映像の質感も、新しいものよりも初期の頃のものが好きです。

 

現代の人間は日常のとるべき行動に支配され、全てを破壊していく後半は「人間にとっての“浄化行為”」とまで表現するハネケは、知的ですが心底狂っています。

 

 

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5th/  シャンタル・アケルマン – ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン

 

これはカンヌ映画祭の女性監督特集で日本でも再上映され、映画館で観ることができました。

主人公ジャンヌ・ディエルマンの3日間を3時間を超える長尺にて描いた作品。

当時カンヌに衝撃を与えたというだけあって、もの凄い映画でした。

ほぼ室内での映像で、カメラは固定され、役者の行動の省略を一切省いたかのような、まるで監視映像を観ているかのような長回し。

でも、不思議と全然観ていられます。

むしろ興味深く凝視するくらいでした。

 

ラストの長く静か過ぎるシークエンスも素晴らしかったです。

 

 

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4th/  アンドレイ・タルコフスキー – 鏡

 

タルコフスキーの自伝的作品。

作者自身の過去の記憶のイマージュや当時のロシア社会の暮らしの様子が時間軸を行き来しながら断片的に構成され、かなり難解な作品ですが、素晴らしい作品だと思いました。

 

冒頭の風が吹き抜ける奇跡のようなシーンだけでも鳥肌ものでした。

ラストで流れる“マタイ受難曲”もマジ良かったです。

 

 

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3rd/  エリック・ロメール – モード家の一夜

 

エリック・ロメールは作品を観る度に、その面白さに引き込まれていっています。

今年も一作ごと噛み締めるように、いくつかの作品を鑑賞しましたが、その中でひとつ挙げるなら本作です。

 

ブレーズ・パスカルの生誕の地、オーヴェルニュ地方の都市クレルモン=フェランを舞台に、カトリック教徒で堅物の主人公と、彼が心惹かれた二人の女性との物語を描いています。

 

パスカル哲学やキリスト教にそこまで詳しくない(今頑張って勉強中です)自分でも十分楽しめる会話劇でした。

カラーも使えた時代にあえてモノクロで撮影された映像は、ヴォルヴィック産の溶岩石で建てられたグレーの家が並んだモノトーンの景観をより美しく見せる為のもの。

派手な色の看板はどけられ、室内は壁紙からインテリア、登場人物の服装まで白黒に統一するという徹底ぶり。

 

知性と教養を備え、女性の繊細な恋心から人間らしい煩悩や猥雑さも描くことができ、色使いやファッションのセンスも良く、挙げ句の果ては抜群のユーモア性も持ち合わせる男、エリック・ロメールの右に出るような人物は今後の映画界でも出てこないのではないでしょうか。

 

 

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2nd/  ロベール・ブレッソン – 白夜

 

『やさしい女』のレビューでも書きましたが、僕はブレッソン作品は(もちろんモノクロも素晴らしいですが)カラーの方がより魅力を感じています。

そして、パリの街並みをこれほどまでに美しく映し出している作品は観たことがありません。

ポンヌフ橋を舞台にした作品では、カラックスの『ポンヌフの恋人』も名作ですが、本作はそれをも上回る映像美でした。

端正でいて、妖艶。

あえて全てを写さないフレーミングや、映像のカラーリングなど、そのセンスにはうっとりゆえの溜息さえも出ないくらいに素晴らしかったです。

 

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1st/  ジャン・ユスターシュ – ママと娼婦

 

本作が今まで観てきた映画の中で、個人的にはナンバーワンです。

 

ブティックを経営する自立した年上女性のマリーと、性に開放的な若き女性ヴェロニカ、そして定職にもつかずマリーの家に転がり込んでいる身でありながらヴェロニカをナンパする主人公アレクサンドルの奇妙な三角関係。

そして言い得て妙なタイトル『ママと娼婦』

登場人物を映す35mmを使用したカメラは気張ってる感じが全くなくリアリティがあり、それでいて映像は抜群に素晴らしい。

5月革命直後のフランスの空気感を、220分のうちの大半を室内シーンに費やして映し出す。その構成のセンスにも痺れます。

 

音楽界などでは自殺してしまった才能あるアーティストは少なくないですが、映画界ではあまりいないと思います。

ユスターシュが自殺してしまったのは大変残念なことですが、それくらいギリギリの感性と才能を持った監督が遺した作品を観ることができるというのは、イチ映画ファンの僕にとっても最高の体験をさせてもらいましたし、ユスターシュのことを心から尊敬いたします。

 

 

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自分は食べ物を食べる時は一番好きなものを最後に残すタイプなのですが、こうやってみてみると映画に関しては割と観たいものから観てるなと思います。

そして、今年のbest 3はそのままオールタイムベストになりました。

 

音楽はここ10年くらいは、最新のインディミュージックをメインで聴いてるのに、映画は最近古いものばかり漁っています。

音楽でも、Joy DivisionやTalking Heads, The Velvet Undergroundなど、前の時代の素晴らしい音楽に出逢いだした頃は夢中になって過去の音楽を掘りましたが、今僕は映画で同じことをしています。

 

これまでヌーヴェルヴァーグなどを大して観てこなかったのは、そもそもそこまで辿り着いてなかったのもありますし、多分当時の自分が観ても(今以上に)あまりうまく理解できていなかったと思います。

年齢を重ねていく中で、こんな僕でも少しずつですが知識や教養を身につけていこうとする中で、徐々にエスプリの効いた作品も理解できるようになってきたのだと思います。

 

僕自身も、より一層エスプリの効いたカット(笑)ができるように頑張ります!

 

紹介した作品にご興味の湧いてくださった方は、正月休みの間にでもぜひご覧になってみてください!

夢の涯てまでも

2021.12.10.

Posted on 12.10.21

先日のお休みは、再びテアトル梅田へ今度は雨が降ってなかったので得意の自転車で出向いて、ヴィム・ヴェンダース監督のディレクターズカット版『夢の涯てまでも』を観てきました。

 

 

 

今、テアトル梅田では“ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ”特集が組まれており、『ベルリン・天使の詩』や『パリ、テキサス』などの名作がレストア版にて映画館で観ることができます。

 

 

パンフレットも洒落ています。

 

僕はヴェンダースの作品はだいたいは観ているのですが、本作『夢の涯てまでも』はまだ未見で、しかも今回はディレクターズカット版ということで、その上映時間は驚異の5時間弱!

観に行く心が折れないように、今回は前売り券を購入していました。

しかも嬉しいポストカード付き!(別の作品のやつでしたが)

 

 

『夢の涯てまでも』は上映時間が鬼長なので、前売り券は2枚必要でした。

 

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僕自身、5時間もある映画を映画館で観るのは初めてだったので、事前にコンビニで(テアトルで水を買うと220円もするという衝撃の事実を先月知ったところなので)水とコーヒーと(10分休憩の間に手早く外に出て食べられるように)おにぎりと(頭の糖分補給に)フィナンシェを買ってカバンに詰め込み、さらに念の為家から頭痛薬も持ち込んで万全の体制で臨みました。

 

お尻に筋肉も脂肪もあまりついていないという体型的な不利も抱えているのですが、そこは金魚すくい名人の華麗なポイ捌きの如く、お尻にかかる体重の重心の場所をこまめに移動させることでダメージを分散させることでなんとか耐え切りました。

案の定、後半には頭痛が発生しました。

備えあれば憂いなしです。

 

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本作は、近未来SF作品。

1999年。軌道を外れたインドの核衛星の墜落が予測され、世界は滅亡の危機に瀕していた。そんな中、ヴェネツィアからあてもなく車で旅に出たクレアは、お尋ね者のトレヴァーと運命的に出会う。正体も明かさず目的不明の旅を続けるトレヴァーに惹かれたクレアは後を追い、東京でようやく追いつく。そして、トレヴァーが父親の発明した装置を使って世界中の映像を集め、その映像を盲目の母の脳に送り込もうとしていたことを知る。

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オープニングのTalking Headsに始まり、シーンに合わせたサントラのセレクトが見事でした。

映像もバチコンと決まっております。

 

前半の大陸跨ぎの追いかけっこ劇から、後半の博士のアシッド感漂いまくりの実験やアボリジニーとのふれあいまで、「たとえ尺が長くなろうとも全部入れたいんや!」と言わんばかりのヴェンダースの溢れる想いが壮大に伝わってくるような作品でした。

 

ティコを中心とする仲間やアボリジニー達との即興演奏も、グルーヴ感満載で最高でした!

 

退廃的なSF作品でありつつ、ヴェンダースらしいロードムービー作でもありました。

体力的には疲れましたが、作品は素晴らしいカットが満載で、長くても全然観てられるし映画館で鑑賞することができて良かったです。

 

ヴィム・ヴェンダースは素晴らしい映画監督ですので、まだ作品を観たことがないという方は他の作品共々ぜひご覧になってみてください!

 

やさしい女

2021.11.24.

Posted on 11.24.21

先日のお休みは、雨の中、テアトル梅田まで久々に(苦手とする)電車に乗って行き、ロベール・ブレッソン監督の『やさしい女』を観てきました。

 

 

 

わたくしごとながら、家族が増えたこともあって今のマンションが(だいぶ前から)手狭になってきてたので、去年、清水の舞台から二度飛び降りるくらいの覚悟でマンションを購入して(今の住所から徒歩1分以内の距離に)来年引越しを控えている身なのですが、実は新しいマンションのカーテンなどのオプションオーダー会が、僕が本作『やさしい女』を観に行けることが可能な日程とほぼ被ってたのですが、僕は迷うことなく『やさしい女』を観に行くことを選択した次第であります。

 

一般家庭のママさんなら、ダンナがこんなことを言い出したら「信じられない、バカじゃないの?一回死んでみたら?」と、その時点で婚姻生活にピリオドが打たれることになると思いますが、自分的にもDVD化もされてない本作を映画館で観れるこの機会は絶対に逃したくなかったですし、僕の奥さんももはやこれくらいでは大して驚かないくらいに諦めてる部分も多々あると思います。

 

 

前置きはこれくらいにして、ブレッソンの初カラー作品『やさしい女』の感想です。

 

 

 

原作は、ロシアの文豪,ドストエフスキー。

当店に通ってくださるお客様で、特に男性の方ではドストエフスキーが好きだという方がそこそこいらっしゃいます。

僕もドストエフスキーは、これとは別の小説を今読んでいる最中です。

 

本作の原作である『やさしい女 幻想的な物語』は、ドストエフスキーの短編の中でも最高傑作と呼ばれています。

それを映画界の素晴らしき巨匠,ロベール・ブレッソンが手掛けてるのだから、今回のデジタルリマスター版の公開の情報を知った時点から、(その時間の予約を全部止めてでも)絶対に観に行くと(誰にも相談せず勝手に)心に誓っていました。

お客様に迷惑をかけることなく、休みの日に観に行けて本当に良かったです。

上映してくれたテアトル梅田にも感謝の気持ちを表すべく、220円もする“いろはす”を購入させていただきました。

 

 

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「彼女は16歳ぐらいに見えた」。質屋を営む中年男は妻との初めての出会いをそう回想する。安物のカメラやキリスト像を質に出す、若く美しいがひどく貧しい女と出会った男は、「あなたの望みは愛ではなく結婚だわ」と指摘する彼女を説き伏せ結婚する。質素ながらも順調そうに見えた結婚生活だったが、妻のまなざしの変化に気づいたとき、夫の胸に嫉妬と不安がよぎる……。衝撃的なオープニングから始まる本作は、一組の夫婦に起こる感情の変化と微妙なすれ違いを丹念に描き、夫婦とは、愛とは何かという根源的な問いを投げかける。

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このテキストを読んで「難しそう」と思った方にはブレッソンの映画はオススメできないです。

そんなことを言っている僕だって、ブレッソンの映画の半分もまだ理解できていないと思います。

もっと理解できる人が羨ましい。

 

 

表紙の緑のコートを着こなすドミニク・サンダのなんと文芸的で美しいことか。

中に着ている中縹色のニットや、手に持っている赤銅色の本まで、見事な配色の妙です。

 

本編が始まって30秒もしないうちに、「あぁ、ブレッソンの映画だな」と今がまさに至福の時であるのを噛み締めるのと共に、感無量の気持ちになりました。

 

いつものようにキャストの演技の抑揚は少なくセリフも最小限、余計なものは写さず(理解しやすいように必要と思えるものさえも省かれる)淡々と進んでいくストーリー。

なのに、なぜこれほどまでに空間や時間の“余白”を美しく感じられるのか…

 

 

ちなみに主演女優のドミニク・サンダは本作がデビュー作。

その前は、VOGUEなどのモデルをしていたところをブレッソンがスカウトしたらしいです。

なんと実生活においても彼女は若干15歳で結婚と離婚を経験し、その後17歳の時に撮影されたのが本作とあって、そのリアルで突き刺すような演技と表情は特筆すべきものでした。

 

作中で、ドミニク・サンダが笑っているシーンがあるんですけど、ブレッソンは決して彼女の笑顔を映さないんです。観客に想像させる余地を残してるんですね。

原作を映像化しても、引き算的手法で観てる者に文芸的に感じさせてくれます。

そういう演出もブレッソンの際立って素晴らしいところだと思います。

 

 

僕自身ブレッソンの作品も(DVD等を所有してても)まだまだ観れていない作品もあるのですが、個人的には『白夜』が今まで観た映画の中でトップクラスに素晴らしかったですし、ブレッソンの映画は今のところカラー作品の方がよりグッときます。

 

もし、ブレッソン作品にご興味が出た方がいらっしゃいましたら、ぜひ彼の作品をご覧になってみてください。

特に本作『やさしい女』はなかなか観れる機会がないので、ぜひテアトル梅田に足を運んでみてください!

 

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「創造とは足すよりも引き去ること」

 

僕は日頃のサロンワークにおいて、ブレッソンのこの言葉を胸に刻んでいます。

漂流のアメリカ

2021.10.10.

Posted on 10.10.21

先週のお休みにワクチン1回目の接種を受けてきました。

スタッフは皆、多少の副反応はありつつもなんとか無事に1回目の接種を完了いたしました。

2回目の接種が10月の第4週を予定している関係で、今月は第3火曜日が営業になる代わりに25日の第4週目の火曜日がお休みとなりますので、どうぞみなさまご確認とご了承の程、よろしくお願いいたします。

 

1回目の接種を午前中に終わらせた僕はというと、一回帰宅して安静にして様子をみていたのですが、あわよくば夕方からシネヌーヴォでやってるケリー・ライカート特集を虎視眈々と狙っていて、全然大丈夫な感じだったのとポテンシャルが変な接種者ーズハイ状態(体温のことではない)になっていたので、夕方からシネヌーヴォへ向かい『リバー・オブ・グラス』と『オールド・ジョイ』を立て続けに観てきました。

 

 

 

ケリー・ライカート(今回は特集に合わせてライカートと書きますが、ライヒャルトとも表記されます)は、素晴らしい感性を持ったアメリカのインディペンデント系の女性映画監督です。

 

今回上映されている4作では、『ウェンディ&ルーシー』のみDVD化されてて観ることができるのですが、他の3作はこういう機会じゃないとなかなか観れないので、今回の特集は楽しみにしてました。

 

ライカート作品は、時間にして1時間ちょっとくらいの比較的短めの作品が多く、今回鑑賞した2作もそれぞれ76分, 73分と短いので、2本立てで観ても全然疲れませんでした。

 

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『リバー・オブ・グラス』

 

 

 

 

ケリー・ライカート監督のデビュー作。

監督曰く、本作は「ロードのないロードムービーであり、愛のないラブストーリーであり、犯罪のない犯罪映画」である。

 

本作は、ライカート監督が30手前の時に撮影した作品です。

多少なりともカルチャーに感化された人は、二十歳を迎えた時に「自分の20代はどんなものになるのだろう」という微かな期待を持つのではないかと思います。

 

(わかりやすいところでいうと)『パルプフィクション』や『レオン』、『時計仕掛けのオレンジ』などを観て、それらの作品の登場人物のようなクールで刺激的な20代が待っているのではないか。

しかし現実は大抵の人達において、大した冒険もせず、夢見るようなアヴァンチュールは訪れず、クライムサスペンスのようなハラハラドキドキする事件も起こらずに、やがて30歳を迎えてゆきます。

 

本作は、そんな“凡庸な人生”を送る運命にありそうな主人公の女性が、目一杯背伸びしたような大人の青春映画です。

 

写真の左下の男の指の間には、“Mom”と刺青されています。

実家を追い出されてホームシックになって、“Mom”と刺青を入れる男が本作の主人公のパートナーです。

 

そんなユーモアも効かせつつ、タバコを足移しで渡すシーンなど、デビュー作にして類まれな映像のセンスを感じます。

『リバー・オブ・グラス』の説明はこれくらいにしときます。

 

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『オールド・ジョイ』

 

 

前作からいくつかの短編を挟み、12年ぶりに完成させた長編2作目。

(商業系ではない映画を作るのは金銭的にも大変なんです)

 

こちらは、かつての親友との男同士の一日キャンプ旅行記。

一方は気ままなその日暮らし、もう一方はもうすぐ父親になるという、生活環境や人生において二人の関係性に変化が生じていく刹那の空気感を見事に表した作品です。

 

自由に生きるカートは旧友マークとの時間を、かつての青春時代のように誰にも邪魔されずに楽しく過ごしたいと望むが、マークのもとにはそんな楽しい空気を切り裂くように奥さんからの電話がかかってくる。

 

本作の音楽は、ヨ・ラ・テンゴが手掛けています。

僕もヨ・ラ・テンゴはアルバム全部持ってるくらい好きなのですが、本作での音楽も作品にも非常に合っててとても良かったです。

そしてストーリーや映像はそれ以上に良かった。

男性の監督ならもっとセリフを増やしそうなところを、何も語らずに映像のムードで登場人物の心境を視聴者に感じさせる演出も、女性監督ならではの感性で素晴らしかったです。

 

 

自分は友達がもともと劇的に少ないのですが、本作を鑑賞後にコロナ禍というのもあって最近は連絡をあまり頻繁に取ってなかった親友に久々に電話をかけました。

こちらも久々に声を聞けて嬉しかったですし、相手も電話の向こうで嬉しそうに喋ってくれているのがわかりました。

自分は既に結婚して子供もいますが、彼はアラフォーの独身で、働き方のスタイルにも独自のこだわりを持っていて、いまだ契約上はアルバイトを貫いた生き方をしています。

最近ヤフオクでフィッシュマンズのTシャツを買ったと教えてくれました。

「(プレミアついてて)めっちゃ高かってん」と、まるで今後日本に迫っている財政問題や老後問題など一切存在しないかのような無邪気なセリフが、会話してて羨ましくも思えました。

友情とは良いものです。

 

『ミークス・カットオフ』もどこかのタイミングで観に行けたらいいなと思っています。

ご興味のある方は、ぜひケリー・ライカートの映画もご覧になってみてください!

先日のお休みはシネリーブルで映画を観てきました。

 

『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』

 

 

あのマルタン・マルジェラ本人が語っているドキュメンタリー映画ということで、公開を楽しみにしていました。

 

本人が映る映像は手元のみ。

“匿名性”を持つことで、自身は街で注目されることもなく落ち着いた日常を送ることができ、人々にはブランド名を聞いてデザイナーの顔を思い浮かべるのではなく、洋服そのものを連想させることができます。

 

マルタンの語り方は、とても自然でした。

 

「マルジェラの再構築は、メッセージ性ではなく解剖」みたいな言葉はとても印象に残りましたが、それは関係者によるコメントで、そういった文字を踊らせたようなカッコイイ言葉はマルタンの口からは間違っても出てきませんでした。

 

挿入される音楽や映像的な加工は、ドキュメンタリー作品を観やすくする為のものなのだと思いますが、そういう演出はマルジェラっぽくないですし、個人的にはちょっと邪魔に感じてしまいました。

せっかくマルタン本人が語ってくれてるのだから、その言葉をもっと実直でリアルに肌感で感じたかったです。

 

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マルタンの作る洋服には、どこか退廃的な精神を感じます。

 

最後の方でマルジェラのアーカイヴ展の様子が紹介されていましたが、そこにリック・オウエンスの姿もありました。

リックの作る洋服は、退廃とエレガンスが融合したスタイルで、自分がもう少し若かりし頃は夢中になって買っていましたが、今ならマルタンの精神の奥底に潜んでるような退廃性の方がやはり自分は好きだなと思います。(もちろん当時のマルジェラもそれなりに買っていたのですが)

 

マルタンのような精神性を持つデザイナーでは、今の商業主義に偏ったモード界ではとても続けていくことができなかったでしょう。

 

作中で、今大流行している“タビブーツ”についても説明している(語るではない)シーンがありましたが、マルジェラ本人がもし今もブランドに残り自らが新作の展示会場にいたら、タビブーツばかりオーダーをつけるようなバイヤーは払いのけててもおかしくなかったと思います。

「何もわかっていない」と。

 

それくらい、“メゾン・マルタン・マルジェラ”の精神と今の“メゾン・マルジェラ”では、乖離しています。

 

モードという言葉は、今の時代とても多様的に使われるようになりましたが、モードの本質というものはとても難しいものです。

 

例えば、映画においても、ハリウッド系の映画観る人よりフランス映画を観る人の方がここ日本においては数が少ないと思います。

フランス映画は、気難しく、結末の解釈も観るものに委ねるという作りをしているものが多いです。

結末だけではなく、作品自体の理解力を深めようと思ったら、観る側の知識や教養も問われます。

(僕もいつも自分の知識不足を嘆きながら観ているのですが)

 

マルタンの作る洋服も同じで、そのターゲットは“知的な女性”でした。

 

自分も少し前のまでは、マルタンのようなデザイナーの新作コレクションは毎シーズン楽しみにしていました。

知性のあるデザイナーが、今の時代をどう捉えて、どのように服で表現してくるのか。

「この服がカッコイイ」というよりは、デザイナーが服で表現する生き方や考え方により興味があるわけです。

それがモードの面白さでした。

 

 

今のモード界を思えば、マルタンが引退したタイミングも完璧でした。

そういう生き方をする(ができる)デザイナーだからこそ、彼の作った洋服は今見てもその輝きを失わず、その精神は今のファッション界にも大きな影響を与え続けているのだと思います。

 

マルタンが語るというなら、これからもチェックしますが、個人的には最後まで語らなくても良かったのではないかとも思います。

 

マルタン最高!

 

先日の日曜日は、僕が年に1回くらい発動させる秘奥義“趣味ファーストという明確な目的意識を持った早退”を駆使して、掃除をしてくれているスタッフ達に胸の位置で手をチョップのような形にさせて申し訳ない気持ちを表明しながら18時前には退店して、ずっと観たいと思っていた映画を観るために夕方から自転車にてシネヌーヴォへ向かいました。

 

 

 

通称“ジャンヌ・ディエルマン”

 

正式名称は、『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』

 

シャンタル・アケルマン監督による1975年に公開された作品。

タイトルも長いですが、上映時間も3時間半近くある、かなり長尺の映画です。

 

 

日本版のDVDやブルーレイも出ておらず、滅多に日本ではやらないのですが、今回はカンヌ国際映画祭のフランスの女性監督特集に合わせて日本でも期間限定で公開されるということで、その情報を知った時点で、(予約的に無理をしない範囲で)可能な限り観に行く、と心に誓っていました。

 

カッコしてあくまで予約的にどうしても無理なら諦めるみたいな書き方をしていますが、内心は行く気満々でした。。

なんてったって、大阪で唯一公開されていたシネヌーヴォでもこの日一回限りの上映しかやってなかったのです。

上映時間が18:15からというのは、“普段、仕事最優先で頑張ってる自分に対して、神様が与えてくれた最高のお恵み”くらい、今回に限っては自分に対して相当に甘い解釈をして、予約をストップさせる罪悪感を払拭させていました。

 

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ストーリーは、主人公, ジャンヌ・ディエルマンの3日間を3時間を超える長尺にて描いた作品。

当時カンヌに衝撃を与えたという作品だけあって、もの凄い映画でした。

 

ほぼ室内の映像で、カメラは固定され、ジャンヌのその一つひとつの行動を省略を一切省いたかのようなまるで監視映像をみたいな執拗な長回し。

 

でも不思議と全然観続けられます。

むしろ興味深く凝視するくらいでした。

 

ジャンヌは夫を亡くし、青年期の息子と二人暮らし。

主婦業をメインとしながらも、息子が学校に行っている間に生活の為に娼婦として1日1客を自宅に招き入れる。

 

BGMは一切なく(ラジオの放送を除く)、セリフもかなり少ない作り。

だから静かかというとそうではなく、視聴者の耳と精神を攻撃してくるかのような狂気の生活音。

 

部屋を移動する度に照明のスイッチをパチパチとこまめ過ぎるくらいにつけ消ししたり、かなり几帳面な性格そうなジャンヌの完璧なルーティンを見せつけられる1日目。少しずつ不協和音が入るかのようにそのリズムにズレが生じてくる2日目、そして迎える急転直下の三日目。

 

ラストの長く静かすぎるシークェンスも、本当に素晴らしかったです。

 

帰ってからも映画の余韻に浸りつつ、またあの完璧な1日目を観たいと、早速海外版のブルーレイを注文してしまいました。

 

初見を映画館で観ることができて、本当に良かったと思う映画でした。

芸術的要素もとても高い作品なので、クリエーターなど職業をされてる方にもオススメの作品です。

 

 

Posted on 08.13.21

前回の『SHOAH』シリーズに続いて、今回はオムニバス形式でオススメ映画をご紹介させていただきます。

 

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『第三世代』  監督: ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 

ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが描く“第三世代”のテロリストを描いた作品。

舞台は、1970年代末のベルリン。

 

テロリストにおける“第三世代”とは、それまでのテロリスト達の信念であった革命への理念を持たず、ただ目先のスリルだけを追い求めてテロを起こすようになった初めての世代のことを指します。

(もうこの時点でお笑い界の第7世代なんかよりこっちの方が俄然面白そうと思ってくれた人は、V:oltaに通い続けてください)

 

まず、オープニングの映像と表示されるクレジットが死ぬほどカッコイイです。

まだキューブリックで止まってるという人は、ぜひ本作を観て度肝を抜かれてください。

 

内容は哲学的で破壊的です。

エンタメ寄りから急にこういう作品を観るとかなり難解だと思いますが、これこそ映画におけるニューウェイヴです。

音楽でもJ-POPから、最初は洋楽のビッグネーム、そこから徐々にニューウェイヴなどアンダーグラウンドを掘り下げるようになっていった(一定のところまで進むとニューウェイヴさえオーバーグラウンドだったのだと気付く)方も多いかと思います。

自分もようやく最近になって、映画も同様なのだと気付きました。

まだ踏み出していない皆さんもぜひその第一歩を踏み出してみてください。

 

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『桜桃の味』   監督:アッバス・キアロスタミ

 

 

キアロスタミ監督の作品は、心が洗われるような優しさに包まれています。

 

本作の主人公は、自殺することを決意した中年のおじさん。

報酬と引き換えに自殺を手伝ってくれる人を車に乗って探すのですが、その道中で出会う人達との会話や人間模様が素晴らしいです。

コロナの長期化で精神的にも辛いという方もいらっしゃるかと思いますが、ぜひそういう方にも観ていただきたい作品です。

世の中には、その美しさに気づけていないだけで素晴らしいものもたくさんあります。

 

 

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『ミュージックボックス』  監督: コスタ=ガヴラス

 

こちらもホロコースト関連ですが、秀逸な法廷サスペンスものです。

 

老後を迎える父親が過去にユダヤ人虐殺に関わったとされる資料が、父の母国ハンガリーで見つかり、弁護士である娘が父の疑惑を晴らす為に裁判の弁護人になるというストーリー。

 

タイトルの意味は終盤でわかります。

 

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『山椒大夫』  監督: 溝口健二

 

森鴎外の小説を基にした文芸作品。

 

人買いにたぶらかされて親子離れ離れに売られた安寿と厨子王の物語を、タルコフスキーやゴダールからも尊敬される溝口監督の素晴らしい演出で見事に描かれています。

 

現代の日本人は、過去の日本の歴史の闇の部分にはあまり目を向けたがりませんが、同じ日本人として受け止めて反省すべき汚点が本作にも描かれています。

 

表紙の入水シーンは哀しみを超えて神秘的ですらありました。

 

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『自由の幻想』  監督: ルイス・ブニュエル

 

夢から着想を得た、ブニュエルらしい不条理さとシュールさが混在する、超絶自由な発想の映画。

 

出だしのナポレオン兵が頭どつかれるまでの一連の下りは、ごっつええ感じのコントよりも面白かったです。

緊張と緩和、知的品格とお下劣な煩悩。

 

その高低差を操るには、相当な知性とユーモアのセンスが必要で、観るものの教養も試されています。

 

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『工事中』  監督: ホセ・ルイス・ゲリン

 

 

スペインはバルセロナにあるエルラバル地区の大規模再構築の様子を18ヶ月、撮影時間120時間以上に及ぶフッテージから編集したドキュメンタリー映画。

 

ただの解体現場, 建設現場を映し出した映像に、なぜこれほどまでに感動させられるのかというくらい素晴らしいカメラの構図。

どこにでもある日常の風景を切り取った中に、どれほどの美しさや尊さが潜んでいるのか。

都会の雑踏の中で忙しく生活しているとなかなか気付くことができないものに気づかせてくれる作品です。

 

ドキュメンタリーですが「完全に」というわけではなく、登場人物の会話など、少し作ったようなところも見受けられるのですが、むしろそれも本作の魅力をさらに引き上げているように思いました。

 

本作を観てから、外を歩いているだけで、今まで日常的に目にしてきたものの見え方まで、まるで変わった感じがします。

人生における価値観を変えてくれるような映画だと思います。

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そろそろ疲れてきたので、今回はこれくらいで終わりにさせていただきます。

また映画好きのお客様とは、映画の話をさせていただくのも毎度楽しみにしております。

 

 

Posted on 08.13.21

お盆休みをお過ごしのみなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

当店はお盆期間を避けて、少しずらして16日から夏期休暇の予定を立てたのですが、混み合うかなと思っていた(当店の)連休前の週末のご予約は、こちらの想定が見事に外れてとてもゆっくりしそうで、こうしてブログを書いている今日もそんなに忙しくないので、緊急事態宣言中でもあるので久々に最近のオススメ映画をご紹介させていただこうかと、重い腰を座り心地の良いイスにゆったりとおろしてパソコンの前に向かっている次第であります。

 

コロナ当初は、緊急事態宣言とオススメ映画紹介ブログはセット、というくらい緊急事態の度にステイホーム中に観れる映画の紹介ブログを書いていたのですが、政府から国民への支援もほぼなくなりましたし、今年のG.W.前の緊急事態宣言中くらいから自分を戒めて自粛に対する意識を再度強く持つためにもクロード・ランズマン監督のホロコーストを扱った9時間30分にも渡るドキュメンタリー映画『SHOAH』を観始め、『ソビブル、1943年10月14日午後4時 Sobibor, Oct. 14, 1943, 4 p.m 』『不正義の果て』の一連のシリーズを連続鑑賞し、それに続いて『スペシャリスト』『ハンナ・アーレント』などの関連映画も観て(スペシャリストでのアドルフ・アイヒマンは、菅政権が喉から手が出るほど欲しいと思うであろう人物でした。佐川現国税庁長官が小粒に見えました)、極めつけにはヴィクトール・E・フランクルによるドイツ強制収容所の体験記録に基づいた書籍『夜と霧』を読み終えた頃には、精神的にかなり参ってしまって、なかなかオススメ映画の紹介も書く気にならない状態になっていました。

ですが、これらの作品も人間として現代に産まれたからには観ておくべき素晴らしい作品でした。

クロード・ランズマン監督の作品はBeautiesというサイトでもペーパービューすることができますので、ご興味のある方は、ぜひご視聴してみてください。

 

『SHOAH』では、散髪屋のおじさんのインタビューが出てくるのですが、生き残って現在の仕事として働いている職場で客をカットしながら当時の様子を語っていたのが、似た職種の自分としては特に印象に残っています。

 

 

彼は強制収容所でユダヤ人女性たちのカットを命じられていました。

一人のカットにかけられる時間はごく僅か。カットする前に女性達は服を全て脱がされています。

服を脱がされ髪の毛をカットされた後、彼女達はガス室へと押し入れられ、殺されます。

なぜ髪の毛をカットするかと言うと、ナチスが髪の毛を売ってお金に変える為です。

(女性だけカットするのは、女性のほうが髪の毛が長いからです。)

女性達はこれから殺されるとは伝えられていません。

しっかりと働いてもらうためにもチフスなどの伝染病の蔓延を予防する為、服を脱いで髪の毛を切った後、消毒すると伝えてガス室に送られるのです。

散髪屋達に求められた仕事は、髪の毛を手早く切りつつも普通にショートヘアにカットされたと思わせることです。(急に丸坊主にしたら、ただごとではない印象を与えてしまうからです)

インタビューに答えていた散髪屋のおじさんは、当時の様子を語りながら、目に涙を浮かべていました。

本当に辛い経験だったと思います。

 

他の民族や人種を、自国民よりも蔑んで見ることはあってはならない。

これは現代に生きる人間、自分達にも言えることです。

 

今回は長くなったので、本編とは分けてご紹介いたします。

(本編に続く)

Posted on 08.13.21

先日の休みは、朝から映画を観てきました。

現役首相を描いたドキュメンタリー映画『パンケーキを毒見する』

 

 

 

「パンケーキが好きな総理」というキャッチフレーズだけで政治音痴の若者達の支持率さえ底上げしてしまっている今の時代。

 

次々と明るみになる“政治と金”の問題やコロナ対応で現政権の頼りなさが浮き彫りになった今だからこそ、国民一人一人がしっかりと政治に関心を持ち、「そこで何が行われているのか」を注視する必要があります。

 

本作は、基本的には現政権の問題点をわかりやすく指摘している内容なので、政権批判であるとの見方もできますが、内容はこれまで実際に現政権(菅官房長官時代の安倍政権を含む)が行なってきた政権の“隠しておきたい真実”を浮き彫りにしただけの内容です。

だから与党(自民党)を批判した左向きの映画とも少し違います。

本作には自民党の石破さんも出演して、問題点を語っています。

安倍政権以前は、自民党の中でも意見を言い合える関係性がまだありましたが、現政権は自民党の中でも異論を唱えることも許されないほどの権力を持つほどになっているらしいです。

 

他にも政治経済評論家の古賀 茂明さん、元事務次官の前川喜平さんなども出演していましたが、古賀さんは報道ステーションのコメンテーターを務めていた時、安倍政権に批判的なコメントを繰り返していたことで政権側から番組に圧力がかかりコメンテーターを降板させられ、前川さんは加計学園の問題で証拠となる内部文書の存在を菅官房長官が「怪文書だ」と言い逃れを図る中、実際に官邸の意向で動いていた張本人として文書が本物だと告発した結果、自身の出会い系バー通いを新聞社にリークされました。

 

日本では先日、小山田圭吾氏の過去のいじめ問題が浮き彫りになり、世間から社会的制裁を受けましたが、政治の世界では悪事を正そう、告発しようと行動する人が政権から酷い“いじめ”に合うというあまりにも無慈悲な現実がそこにはあります。

“見せしめ”を作ることで、まだ正義感を持っている人達も、良くないと思うことに対してなかなか意見を言う勇気が出せなくなっていきます。

 

政府に今のようなやりたい放題をさせているのは、他ならぬ自分たち国民です。

(もっと言うと選挙に行かない人達です。)

 

一人でも多くの人が選挙に行って投票率が上がれば、政権がひっくり返る可能性が高くなります。

ここで大事なのは、別にひっくり返らなくても、高い投票率で浮動票が増えることで国民の政治への関心度の高さを示していれば、政権に「気を抜いてると選挙で入れ替わる」と常に危機感を持たせることができるようになることです。

 

今の政治もあまり関心を持ってない人には、とても複雑に感じると思います。

それは政権の常套手段で、複雑性をもたらすことで、普段から政治に関心のない人達により興味を持たれにくくしているのです。

国民(特に一般庶民)が無関心であってくれ続けた方が、今の政権には都合が良いのです。

 

美容師の人達の中にも、選挙に行かないという人も多くいると思います。

有名な美容師の人がなんかの賞をもらった時のインタビューで「美容師の地位向上」を掲げてるのを見たことがありますが、美容師全体の世間のイメージを変えていくには、ちゃんと投票に行ったりすることの方が大切だと思います。

 

ちょっと長くなってしまいましたが、僕にはデヴィッド・バーンみたいなことはできないので、こういう形で僅かな人にでも呼びかけたい気持ちです。

(欲を言えば、本作にもバーンまでは無理だとしても、もう少しセンスの良い伝え方をしてほしかったなと思います。)

 

投票に行こう!

 

Posted on 07.28.21

先日のお休みは、酷暑の中、自転車に乗って久々に梅田に行きました。

目的は、シネリーブルで上映されている映画『最後にして最初の人類』を観る為です。

 

 

 

本作は、2018年に惜しくもこの世を去ったアイスランドの音楽家,ヨハン・ヨハンソンが監督したSF作品です。

 

旧ユーゴスラビアの戦争記念碑群のモノクロ映像とヨハンソンの美しい音楽。

そして、20億年先の未来の人類からのメッセージとしてのナレーションは、ティルダ・スウィントンによるもの。

 

『ラ・ジュテ』のテイストに少し似ているように感じました。

終始モノクロの映像に、ワンシーンだけカラーに変わるのですが、その瞬間は『貞子』観た時よりも怖かったです。。

 

ヒューマントラストシネマ渋谷では、カスタムスピーカー“odessa(オデッサ)”での音響にこだわった贅沢な上映をしているらしく、それを観た人の感想は「ティルダのナレーションが聞き取れないくらいの迫力」とのことでしたが、シネリーブル梅田の上映ではティルダの声は透き通ったように鮮明に聞き取れました。。

 

ですが、関西でこういう類の映画を上映してくれる映画館は本当に限られているので(好んで観る人の数も限られているのですが)、上映してくれたことに感謝しています。

(シネリーブル梅田でも時間帯によってはodessaで観られるみたいです)

 

個人的にはスポメニックにも、ヨハン・ヨハンソンの音楽にも高い関心を持っており、なんならティルダ・スウィントンも好きな女優でもあるのですが、途中、瞼が死ぬほど重たく感じる瞬間が70分の映画で13回くらいありました。

だからと言って、つまらない訳ではなく、むしろ逆にとても良かったです。

こんなに面白いのにこんなに眠くなる映画は、タルコフスキーの『惑星ソラリス』を観て以来です(ソラリスの方がレベルは遥かに高いですが)。

 

“オデッサ”とまでは言わなくても、欲をいえばシネコンのIMAXくらいのレベルで観たかったです。

 

素晴らしい作品でした。

ヨハン・ヨハンソンへ追悼の意を込めて。

 

Posted on 07.06.21

昨日の休みは、久しぶりに映画館に映画を観に行ってきました。

 

 

デイヴィッド・バーンによるアルバム「アメリカン・ユートピア」が原案の舞台を、スパイク・リーが映画化した作品。

 

本作は、2019年秋よりブロードウェイで上演された舞台を再構築し、デイヴィッド・バーンと11人のミュージシャンやダンサー達と作り上げたライブ映画となっています。

 

僕はトーキング・ヘッズが大好きで、その中心人物であるデイヴィッド・バーンは今なおリスペクトしています。

本作もすぐに観に行きたかったですが、コロナの影響で大阪は映画館が閉まっていたり、現在もレイトショーをやってないので、なかなか行けませんでした。

 

感想は、とても素晴らしかったです!

 

コロナ禍の現在、なかなかライブにも行けるような状態になりませんが、そんな中、映画の中とは言え、大変素晴らしいライブを観せてもらいました。

 

無駄を一切省いたステージで演じるバーンをはじめとするアーティスト達の服装は、グレー一色。

足元が裸足というアイデアは、バーン自身が提案したものらしいです。

 

ステージでバーンは、 Black Lives Matterなど人種や移民の平等性を訴えたり、大統領選の投票率の低さを指摘して国民へ投票を呼びかけたり、ただの音楽のステージではないとても知的で社会派な要素もありました。

 

日本では、自身の保身の為に政治的な発言や行動を避ける(そもそも政治や社会問題に対してあまり理解をしていない)芸能人やアーティストも多いように思います。

特に、権力を批判するような声を上げた勇気のある著名人ほど、徹底的に叩かれ、まるで報復のように社会的,経済的に甚大なダメージを被る人までいます。

 

ですが本来、バーンのように現代社会や権力に対して思うことを歌詞にしたり、作品として観るものに伝えたりできることこそが、真のアーティストの姿だと思います。

 

権力とは大体にしてその裏側に強力な“悪”の力が潜んでいるものです。

そして権力側の旨みの分け前をもらうには、イエスマンとして権力の犬になるのが明快な答えですが、それでは庶民の暮らしはゆでガエルのように気づかないうちに苦しくなっていきます。

 

僕たち庶民一人ひとりの力は、権力やその界隈にいる人達のそれには到底勝てないものですが、人数の比率では圧倒的に上回っています。

大事なのは、国民の一人ひとりが社会や政治に対してしっかりと目を向け知識をつけることだと思います。

 

Mame Kurogouchiのユニクロとのコラボに歓喜しているような日本じゃダメだと思います。

僕自身、Mame Kurogouchi及びデザイナーの黒河内さんの服作りは日本の伝統を大切にしている部分もあって、応援したいと思うブランドでもありました。

ユニクロとのコラボが発表されたのは「ウイグル問題」が明るみになる前ではありましたが、黒河内さんにはウイグル問題にユニクロが関係している(かなり黒に近い)疑惑が浮上した時点で、一方的にコラボを撤回する(もしくはユニクロのサプライチェーンの中にウイグル問題が関係していないことが証明されるまで販売の延期を求める)くらいの行動をとってほしかったです。

 

ウイグル問題でユニクロが世界中から疑惑を持たれ、国や地域によってはユニクロ製品の輸入ストップがかけられている現在において、「ユニクロと無印は暫く買わないでおこう」と考えている人がここ日本でどれくらいの割合いるでしょうか?

 

自分たち国民の多くが社会問題に目を向けず、理解しようとせず、(それこそ選挙の投票などでも)何も行動しようとしないから、権力はやりたい放題にやり、国民の生活はより抑圧されたものになっていきます。

 

変わらないといけないのは、政治よりも国民なのだと、本作『アメリカン・ユートピア』を観てそういう思いがより一層強くなったので、バーンから勇気をもらって、少し自分の最近思ったことも書かせていただきました。

 

日本でも近いうちに衆議院選挙が行われます。

どこの政党が良い,ダメだというのは、人それぞれですし、それぞれに考えがあって良いと思います。

大事なのは、国民一人ひとりが政治に対して自らの考えを持ち、そして投票に行くことです。

国民が“無関心”であることを権力者は何よりも望んでいます。

 

最後もバーンにあやかってこの言葉で締めたいと思います。

 

「投票に行こう!」

 

 

Posted on 03.04.21

なんとも内容のペラペラそうなバカらしいタイトルをつけたのは、今回はサブスクで観られるとか関係なしのオススメ映画をいくつかご紹介させていただくにあたって、あらかじめハードルを下げておくという高等戦術なのであります。

それとガチのシネフィルの方にこの拙いレビューを発見されにくくしてるという機能も果たしています。

 

 

コロナ禍において数回、ステイホーム中にオススメの映画をご紹介させていただいたのですが、外出自粛を求められる状況とあってNetflixやU-NEXT等、映画のサブスクリプションサービスで視聴できるという縛りを設けてたのですが、ありがたいことに何人かの顧客様から「サブスクとか関係なしのオススメ映画を教えてほしい」というお声をいただいたので、今回、アホみたいなタイトルをつけて浅学菲才の身ではございますが、ここでご紹介させていただこうと思います。

皆様、どうぞ温かい目でご覧くださいませ。

 

最近は、今まで観てこなかった(気付けていなかった)古い監督の作品を中心に観ることが多いので、今回ご紹介させていただく作品は古いものが多いです。

観慣れてない方は最初難しく感じるかも知れないですが、ファッションや音楽,写真,アートと同様に、古い時代の方が作り手のこだわりが詰まっていたり、芸術性に長けているというものもたくさん存在します。

 

今回はそれらの素晴らしい名作の中からいくつかご紹介させていただこうと思います。

中には既に廃盤となりプレミア化されている作品もありますが、ご了承くださいませ。

 

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『白夜』  1971年  ロベール・ブレッソン

 

ロべール・ブレッソンでは、前にブログを書いた時に彼の作品『抵抗 -死刑囚の手記より-』と共に個人的に好きな監督の一人だとご紹介させていただきました。

 

本作『白夜』は、ロシアの小説家,ドストエフスキーの初期の短編を原作として、ブレッソンがその舞台を制作当時のパリに置き換えて脚色した作品です。

 

パリのポンヌフ橋を舞台にした、男女の恋の三角関係の話なのですが、まず映像が秀逸過ぎます。

端正でいて妖艶。

 

あえて全てを写さないカメラワークや、映像のカラーリングなど、その研ぎ澄まされたセンスの秀逸さには溜息さえも出ないほどでした。

そして、ただ単純に美しい映画かというと全くそんなことはなくて、主人公の男はボイスレコーダーに恋した女性の名前を連呼して録音したものをバスの中で(イヤホンもせず)再生させたり、街で綺麗な女性を見かけたらだいぶ気持ち悪い感じで後をつけまわしたり、偏屈な要素もあって退屈しません。

 

ポンヌフを舞台にした映画では、レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』も有名(タイタニックの船先でイチャイチャする有名なシーンは、ジェイムス・キャメロンによるこの映画へのオマージュらしいです)で、僕もこの映画を最初に観た時は、その映像で映し出されるパリの情景の美しさに感動しました。

「これほどまでにパリが美しく描かれている作品はそうそうあるまい」と思ってる中で、まさか同じポンヌフ橋を舞台にした作品で、それを上回る作品に出会えるとは思ってもいませんでした。

が、それもその筈で、カラックス自身がブレッソンを師と仰いでいたらしいです。

 

ちなみにドストエフスキーの『白夜』を元にした映画では、ルキノ・ヴィスコンティ監督による同名作品もオススメです。

 

 

こちらはモノクロ作品で、映画の舞台となる小さな街をセットで作り上げており、縦長の甘美なネオンサインや運河にかかる小さな橋など映像の美しさでも引けを取っていません。

 

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『召使』  1963年  ジョセフ・ロージー

 

 

監督ジョセフ・ロージーと主演ダーク・ボガードの組み合わせ(数は少ないですが)は、ティム・バートンとジョニー・デップのコンビの遥か上を行ってると思います。

(二人のタッグでは、この作品以外にも『できごと』もオススメです。)

 

少し前にポン・ジュノ監督の『パラサイト』がヒットしましたが、ジュノ監督は本作に間違いなく影響を受けてると思います。

こちらは富裕層への“パラサイト”超えの“下剋上による支配”です。

 

召使バレットが勝手にゴシック調に設えていくインテリアのセンスも秀逸。

 

僕はこの作品をきっかけにダーク・ボガードのファンになりました。

余裕のある方は、こちらもぜひブルーレイでの鑑賞をオススメします。

 

 

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『愛の記念に』  1983年  モーリス・ピアラ

 

愛を求めて奔放な恋に生きる15歳の少女,シュザンヌを演じるサンドリーヌ・ボネールは撮影当時まだ14才。

そんなまだ未熟な年頃の少女がこんな垢抜けた演技ができるのかと感嘆しました。

きっと安達祐実さんだってビックリするはずです。

 

オープニングのシーンで、海風をスカートに受けながら船頭に立つサンドリーヌをバックにオープニングクレジット、そして流れるBGMは“The Cold Song”

こんなに完璧なオープニングは、なかなかお目にかかれません。

 

ピアラ監督自身も主人公の父親役で出演しています。

 

 

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『皆殺しの天使』  1962年   ルイス・ブニュエル

 

 

ブルジョワ20人が集まった晩餐会で、深夜になっても、翌朝になっても、さらに数日が経過して果てには食料や水が尽きても誰も帰らない(帰れない)という、催眠術にでもかかったかのような摩訶不思議な不条理劇。

最後の教会のシーンでのリフレインも堪らないです。

 

タイトルも秀逸。

 

ルイス・ブニュエル監督では、サルバドール・ダリとの共作『アンダルシアの犬』が有名ですが、ブニュエルもダリと対等なくらい芸術的でイカれた監督だと思います。

 

ちなみに、本作の貴重なポスターを僕が師と仰いでいるお客様から少し前にプレゼントしていただいたので大切にお店に飾ってるのですが、1ヶ月を経とうとする現在、未だに誰にも気づかれてないです。

(気づいてて敢えて黙ってる方も中にはいらっしゃるかも知れないですが)

 

そのポスターがこちらです。

 

 

 

ちなみにポスターの黒い部分に反射してお店の内装が写り込んでますが、その部分に表紙の女性の顔が黒×黒でプリントされています。

あなたが おいでやす小田 なら、めちゃデカイ声で「わかるか〜」と突っ込んでることだと思います。

 

デザインもめちゃカッコよくて、作品と共にとても気に入っています。

 

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『鏡』   1974年   アンドレイ・タルコフスキー

 

本作は、タルコフスキーの自伝的映像詩です。

 

作者自身の過去の記憶のイマージュや当時のロシア社会の様子が、時間軸を行き来しながら断片的に構成され、かなり難解な作品ではありますが、映画史に残る素晴らしい作品となっています。

時間軸を歪ませた見せ方は、近年ではクリストファー・ノーランの得意とするところですが、この時代に既にタルコフスキーが最後のシーンで凄いことをやってのけていました。

 

最初のほうに草原に風が吹き抜けるシーンがあるのですが、これだけでも鳥肌ものでした。

その映像は、まるで自然まで操っているかのようでした。

 

タルコフスキー映画に共通する圧巻の情景美と共に、ラストで流れる「マタイ受難曲」は、本当に素晴らしいエンディングでした。

 

 

 

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『春のソナタ』  1989年  エリック・ロメール

 

こちらも既に中古市場で高値がついておりますが、エリック・ロメール後期のコント集〔四季の物語〕より、第1作目となる春の物語。

この作品をAmazonとかで調べたら、検索上位のほうに絶対にヨン様が現れます。

ベルイマンの『秋のソナタ』はヒットしないのに…

 

ちなみに、〔四季の物語〕の制作順は、『春のソナタ』,『冬物語』,『夏物語』,そして『恋の秋』となります。

 

僕自身、ロメールの作品はまだ1/3も観ていないくらいなのですが、この四季シリーズも本作以外は未視聴です。

ロメールが本当に凄いなと思うところは、何も特別なことが起こるわけでもなく、カメラワークも超自然体、それなのに時間が短く感じるくらいに面白いということです。

 

上の『愛の記念に』 のところでもオープニングが秀逸と書きましたが、本作もオープニングから素晴らしいです。

高校で哲学の教育実習をしている主人公のジャンヌが授業を終え、車に乗り込むところから物語は始まります。

車窓から流れる景色は、冬から春に移り変わろうとする街並みや田園風景。

そんな春の訪れの気配にワクワクさせられながら、画面に流れるベートーヴェンのバイオリン・ソナタが映像や気分と絶妙にマッチしています。

まるで俳句の達人かのようです。

 

フランス料理なんかでも一風変わった組み合わせの妙を楽しませるのが醍醐味のひとつですが、ロメールはそういう点においては京料理のように侘び寂びの効いた自然な調和を大切にすることを好んでるように見受けられます。

 

ロメールは、作品の色遣いにもこだわりを持っています。

本作でも主人公ジャンヌとそのいとこゲールが電話を変わるシーンで、最初に電話に出る白いシャツを着たゲールの背景には白い扉が映り画面は白に支配されますが、花柄のシャツを着たジャンヌに電話を変わるとカメラは背景に壁に飾られた花柄の壁紙を映し出します。それも、とても自然に。

 

 

テーブルを囲んだ4人のうちの2人が哲学論争を繰り広げるシーンでは、難しい専門用語を並べながらも二人ともなんとも流暢に言い争っています。

これもロメール自身が脚本の段階から演者(しかも素人同然)たちとディスカッションを重ね、2人とも哲学の教育を受けている(しかも一人は学士号を持つ)ことから考え出されたらしいです。

 

本作『春のソナタ』は、ロメールが70歳の頃に手掛けた作品なのですが、そんな年齢を微塵も感じさせないくらい映像は若々しく、そして洗練されています。

 

僕は、せっかくなので春の気配を少し感じるような日も出てきた最近、本作を鑑賞しました。

もうすぐ春になる少しワクワクした気持ちを抱えながら観た『春のソナタ』は格別でした。

 

〔四季の物語〕は『恋の秋』以外は既に所有していますが、今年は『夏物語』を飛ばして年末に『冬物語』を、来年の夏と秋にそれぞれ『夏物語』と『恋の秋』を鑑賞したいなと思っています。

(それまでに残る『恋の秋』も揃えておかないといけないですが)

 

 

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今回挙げた監督たちは、特にお気に入りの監督ばかりですが、今回ご紹介できなかった中にも同等かそれ以上に好きな監督もまだ何人もいます。

 

ただ、これら特に好きな監督は既に亡くなっている人も多く、その遺された作品は大切に鑑賞していきたいので、作品を購入していつでも観れる状態になっているものも増えてきたにも関わらず、まだそのうちの1/5も観終えていないのが現状です。

 

 

自分はお酒は全く飲めないのですが、これらの監督の作品を鑑賞する時は、極上のヴィンテージワインを開ける時くらいの特別感があります。

 

これらの作品は、何度も見返したり、作品の解説などをじっくり読み耽りながら、大事に大切に鑑賞していきたいです。

 

また他の旧作のレビューも、気が向いた時に少しずつ紹介させていただくかも知れません。

 

それでは、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

Posted on 01.20.21

先日の休みにギャスパー・ノエの新作『ルクス・エテルナ 永遠の光』を観てきました!

 

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このテの映画は、ここ大阪ではお客さんあまり入らないだろうなと思いつつも、上映している映画館が家から自転車で10分もかからない場所だったので、直前まで鑑賞しようと思ってた上映時間のネット予約画面で座席の埋まり具合をくまなく確認していたのですが、結局同じスクリーンで観たのは4人だけでした。

 

作品自体も1時間と短いです。

 

本作は、サンローランのクリエイティヴ・ディレクター, アンソニー・ヴァカレロが「様々な個性の複雑性を強調しながら、サンローランを想起させるアーティストの視点を通して現代社会を描く」というコンセプトのもとスタートさせたアートプロジェクト『SELF』の第4弾でもあります。

 

鑑賞前の事前情報で「激しい光の点滅に注意」というのを得ていて、映画の中で無茶苦茶しまくるギャスパー・ノエのことだから極度の心配性の僕は相当に警戒して、まさかのサングラス持参(鞄の中にそっと忍ばせる)で向かいました。

ちなみに昔、マイ・ブラッディ・バレンタインのライブに行った時は、直前にハンズで耳栓を買って行きました。

 

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冒頭 、ベアトリス・ダルとシャルロット・ゲンズブールの会話から始まります。

カットは2分割に分かれ、撮影舞台裏のドキュメンタリーのようなストーリーは次第にカオスと化していきます。

 

パンフレットにあるような、十字架に磔にされたシャルロットが火炙りになる描写は、カール・ドライヤーの『怒りの日』から引用されています。

僕は“カールドライヤー”と聞いて、クルクルドライヤーの形状よりもカール・TH・ドライヤーのことが頭に浮かぶ少数派の美容師なので、劇中に『怒りの日』の映像が使われているのはすぐにピンとくることができました。

 

そして、映画は終盤のクライマックス、光と音の洪水が観る者を攻撃してきます。

僕は『ポケモン』の映画は観ていないですが、当時社会問題になってたピカチュウの光の点滅がロールプレイングゲームの序盤の村に出てくるボスだとするなら、本作は文句なしにラスボス級です。

 

 

光の点滅が始まって、僕より後ろの座席に2人座ってることもあって、さすがに用意していたサングラスをかけだしたのを見られたら、僕ならそんな人がいたら息を殺して爆笑してしまうと思うので最後まで使うことはできなかったのですが、それでも「これで明日以降体調悪くなったら」とか心配してしまう僕は、片手で目元を覆いながら座席の中でズルズル下の方にしゃがみながら丸くなって、全盛期のマッチが“ギンギラギンにさりげなく”を歌ってる時みたいなポーズ(あくまでイメージなので全然違うかも知れないですが)でなんとか無事鑑賞できました。

 

 

ラストの畳み掛けるような光と音の中、映し出されるシャルロット・ゲンズブールの映像は、苦悩を超越して、高揚感すら感じる美しいものでした。

 

しかもビックリすることに、こっちはサングラスせずにギンギラギンしながら観てるのに、劇中の激しい点滅を浴び続けているシャルロットはいつの間にかサングラスかけてる!

(ズルいぞ、シャルロット!)

 

帰りは、「ギンギラギン・ポーズ」で鑑賞してた人だと失笑されないように、マフラーで顔の2/3をグルグル巻きにしてから席を後にしました。

ここでもサングラスかけようかと一瞬考えましたが、もし万が一、僕の行動の一部始終を見ている人がいたら、さんざん辛そうな姿勢で耐えてた人がここで今さらサングラスかけるのは究極の笑ってはいけないシチュエーションになってしまうと思うので、結局最後までサングラスは使わずに帰りました。

 

 

ギャスパー・ノエの作品はいくつか持ってますが、映画館で鑑賞したのは今回初めてでしたが、映画館で観た方がその漲るエネルギーを全力で体感できるのだなと思いました。

 

ご興味のある方は、ぜひチェックしてみてください!

 

 

先日の休みに、ドイツ人写真家Helmut Newtonのドキュメンタリー映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』を観てきました。

 

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最近はファッション系の映画よりも、他に観たい映画が死ぬほどあるので、わざわざ映画館で観るかどうか迷ったのですが、好きな写真家ですし、前売り特典でイヴ・サンローランが女性用のスモーキングジャケットを発表した時の有名なポートフォリオを使用したクリアファイルが付いてきたので、まんまと策にハマって前売り券を購入してしまっていました。

ちなみにこういう映画にしては珍しく上映してたパークスシネマで観たのですが、初めてスクリーンに自分ひとりだけという状況を経験しました。

非常に完成度の高い造本を実現し、世界中の写真ファンを魅了し続けているドイツの出版社STEIDLを運営するシュタイデル氏の「ベストセラーで儲けたお金で、利益を重視しない作品を作る」という言葉を思い出しました。

僕も心の中で「鬼滅さん、ありがとうございます」と感謝しました。

 

 

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ヘルムート・ニュートンは、ユダヤ人の両親のもとドイツのベルリンで産まれました。

若い頃から写真に興味を持ち、同じくドイツのユダヤ人写真家, エルゼ・ジーモンのアトリエでアシスタントとして働きながら写真の技術を習得していきました。

 

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当時のドイツは、ナチスが権力を拡大し、ユダヤ人が迫害されていたので、ニュートンはドイツを離れシンガポールへと渡ります。

ニュートンの師匠だったエルゼ・ジーモンは、同じ頃、強制収容所に送られ、生涯を閉じました。

あまりにも残酷な時代です。

 

ニュートンはその後、オーストラリアに渡り、女優ジューン・ブラウンと結婚。

ここから写真家として頭角を表していきます。

 

VOGUEと契約しイギリスに渡ったニュートンは、ファッション誌をはじめ幅広い媒体で活躍し、世界的なフォトグラファーとして有名になりました。が、同時に彼の挑発的な作品は時に物議も醸しました。

 

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この写真の男性は、若き日のデヴィッド・リンチです。

 

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こちらは、シャーロット・ランプリング。

映画タイトルにある「12人の女たち」というのは、ニュートンのミューズたちを指すわけですが、ランプリングもそのうちの一人です。

 

途中、ランプリングのインタビューも出てくるのですが、この撮影の時は映画『愛の嵐』の公開直後だったらしいです。

 

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本作は、強制収容所のナチス高官とユダヤ人捕虜の禁断の愛を描いた作品で、ランプリングは演出的にも度胸のいるユダヤ人捕虜役を見事に演じていました。

ナチスの帽子を被り、軍パン姿で挑発的にダンスするシーンは、映画史における名シーンのひとつだと思います。

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ニュートン自身へのインタビューでは、レニ・リーフェンシュタールの名前も出てきました。

レニ・リーフェンシュタールは、ドイツの映画監督兼写真家で、ヒトラーから直々に自身のスピーチやベルリンオリンピックなどの撮影を依頼された人物です。

ニュートンは主に女性のヌードを撮影していましたが、レニが撮影した男性競技者の力強い映像も本当に素晴らしいものでした。

ちょうど彼女のドキュメンタリー映画『レニ』を観たところだったで、ニュートンの話していることがよく理解できました。

 

このドキュメンタリー映画の中でも、ランプリングの『愛の嵐』や、『レニ』など、それを知っていればより理解できることも増えますし、当時のドイツのことを勉強すればする程にその2作品のこともより深く理解できるようになります。

 

自分ももっと勉強してもっと知識を増やしたいな、と思う今日この頃です。

 

『レニ』はアマゾンプライムでも観れるので、ご興味のある方は、そちらもぜひご覧になってみてください!

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少し本題から話が逸れてしまいましたが、本ドキュメンタリーも、ファッション写真がお好きな方なら、ぜひオススメの作品です。

アナ・ウィンターが「ニュートンは、イヴ・サンローランやカール・ラガーフェルドのようなファッションが全盛の頃に産まれてきて幸運だった」と言っていましたが、本当にそう思います。

 

そして、その幸運によって齎された写真を楽しむことができる自分たちも、また幸運です。

 

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