Posted on 04.23.22

先日書いた『KYOTOGRAPHIE, そしてアピチャッポン・ウィーラセタクン』の記事の続きです。

 

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KYOTOGRAPHIEを無事に回り終えた僕には『光りの墓』が上映される出町座に向かう前に、もう一つ行かねばならぬところがありました。

これもお客様から教えていただいてた和菓子屋『嘯月』で事前に和菓子の予約をしていたのです。

前のブログを読んでくださった方は「まだ食べ物買うんかい!」と突っ込みたくなるところだと思います。

何たって僕のリュック(だけでは入りきらなくなってたので手提げ袋にも分けて)は、パンと焼き菓子, 麩饅頭と、既に潤沢なおやつで満たされてたのですが、1週間前に電話予約した頃の自分は今こんなことになってしまってることを全く予知してなかったので、あんなに楽しみにしてた初嘯月だったのに、この時は Jonny Nash & Ana Stampの『There Up, Behind the Moon』を聴いてなんとか折れそうな心を保ちながら自転車を漕いてました。

僕の置かれていた状況を少しでも詳しく知りたいというキトクな方はGoogle Mapとかで嘯月のお店のある場所を一度調べてみてほしいのですが、自分がKYOTOGRAPHIEを回っていた河原町周辺からは絶望的とも言える距離があって、事前に調べている段階では「春の京都の心地よい風を感じながら行けたらいいか」くらいに思ってたのですが、そんな余裕はどこにもなかったです。

しかも、この後観る『光りの墓』は、とんでもなく眠気を誘う映画との評判なんです。

極度の不安症の僕は、自転車を漕ぎながら、噂に聞く嘯月を買いに行くワクワク感よりも、断然『光りの墓』で爆睡してしまわないかの心配に精神が支配されていました。

 

そんなことを思いながらなんとか嘯月に行き着いて、無事に和菓子を買いました。

僕は嘯月のことはそこまで詳しく知らないですが、長年続いてきたであろう歴史と趣を感じる素敵なお店でした。

こちらも帰ってから日本茶と一緒にいただきました。

舌があまり肥えていない僕ですが、見た目も日本の原風景のような美しさがあって、味も京都らしさを感じるとても美味しいものでした。

 

映画以外の全てのタスクを終えた僕は、また自転車に乗って出町座へ向かいました。

 

出町座に着いた僕の喉は極限までにカラカラだったので、映画の座席を確保し終えた財布に返す刀で“自家製レモンジンジャー”を購入し、一気に飲み干した頃にちょうど入場時間となりました。

 

映画館の座席に腰を下ろし、一日動き回った後の心地良い疲労感とホッと一息ついた安堵感を感じながらアピチャッポン監督の『光りの墓』を鑑賞しました。

 

 

 

 

『光りの墓』は、原因が全くわからない眠り病にかかった兵士たちが運び込まれてくる、タイ東北部の町コーンケンにある仮設病院を舞台にした作品です。

 

本作は、そんな自分の疲れた心と身体を、不思議なヒーリング効果で優しく包み込んでくれる映画でした。

 

作中の謎く眠り病を患って病室で静かに眠る患者たちのように、自分も意識が覚醒と半覚醒を行き来しているような不思議な体験をしました。(眠りかけていたとも言えます)

 

タイを舞台にした映像はとても美しくて心地良く、画面から大量のマイナスイオンを浴びているようでした。

 

スピリチュアルやファンタジーの要素はあまり得意ではないのですが、それらの要素を複雑に取り込むのではなく、床に落ちた水滴が融合し,やがて小さな水たまりになっていくような優れた芸術性で昇華しているところに、アピチャッポン監督の非凡さを感じました。

 

本作はアピチャッピン監督の母国,タイでは上映されていません。

体制批判や反戦などのメタファーを含む本作が、タイの軍事政権の権益によって許可が降りないと製作陣が判断したからです。

 

今は、ウクライナ問題が大きくクローズアップされていますが、世界には他にも問題を抱えた国が多く存在します。

僕も日本人として、日本の国家の考え方に対して疑問に思うこともありますが、世界の国々の中でみればそれは贅沢な不満なのかも知れません。

 

鑑賞後は、京阪電車に乗り込み、再び、Jonny Nash & Ana Stampの『There Up, Behind the Moon』を聴きながら、映画の優しい余韻に包まれて帰宅しました。(たまたま『光りの墓』と空気感が近かったんです)

 

仕事帰りの人達で少し混み合ってくる車内でしたが、それさえもとても心地良い時間に感じました。

本作を映画館で観ることができて良かったです。

 

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という感じの京都一日旅でした。

長文読んでいただき、嘯月の場所をGoogle Mapで調べてくださった方も(もしいらっしゃったら)、ありがとうございました!

 

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お気付きの方も多いかと思いますが、タイトルはスマパンの『メロンコリーそして終りのない悲しみ』的につけています。

 

ということで、今週のお休みを利用して久々に京都へ(もちろん一人で)行ってきました。

 

当初の目的は、KYOTOGRAPHIEを観に行くというものだったのですが、ついでに何かないかなと思って調べてたら出町座でアピチャッポン監督の『光りの墓』の上映がちょうどその日にあるということを知り、その上映時間が16:30なのでむしろそこから逆算してKYOTOGRAPHIEを回るスケジュールを組むことにしました。

さらに日頃、当店の精鋭揃いのお客様方から教えていただいてた喫茶店,パン屋,つけ麺屋,和菓子屋,フレグランスショップのオススメ店にもせっかくだから行こうと思って予定を組み立てたら、大手旅行会社のツアープランナーもビックリするような「レンタサイクルで巡る“超パンパン”日帰り京都旅」が出来上がってしまったのですが、なんとか無事に遂行してきました。

 

当日は朝早く起きて淀屋橋駅から京阪電車に乗って京都へ向かいました。

いつも電車に乗って遠くに向かう時に思うのは、「遠いところから来て下さってるお客様は、いつもこんなに時間をかけて通ってくださってるのか」ということです。

僕自身は、そもそも用事はなるべく自宅から自転車で行ける圏内(堀江から天王寺くらいまでは全然自転車で行きます)で終わらせることを最優先条件に考えてしまうタイプの人間なので、電車に乗ることも3ヶ月に1回もあるかないかの頻度だから、自分だったらわざわざ電車に乗って行く距離にある美容室に通うかと問われたら「行けたら行くわ」と言っていた友達が当日来る確率くらい非常に低いものになります。

ですが、ありがたいことに当店には大阪府外からもたくさんの方が通ってくださっています。

さすがに東京から来てくださってる方ともなると仕事のついでや帰省に合わせてという感じですが、名古屋からとかだと数名ですが髪の毛を切る為だけにわざわざ新幹線に乗ってまで通ってくださってる方もいらっしゃいます。

大阪に着いた足でお店に来てくださり、こちらが「この後、どこかに寄って帰るんですか?」と聞いても「いえ、もうそのまま帰ります」とおっしゃいます。

カットだけの為にカット代よりも遥かに高い交通費を支払って休みの日の貴重な時間も使ってはるばるご来店くださるのは、とても光栄なことです。

ですが本心を言えば、服屋さんとかハンバーガー屋さんにも立ち寄るとか、もうひとつ何か目的を入れてくだされば、僕が背負う十字架の重みも半分になるのになと思ったりもします。

それだけ自分の技術にまだまだ自信が持てないのです。

 

遠方から通ってくださってるお客様方、いつも本当にありがとうございます。

 

電車は、KYOTOGRAPHIEの開場時間の40分くらい前に到着するものを選びました。

まず、喫茶店でモーニングコーヒーを飲みたかったからです。

なんたって10時の開場時間以降は、売り出し中の若手芸人もビックリの怒濤のスケジュールが待ってるので、途中で呑気にお茶なんて飲んでる余裕はありません。

 

コーヒーが美味しいと聞いていた六曜社は、お店の雰囲気も味があってとても良かったです。

お店を構えている堀江界隈ではサードウェーブ・コーヒーを売りにするお店や、相変わらずスタバが人気ですが、個人的には濃い目のブレンドコーヒーを出してくれる落ち着いてて趣のあるお店が好きです。

前日に準備している時に、本を一冊持って行こうか悩んだのですが、きっと荷物も増えるだろうからと結局持っていくのをやめたのですが、こんなに居心地が良くてコーヒーも美味しいなら持ってくれば良かったと後悔したほど雰囲気の良いお店でした。

「ここにあと本さえあればエリック・ロメール気分になれるのに、手元にあるのがスマホじゃ、まるでギョーム・ブラック(宝島)じゃないか」と内心呟きました。

ギョーム・ブラックも良いんですけどね。

(もちろんコーヒーの写真なんて撮っていません)

 

 

と言っている間にギイブルダン展の時間になったので、京都文化博物館 別館へと向かいました。

 

 

ギイ・ブルダンは好きなファッション・カメラマンの一人だったので、知ってる写真がたくさん観れて良かったです。

会場は写真撮影OKということで、時折カシャカシャという音が聴こえてきたのですが、それはあまり気になりませんでしたが、一回インスタグラマーが使うような連写モードのカシャカシャ音が会場に響き渡った時は逆に面白いなと思いました。

こういうファッション写真やそれを観に来ている者に対するアンチテーゼの意味で、あえて連写モードで鳴らしたのかなと勘繰ったりしました。

その後、この辺りの別の会場を回り、パン屋にも寄りました。

ここで買ったパンも帰って食べたら、超絶美味しかったです。

 

 

【他に誰もいないのをいいことに、小津安二郎を意識してローアングルで撮った一枚】

 

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【イサベル・ムニョスがスペインで制作したプラチナプリントを京都で裁断し、糸に紡ぎ織り上げられた山口源兵衛作の帯】

 

 

(一部にはその枠を超えたものもあると思いますが)アニメなどの幼稚でエンタメ的なものではなく、こういうものを“クールジャパン”と呼ぶべきだと思います。

 

 

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その後に向かったのは、何必館で開催されているペンティ・サマラッティ展です。

 

 

こちらはKYOTOGRAPHIEのパスを持っていても別途1000円が必要になります。

そして、館内は一切撮影禁止です。

 

そんな映えらせられない事情もあってか、ここが一番空いていました。

(そして、決してインスタ映えするような作品でもありません)

ですが、個人的には今回京都に行って一番良かったと思えたのが、この展覧会でした。

 

あまりにも素晴らしかったので、まだこれから色々と回らないといけないのにも関わらず作品集まで買ってしまいました。

 

撮影が禁止だったことに配慮して、ここでも作品集の中の紹介はしないでおきます。

ご興味のある方は、お店に置いていますので、待ち時間などにぜひご覧くださいませ。

 

代わりにサラマッティ展を紹介している新聞の記事を載せておきます。

 

この後もアーヴィング・ペンとか観れるところは全て行きましたが、ここを上回る感動を得るところはありませんでした。

 

 

10年前の自分なら、ギイ・ブルダンやアーヴィング・ペンに狂喜乱舞していたと思いますし、美容師ならそれくらいの感性で止まっておくのが一番“オシャレ感”があって人気も出るのだと思いますが、自分はオシャレ感を出す為に観にきてるのではないですし、今のように自分の趣味趣向が変わったことは自分自身では本質というものに少し近づいた成果ではないかと好意的に感じています。

何より、より興味を惹かれるものが出てきた時に、それが何であれ無視することなどできず、徹底的に調べ上げたくなる性分です。

 

 

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自分は単なる一美容師なのですが、今ではその中でも“自分の役割”というものがあるということに気付けています。

僕自身、多くの人が手に入れたいと思うようなものにはあまり興味が湧きません。

自分がそうであるから、自分につくお客様というのも、やはり何か普通の感覚とは違うものを持った方が多いです。

そういった方は、「ベストヘアサロン」みたいな謳い文句のお店じゃ絶対に合わないんですね。

ファッションが好きでも、東京の真似事(失礼な言い方ですみません。東京などのオシャレ美容室の影響を受けているような、というマイルドな言い方にしても失礼だと思われたら重ね重ねすみません)をしているような美容室も、「モード」ではないんです。

 

自分はいたって普通の人間だと今でも思っているのですが、そういう感覚は世間では「変わり者」とみなされるようです。

 

僕自身は変わり者と思われようが、何ら気にせずに生きていけるのは、自分で自分が好きなお店ができていて、それを良いと思ってくださるお客様やスタッフがいてくれるからだと思います。

そういう意味ではとても幸運だったと思います。

 

でも、当店に通ってくださってるお客様には普段周りではそういう部分は共感されないという方も少なくありません。そういった方のほうが感性が優れているのに。

だから自分は、そういった悩みを抱えるお客様にとっても、納得のいく髪型を提供したいと強く思っています。

 

サマラッティの展覧会で“心創手追”という言葉がありました。

「“心”と“眼”が優れたものを発想し、手はそれに従い“技術”として必ず追ってくる」という意味です。

 

自分が見たり読んだりするもの。それらからどういう影響を受けたり感じるかによって、僕のカットは日々僅かに変化していくような不安定な部分があると思っています。

ですが、だからこそ他の人では出せない感覚を髪型の中に入れることができますし、それが自分が切った髪型の特徴にもなります。

何より、美容師としてのキャリアを積んできた今現在でも、自分のカットに納得できず、難しいと捉え続けることができているところに、大変ながらも面白さとやり甲斐を感じることができています。

 

そして、自分についてくださってるお客様は、そういう僅かな変化を感じ取れる方が少なくないと思っています。

だからこそ、自分自身も技術面だけでなく“心”や“眼”も休めることなく鍛えなければいけない。

半分は趣味、半分は仕事なのです。

 

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KYOTOGRAPHIEの会場の移動の途中で、お客様から教えてもらった香水屋さんにも行きました。

 

そのお客様も相当にコアな方で、この人が勧めるお店ならきっと面白い方がされているのだろうと思って行きましたが、いや流石でした。

店主さんお一人でされている小さなフレグランスショップでしたが、香りへの探究心がズバ抜けてるのはすぐにわかりました。

家電量販店でも、説明を聞いてるだけで「この人家電相当好きなんだろうな」と思う方がいらっしゃいますが、まさにあの感じです。

そしてセレクトされている香水も、とても魅力的なラインナップでした。

最初に好きな香りのタイプを聞かれたので、それに答えていくつか紹介してもらってたのですが、もう途中から好みの香りなんてどうでも良くなって、それぞれの香水のインスピレーションや作られた背景についての部分がとても興味深くて、結局ダンテの“神曲”を香りで表現したという香水を香りのテスティングもあまりしないままに買って帰りました。

なんたって僕には時間がなかったのですが、ここの香水屋さんはまた次回は時間に余裕を持って再度訪れたいです。

最後に店主さんに「きっかけは何だったのですか?」と尋ねたのですが、「高3の時に母に買ってもらったブルガリのプールオム・ブルーです」と何の恥ずかしげもなく、むしろ威風堂々と答えてくれました。

もうこの一言で、この人が相当レベルの人であることはわかります。

 

僕が中学時代に一番良く聴いてたのがB’zやZARDだったのを言えるようになったのはここ最近の話で、それでもそれを聞いた相手が全然笑ってくれないとまだ内心ちょっぴり恥ずかしくなります。

 

この時点で僕のリュックは、この日買った写真集やポストカード, 香水, パン, 焼き菓子,奥さんにお土産に頼まれてた麩饅頭などでパンパンになってて、ハンデ戦に出走したG1馬の背負う斤量くらいの重さに感じてて、朝の時点で「持ってくれば良かった」とかほざいていた本を持って来なくて心底良かったと思っていました。

 

まだ映画の話は書けてないのですが、美容師の書くブログの長さの域を遠に越してると思うので、またそれは記事を分けて書きたいと思います。

 

長文読んでいただき、ありがとうございました。

ANNETTE

2022.04.05.

Posted on 04.05.22

先週の日曜日の夜は、レオス・カラックス監督の新作『ANNTTE』を観てきました。

 

 

ダイナソーJr.の『FREAK SCENE』を観に行った時とは打って変わって、朝からスタッフ全員ジャック・バウワー並にフル稼働しないといけないような忙しいサロンワークを終えてから行ったので、眠たくなってしまわないか不安でした。

 

というのも、僕はエモーショナルな感性が鈍感なこともあってかミュージカル映画というものが元来あまり得意ではないのです。

 

本作はカラックスの久々の新作ということで映画館に行きましたが、不安要素は他にもあって、箇条書きにすると、

1.ミュージカル映画であるということ

2.カラックスなのに英語作品であるということ

3.出演している俳優も超有名であるということ

 

特に、1と3のハイブリットは、俳優がオペラ歌手やソプラノ歌手とかじゃない限り、欧米食材のみで作った本格和食くらい興味が湧かないです。

 

そして、その不安は見事に的中して、自分にはちょっと合わないなと思った作品でした。

 

アダム・ドライバー演ずるコメディアンのステージ、全然面白くないし。

ライブでバンドのヴォーカルが合間に入れるMCレベルのジョークを、ただただ乾いた表情で観ていました。

 

バイクや車の後部座席のシーンなど、随所にカラックスらしさは健在でしたが、ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』に続き、個人的にはちょっと方向性にガッカリ感を感じてしまいました。

 

 

今回は心斎橋パルコの上に入ってるシアタス心斎橋で観たのですが、僕は今のパルコが心斎橋に再オープンした時にあまりのミーハーオシャレ具合に“おもんなパルコ”と自分の中で命名したのですが、この日の夜もパルコに入ったらイケイケMCのマイクサウンドとダサいイケイケ音楽が爆音で流れていました。

時刻は20:30を回ってたので、アパレルのテナントは既に閉まってたのですが、おもんなパルコでは毎夜閉店後こんな沢尻みたいなことになってるのかと、畏怖の念を抱きつつ足早にエレベーターへと向かいました。

自分がこの先、幸運にも石油を掘り当てた暁には、正式に心斎橋パルコの命名権を取得して『マジおもんなパルコ』に改名したいと思います。

 

おもんなパルコでおもんなテネットを観ることになるとは、夢にも思いませんでした。

(あくまで個人的な感想です。しつこくてスミマセン)

 

シアタス心斎橋は、シートの座り心地も良く、隣のシートとの視界が遮られているなどプライベート性もあってとても良かったです。

 

エンドロールの演出に従って、このテネットのガッカリ感を数少ない友達(というかお店に来てくださる映画好きのお客様)に伝えようと思います。

FREAK SCENE

2022.04.01.

Posted on 04.01.22

3月最終日の昨日は、夜の予約が全く入らないという、美容師としては今がまさに油が乗り切っているであろうキャリアにある僕としては、座禅を組んで肩に気合を入れてもらわないといけないくらい由々しき事態にあったのですが、今週もし早く終われる日があったらと虎視眈々と狙ってたのがシネマートで上映されているダイナソーJr.のドキュメンタリー映画『FREAK SCENE』です。

 

 

ヤケ酒ならぬヤケ映画という感じで観るならまだ情状酌量の余地があるのですが、美容師を生業にしているにも関わらず、あわよくば平日の夜8時スタートの映画を観に行きたいと思ってしまっている時点で、僕の美容師としての末路が悲惨なものになるのは想像するに明らかです。

当日の15時くらいまでは「チャンスあるかな」とささやかに期待してたくらいでしたが、19時くらいには『Bug』を流しながら「絶対に今日行くんだ」という強い気持ちに変わっていました。

 

 

今の場所にお店を移転した時、ひとつの節目にと思ってV:oltaオリジナルのジェルを作ったのですが、その商品名に“Grunge Couture”(グランジクチュール)と名付けました。

 

 

薄汚くみすぼらしいという意味を持つ「グランジ」と、繊細な手作業による高級な仕立ての「クチュール」、相反する要素を持ち合わせたような質感をイメージして作ったのですが、音楽性を持たせる言葉も入れたいという意図もあって自分の好きなジャンルのひとつである“グランジ”から着想を得たところがありました。

 

音楽でグランジといえばニルヴァーナが最も有名ですが、僕はニルヴァーナよりダイナソーJr.、カート・コバーンよりJ.マスシスがよりお気に入りでした。

(もちろんニルヴァーナもたくさん聴きましたし、カート・コバーンのドキュメンタリー映画もおそらく全部観ています)

このジェルの持つグランジのイメージは、まさにダイナソーJr.でした。

 

というのが、昨日仕事を早退した僕の幼稚な言い訳です。

 

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boidsoundでの上映も今回初めて体感したのですが、とても良かったです!

(シネリーブルの「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」をodessaで上映するのだけは全く意味がわからなかったですが)

 

マスシスがカート・コバーンにニルヴァーナのドラムとして誘われたのは音楽好きの間では有名な話ですが、マスシスは学生時代レコードを45RPMで高速再生させてドラムの練習をしていたらしいです。

劇中でマスシスがマイブラのケヴィン・シールズと共演して“thorn”を演奏しているシーンがあったのですが、映像だけでも鳥肌が立ちました。

 

グランジやスケーターのカルチャーが謳歌していた当時のシアトルの空気感というのは、やはり良いものですね。

 

久々にダイナソーをガッツリ聴き返したくなりました。

(というか、行く時からダイナソー聴きながらテンション上げてたのですが…)

 

ちなみに、同じ時間に映画を観にきてたのは全員で15人いないくらいで、ほぼ男性でした。

(そのうちの一人は当店のお客様で、帰りは途中まで一緒に自転車を押しながら帰ってきました)

ダイナソーJr.は、そういうバンドです。

なんたってヴォーカルのルックスが(世間一般的には)イケてないんですもの。

 

自分は、美容師として女性のお客様もしっかりと狙っていかないとさすがに生きていけないですが、美容室として目指すべきはニルヴァーナよりもダイナソーJr.の姿だと改めて思いました。

 

マスシス最高!

 

Posted on 02.16.22

10年前にパリのmaison martin margiela のフラッグショップで買ったメゾン初の香水“untitled”のリミテッド・エディション。

 

 

日本では同名のミセスブランドがあるということで商標許可が下りず、“untitled”の表記が省かれ、透明のボトルの底辺を白いインクでディップさせたようなデザインで販売されました。

 

このシルバーで覆われたリミテッドエディションは、日本では手に入らなかったと思います。

 

たまたま発売されたタイミングでパリを訪れて購入することができました。

これはデザインが気に入って買ったので、一度も使わずに(日本で売ってる限定じゃないタイプのものを買って使用していました)置いていたのですが、入ってた袋を匂うとさすがに少し酸っぱさが出てきていました。

 

あと20年くらい寝かせてから開封したら、あの浦島太郎をも超越する体験ができるやも知れません。

ぜひその際は、沢尻エリカかピエール瀧かノリピーに差し入れしたいと思います。

 

今は空前のマルジェラブームなので、僕の中の悪魔が「メルカリに出せ」と囁いてくるのですが、そこははを食いしばって自重して、パリの思い出と共に大切に残しておくことにしました。

 

せっかくなので、お店に飾っておこうと思います。

見かけたら声をかけてあげてください。

 

年末のご挨拶

2021.12.30.

Posted on 12.30.21

今年もコロナ禍の一年となってしまいましたが、そんな中でもV:oltaは顧客様を始め、たくさんの方に支えていただき、今年も無事に一年を締めくくることができました。

V:oltaをご愛顧いただき、本当にいつもありがとうございます。

 

 

世界はコロナを経験して、今また新しく歩き出そうとしています。

自分たちもコロナを経験したことで、自分たちができること, すべきことを改めて見つめ直せるきっかけになりました。

 

 

社会は、コロナによってデジタル変革が7年早く進んだらしいです。

V:oltaにも様々なお仕事のお客様が通ってくださっていますが、リモートワークやデジタル化など働く環境が変わったという声も少なくありません。

美容師はどうかというと、感染対策をより徹底するようになった以外はやるべきことはそんなに変わっていません。

 

むしろ僕なんかは、機械化, 簡素化が進む中で、手仕事という職業により魅力や誇りを感じるようになりました。

その割にSNSとかで髪型を調べても、日本人のヘアスタイルでは同じようなテイストのものばかりが出てくるのではないでしょうか?(僕は日本人のスタイルは調べないですが)

美容師もせっかく手仕事の職業なのに、もっとそれぞれが違っててもいいのにとか思ってしまいます。

 

 

例えばお皿とかでも工場で作られた一分の狂いもない綺麗なお皿よりも、たとえデコボコでも職人の手作りの温かみが感じるようなお皿の方が、僕個人的には魅力を感じます。

自分もそんな仕事がしたいと思ってこれまで取り組んできました。

 

僕自身のカットは誰にでも必要とされるようなものではないと思います。

ですが、万人受けするようなものには決して備わっていない、“独特の風合い”みたいなものは年々出せるようになってきたのではないかと思います。

 

日本には古くから“乙”という言葉があります。

“乙”の上には“甲”があります。

 

有名な茶人に千利休という人がいますが、利休は豊臣秀吉の筆頭茶人を務めていました。

大名や皇族など、身分の高い人に茶を出す場合、“甲”のしきたりに沿った茶の入れ方をします。

最上級の茶碗や棗、掛け軸や花瓶であしらわれた茶室で、「これが最上級」だと決められた手順に則って茶を入れます。

茶を飲む側の偉い人は、それが満足で、それより劣るもてなしをされようものなら切腹を言い渡すくらい無礼なことになるので、茶人たちは最上級のもてなしができるように腕を磨きます。

 

しかし、利休をはじめ古田織部など、既にその域に達した優秀な弟子たちにとっては、もはや形式的な“甲”のもてなしばかりでは退屈で、芸術肌が多い茶人達同士のお茶会ではその“枠からはみ出た”もてなし方で互いに腕を競っていました。

 

例えば、柱にかける花入れには立派な竹を切ったものが使われますが、利休はある日、竹藪で雪割れをした竹を見つけます。

雪割れとは、雪が降るほど寒い日には、その冷気によって竹がパーンと割れ、その節と節の間に割れ目ができることを言います。

利休が見つけた雪割れの竹はあまりにも立派な割れ方をしていたので、それをあえて花入れにして使いその割れ目が表になるように配した(本来なら雪割れした竹は花入れには不良品なので使えない)と言います。

利休に招かれた茶人たちは、その裏を書いたような発想を目にして感服するわけです。

これが“乙”のおもてなしです。

今でもたまに使われる「乙だね」というのは、こういうところから由来がきています。

 

僕が“甲”のカットができるかと問われたら、筆頭茶人になれるような自信は決してないのですが、それでも基礎のカットもしっかりと教えてもらったので、今“甲”以上の“乙”を狙うことができているのだと思います。

 

まだスタイリストになれていないアシスタントの子や美容学生には、早くスタイリストになることが決して重要ではないと言いたいです。

スタイリストとして平均より上を目指せるような基礎の技術をしっかりと身につけた上でデビューする方が、美容師としてのキャリアを長く成功させる為には大切なことだと思います。

 

こんな美容師としての教訓みたいなことを言いだしてるあたり、自分も歳を取ったのだなと痛感している今日この頃です。

 

少し話がずれてきましたが、僕が理想のヘアスタイルを追求していくにつれて“正攻法”の枠を越えたようなカットにも日々挑戦できているのは、お客様が僕を信頼して任せてくれているということもありますが、それ以上に、僕自身がV:oltaに通ってくださっているお客様の知性や感受性を絶対的に信頼してるからこそ、自分が「良い」と思ったスタイルを臆することなくお客様に提供できています。

 

今までお店をやってきて何よりも誇れるものは、ヘアデザインの技術でもモードな感性でもなく、V:oltaに通ってくださっているお客様の“質”です。(言い方が良くないかも知れないですが)

そう心から思えるようなお客様方に通っていただいていることが、自分が少しだけ自信を持つことができているほぼ唯一の要因です。

 

まだまだ道半ばですが、これからも美容師として、美容室として、もっと高みを目指せるよう、来年以降も精進して参ります。

 

今年も一年間、本当にありがとうございました。

また来年もV:oltaをどうぞよろしくお願いいたします。

 

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

 

V:olta  代表     中田 大助

 

 

Posted on 12.27.21

先日音楽の年間ベストを書いたことでタイピング・ハイ状態になっているので、僕の今年観た映画の中からも年間ベストをご紹介したいと思います。

と言っても新作は一切なく(ひとつ入れるとしたらアメリカン・ユートピア)、あくまで僕自身が今年中に観た過去の映画ばかりなので、どうぞご了承くださいませ。

原則として、一人の監督につき一つの作品という縛りを勝手に設定しています。

 

今回も老体に鞭打って、ドドンとbest15からいきたい所存であります。

 

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15th/ クシシュトフ・キエシロフスキ – トリコロール/赤の愛

 

フランス国旗の色である「青(青)・白(平等)・赤(博愛)」をテーマにした、トリコロール三部作の最終章。

 

それぞれの作品で、テーマとなる色が画面に多用されており、映像の色彩だけでも魅了されます。

本作のテーマは“博愛”

3部作とも今年観ましたが、僕はこの最終章が一番好きでした。

全ての作品に共通するワンシーンがあるのですが、完結編での見せ方の変化でも微笑ましい気持ちになりました。

 

来年こそは、部屋で眠らせている『デカローグ』シリーズにも手をつけていきたいです。

 

 

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14th/  ビクトル・エリセ – ミツバチのささやき

 

舞台は1940年、スペイン内戦が収束した直後のカスティーリャ地方の小さな村、姉イザベルと暮らす6歳の少女アナは、移動巡回映写で上映された『フランケンシュタイン』を観て怪物に興味を持ち、姉イザベルはアナに「あの怪物は本当は精霊で村の外れの一軒家に隠れている」と囁く。

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本作の主人公を演じた当時5~6才のアナは、撮影時これが映画のために作られたストーリーだという“虚像”と、実際の“現実”との区別が半ばついていない状態だったらしいです。

そんなアナにとっては半分ドキュメンタリーのような映画の後半で、本人が実際にフランケンシュタインに遭遇するというシーンは、あの名作『E.T.』の名シーンよりも遥かに感動しました。

究極のファンタジー的演出でもあり、物心つくかつかないかの純粋な心だからこその好奇心や恐怖心などの繊細な感情がストレートに表れた、アナにとってはまさしく“演技”ではなく“現実”の表情でした。

 

固定カメラでの映像も非常に美しかったです。

ラスト近くの、手の動きで繋がれるシークエンスもとても印象的で、素晴らしい余韻の残る作品でした。

 

 

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13th/  クロード・ランズマン – SHOAH

 

 

第二次世界大戦時のホロコーストのユダヤ人被害者,ナチス側の加害者, ナチスの手下となって生き残る道を選んだ者など、あらゆる立場で生き残った者達に証言インタビューを試みたドキュメンタリー作品。

反戦映画では、日本映画の『人間の條件』も観ました。

『SHOAH』は9時間27分ありますが、『人間の條件』はそれを僅かに超える9時間31分あります。

 

この人類が起こしてしまった残虐な歴史を繰り返さないように、どちらの作品も時代の教訓としてぜひ多くの人に観てほしいです。

 

 

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12th/ ジャック・ロジエ – アデュー・フィリピーヌ

 

ヌーヴェルヴァーグの傑作と謳われている本作。

DVDに付いていた蓮實さんの解説に「本作は、映画の存在を前提として撮られた映画ではない」とのことが書いてありました。

本当にその通りの映画でした。

今まで観た(大して観れてないですが)どのヌーヴェルヴァーグ作品よりもヌーヴェルヴァーグしてました。

 

自由で瑞々しく、そして軽やか。

 

 

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11th/  ケリー・ライカート – ミークス・カットオフ

 

今年はケリー・ライカート特集があったおかげで、彼女の主要作品を全部観ることができました。

どれも良い映画でした。

その中でもひとつ挙げるなら本作です。

果てしなく広がる荒野をただひたすら歩く女性達、その姿がなんとも叙情的で美しい。

 

ライカート作品は、来年はじめにU-NEXTでも配信されるみたいなので、今回見逃したという方はそちらでもぜひご覧になってみてください!

 

 

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10th/  ルイス・ブニュエル – エル

 

40歳,童貞,金満,足フェチ男の、妻を愛し過ぎるが故の妄想と憎悪に塗れた狂気の嫉妬劇。

本作の主人公には自分を投影しているところがあると言っているくらい、ブニュエル自身もやはりヤバい奴なのでしょう。

だからこそ面白い。

 

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9th/ ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー – 不安は魂を食いつくす

 

ファスビンダーが撮ったメロドラマ。

メンタル弱男の僕からすれば、タイトルからして唯ならぬ共感を覚えます。

 

周囲から向けられる自分への態度の変化や疎外感による不安は、どれだけ必死に耐えてもやがて精神を根っこから折られるような感覚ではないかと思います。

インターネットの匿名性を武器に特定の人を叩くような現代人の行為は、もっと卑怯です。

 

インテリアの色使いや、扉越しの室外からのフレーミングなど、映像もとても美しいです。

数あるファスビンダー作品の中でも、かなり観やすい部類に入るのではないでしょうか。

「幸せが楽しいとは限らない」

 

 

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8th/  オリヴィエ・アサイヤス – 冷たい水

 

アサイヤスの自伝的作品。

自分が観てきた(と言ってもそんなに多くはない)青春映画の中でもトップクラスに好きな作品でした。

35mmフィルムで撮られた魅力的な映像の質感と、忙しなく動くカメラワークが、10代の危うさや衝動を見事に表していました。

但し、自分にもし娘がいて、こんな男と付き合ってたらブチ切れると思います。

 

 

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7th/ ヴィム・ヴェンダース – 夢の涯てまでも

 

これは先日映画館で観てレビューを書いたところなので、詳しくはそちらを見てください。

ヴェンダースの映画は映像も音楽も、全て素晴らしいです。

オルタナティヴ・ロックとか好きで、まだヴェンダースを観たことがないという方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。

きっと感性が合うはずです。

 

 

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6th/  ミヒャエル・ハネケ – セブンス・コンチネント

 

タイトルの“セブンス・コンチネント”は「第7の大陸」の意。
とても秀逸なネーミングセンスのデビュー作です。

ハネケのヤバさの本質は、『ファニーゲーム』よりも本作に現れていると思います。

映像の質感も、新しいものよりも初期の頃のものが好きです。

 

現代の人間は日常のとるべき行動に支配され、全てを破壊していく後半は「人間にとっての“浄化行為”」とまで表現するハネケは、知的ですが心底狂っています。

 

 

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5th/  シャンタル・アケルマン – ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン

 

これはカンヌ映画祭の女性監督特集で日本でも再上映され、映画館で観ることができました。

主人公ジャンヌ・ディエルマンの3日間を3時間を超える長尺にて描いた作品。

当時カンヌに衝撃を与えたというだけあって、もの凄い映画でした。

ほぼ室内での映像で、カメラは固定され、役者の行動の省略を一切省いたかのような、まるで監視映像を観ているかのような長回し。

でも、不思議と全然観ていられます。

むしろ興味深く凝視するくらいでした。

 

ラストの長く静か過ぎるシークエンスも素晴らしかったです。

 

 

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4th/  アンドレイ・タルコフスキー – 鏡

 

タルコフスキーの自伝的作品。

作者自身の過去の記憶のイマージュや当時のロシア社会の暮らしの様子が時間軸を行き来しながら断片的に構成され、かなり難解な作品ですが、素晴らしい作品だと思いました。

 

冒頭の風が吹き抜ける奇跡のようなシーンだけでも鳥肌ものでした。

ラストで流れる“マタイ受難曲”もマジ良かったです。

 

 

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3rd/  エリック・ロメール – モード家の一夜

 

エリック・ロメールは作品を観る度に、その面白さに引き込まれていっています。

今年も一作ごと噛み締めるように、いくつかの作品を鑑賞しましたが、その中でひとつ挙げるなら本作です。

 

ブレーズ・パスカルの生誕の地、オーヴェルニュ地方の都市クレルモン=フェランを舞台に、カトリック教徒で堅物の主人公と、彼が心惹かれた二人の女性との物語を描いています。

 

パスカル哲学やキリスト教にそこまで詳しくない(今頑張って勉強中です)自分でも十分楽しめる会話劇でした。

カラーも使えた時代にあえてモノクロで撮影された映像は、ヴォルヴィック産の溶岩石で建てられたグレーの家が並んだモノトーンの景観をより美しく見せる為のもの。

派手な色の看板はどけられ、室内は壁紙からインテリア、登場人物の服装まで白黒に統一するという徹底ぶり。

 

知性と教養を備え、女性の繊細な恋心から人間らしい煩悩や猥雑さも描くことができ、色使いやファッションのセンスも良く、挙げ句の果ては抜群のユーモア性も持ち合わせる男、エリック・ロメールの右に出るような人物は今後の映画界でも出てこないのではないでしょうか。

 

 

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2nd/  ロベール・ブレッソン – 白夜

 

『やさしい女』のレビューでも書きましたが、僕はブレッソン作品は(もちろんモノクロも素晴らしいですが)カラーの方がより魅力を感じています。

そして、パリの街並みをこれほどまでに美しく映し出している作品は観たことがありません。

ポンヌフ橋を舞台にした作品では、カラックスの『ポンヌフの恋人』も名作ですが、本作はそれをも上回る映像美でした。

端正でいて、妖艶。

あえて全てを写さないフレーミングや、映像のカラーリングなど、そのセンスにはうっとりゆえの溜息さえも出ないくらいに素晴らしかったです。

 

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1st/  ジャン・ユスターシュ – ママと娼婦

 

本作が今まで観てきた映画の中で、個人的にはナンバーワンです。

 

ブティックを経営する自立した年上女性のマリーと、性に開放的な若き女性ヴェロニカ、そして定職にもつかずマリーの家に転がり込んでいる身でありながらヴェロニカをナンパする主人公アレクサンドルの奇妙な三角関係。

そして言い得て妙なタイトル『ママと娼婦』

登場人物を映す35mmを使用したカメラは気張ってる感じが全くなくリアリティがあり、それでいて映像は抜群に素晴らしい。

5月革命直後のフランスの空気感を、220分のうちの大半を室内シーンに費やして映し出す。その構成のセンスにも痺れます。

 

音楽界などでは自殺してしまった才能あるアーティストは少なくないですが、映画界ではあまりいないと思います。

ユスターシュが自殺してしまったのは大変残念なことですが、それくらいギリギリの感性と才能を持った監督が遺した作品を観ることができるというのは、イチ映画ファンの僕にとっても最高の体験をさせてもらいましたし、ユスターシュのことを心から尊敬いたします。

 

 

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自分は食べ物を食べる時は一番好きなものを最後に残すタイプなのですが、こうやってみてみると映画に関しては割と観たいものから観てるなと思います。

そして、今年のbest 3はそのままオールタイムベストになりました。

 

音楽はここ10年くらいは、最新のインディミュージックをメインで聴いてるのに、映画は最近古いものばかり漁っています。

音楽でも、Joy DivisionやTalking Heads, The Velvet Undergroundなど、前の時代の素晴らしい音楽に出逢いだした頃は夢中になって過去の音楽を掘りましたが、今僕は映画で同じことをしています。

 

これまでヌーヴェルヴァーグなどを大して観てこなかったのは、そもそもそこまで辿り着いてなかったのもありますし、多分当時の自分が観ても(今以上に)あまりうまく理解できていなかったと思います。

年齢を重ねていく中で、こんな僕でも少しずつですが知識や教養を身につけていこうとする中で、徐々にエスプリの効いた作品も理解できるようになってきたのだと思います。

 

僕自身も、より一層エスプリの効いたカット(笑)ができるように頑張ります!

 

紹介した作品にご興味の湧いてくださった方は、正月休みの間にでもぜひご覧になってみてください!

年度代表盤 2021

2021.12.24.

Posted on 12.24.21

今年も早いもので一年が終わろうとしています。

去年から続くコロナ禍において、今年も音楽は変わらず世界中の音楽ファン達を楽しませ、その心を癒してくれました。

 

自分自身の毎年のルーティーンのひとつとなっている年度代表盤(年間ベストアルバム)の発表を今年も記しておこうと思います。

 

今年は並々ならぬ気合を入れて15枚ご紹介します。

 

ご興味のある方は、よろしければ見ていってください。

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15th/  The Goon Sax – Mirror II

 

James Harrisonを中心とするブリスベンの男女トリオ、Goon Sax。

性格に似合わずポップも大好き美容師の僕は、アルバムを再生して一曲目の“In the Stone”のイントロが流れた瞬間にレコードに“いいね!”ボタンが付いていたら激押ししていたと思います。

(逆にSNSでは“いいね!”ボタンは絶対に押さないという独自のルールを採用しています。フォロワーの皆さまにはスミマセンの気持ちと、ご理解をお願いいたします)

タワレコの試聴機とかにもそんな機能をつけたらいいのに。

日本の灰野敬二や裸のラリーズにも影響を受けたらしいですが、僕には影響受けたバンド聴かれてカッコつけてそう答えて、裏ではこっそりThe Vaselines聴きまくってる奴としか思えません。

そして、そういう奴ほど最高な音を作ります。

 

 

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14th/ Pavel Milyakov & Yana Pavlova – Blue

 

Buttechno名義でも活躍するロシア地下テクノシーンの中心人物, Pavel Milyakovとウクライナ・キエフ在住の女性アーティスト,Yana Pavlovaによる共作。

アンビエント, バレアリック, ジャズ, サイケデリック, ブルースなどのエッセンスを織り混ぜ、Yana Pavlovaの妖艶で幽玄的なヴォーカルで昇華する。

 

Buttechno作品も毎回楽しみにしていますが、それらとは趣向の違う本作もとても良かったです。

 

 

 

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13th/ 박혜진 Park Hye Jin – Before I Die

 

韓国出身、メルボルンとロンドンを経て、現在はLAを拠点に活動するPark Hye Jinのデビュー作。

BTSやBLACKPINKのことは名前だけギリ知ってますが曲は一曲も知らないしそもそもあまり興味が湧きませんが、韓国のアンダーグラウンド・シーンにはこのPark Hye Jin以外にもYeajiやPeggy Gouなど良いアーティストがたくさん出てきていて、僕はそっちの方が断然興味があります。

 

本作も素晴らしいデビュー作でした。

 

 

 

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12th/ Andy Stott – Never the Right Time

 

Andy Stottは、作品を全部レコードで買ってるくらい大好きなアーティストの一人です。

本作では、長年のコラボレーターであるAlison Skidmoreがヴォーカルとリリックで参加。

Andy Stottらしい退廃的でエレガントな音に、アリソンの美しく儚いヴォーカルが溶け合い、これまでの作品の世界観を損なうことなく、また新しい形を提示してくれました。

 

 

 

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11th/ The War on Drugs – I Don’t Live Here Anymore

 

僕はコロナの少し前あたりから、今まで観てこなかった昔の映画とかをよく観るようになったのですが、今では昔の映画監督の方が断然好きな監督が多くて、それらの監督の多くはもう既に亡くなっていたりするので、残された作品を一つずつ大事に噛み締めるように観ているのですが、同じ監督の作品をいくつか観ているとその監督らしさというものがわかってきて、それくらいまで(と言っても最低限ですが)監督のことが理解できるようになってからまた次の作品を観ると、映画が始まったあたりで「やはりこの監督の作品だな」と不思議な安心感を覚えるようになってきます。

なんでそんなことを書いたかと言うと、このThe War on Drugsの新作を聴いた時にも似たような安心感を覚えるからです。

 

それって作り手が凄いレベルにあるから、そう思わせることができるんだと思います。

 

 

 

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10th/ DARKSIDE – Spiral

 

エレクトロニック界の重要人物の一人,Nicolas Jaarとマルチ奏者のDave Harringtonによるユニット,DARKSIDEの8年ぶりにリリースされた新作。

 

ニコラス・ジャーの高音だけど時折かすれ声のようなハスキーさも感じさせるヴォーカルに、デイヴ・ハリントンの色気あるギター。(わざと出しているであろう)コードチェンジの際の不協和音のような音さえも魅力的。

 

 

 

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9th/  Shame – Drunk Tank Pink

 

今年もキラ星の如く出てきたサウス・ロンドンを中心とする新たなロックシーンから、今年の幕開けを飾ったようなShameのデビュー作。

Shameの他にもBlack Country, New Road、Dry Cleaning、Black Midiなど、他にも素晴らしいロックバンドがたくさんデビューした年でした。

コロナが明けたら、これらのバンドもいつか生で観てみたいです。

 

 

 

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8th/ Smerz – Believer

 

Shameに続き、こちらもデビュー作。

こちらは近年盛り上がりをみせてるノルウェーの地下シーンから。

民族音楽、オペラ、ミュージカル、クラシックなどをハイブリットさせ、次世代の音へと昇華させています。

一部でポスト・ビョークとの声もありますが、ビョークには「全然違うし!」とか言われそうです。

でも、ビョークみたいになれなくても、十分に将来を期待できるアーティストです。

 

 

 

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7th/  Jeff Parker – Forfolks

 

TortoiseやChicago Underground Quartetなどでも活躍するギタリスト, Jeff Parker の新たなソロ作。

これがまたミニマルなアンビエント・ジャズで、とても良いんです。

雪が降るくらい寒さが厳しい日の夜に、暖房の効いた家で食べるクリームシチューくらい暖かいです。

 

 

 

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6th/ Grouper – Shade

ポートランド生まれのシンガー, Grouperの15年にわたる楽曲のコレクション。

今年も続くコロナ禍において、気づけばアンビエント系の音楽を聴くことが多かったように思います。

Grouper曰く、本作は「休息と海岸についてのアルバムだ」ということです。

 

来年は、静かに海を眺めに行こう。

 

 

 

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5th/ Snail Mail – Valentine

 

U.S.インディからのネクストブレイク筆頭株,Snail Mailの新作。

Haimが去年『Women In Music Pt. III』をリリースした時、相撲の幕内力士が三役に上がった時のような貫禄が出たように感じたのですが、Snail Mailの本作にも早くも同じ雰囲気が出てきているように感じました。

少ししゃがれた声も魅力的。

まだ若干22歳にして、この大人びたムード。

どこまで成長していくのか楽しみです。

 

 

 

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4th/ SAULT – NINE

 

UKの覆面ユニットSAULT(ソーと読むらしい)の最新作。

本作は、99日間限定のストリーミング、同期間のみ購入可能なアルバムとしてリリースされました。

『5』『7』『UNTITLED (RISE)』『UNTITLED (BLACK IS)』ときての本作『NINE』

どれも外しません。

近年、UKのエレクトロニック・シーンでもジャズやファンクを軸とするような作品が最新トレンドのひとつとなっています。

SAULTはそれらの新進気鋭のアーティスト達の中でも、新時代の旗手となり得る存在だと思います。

 

 

 

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3rd/ Space Afrika – Honest Labour

 

UKはマンチェスターの音響デュオ, Space Afrikaの19トラックに及ぶ新作。

ひとつ前に紹介したSAULTもそうですが(これがギャグっぽく思えるようにわざわざ上でSAULTの発音の仕方まで書きました)、Burial以降のUK地下エレクトロニック・シーンの最新形を体現する作品のひとつだと思います。

と書いて今回のランキングにDean Bluntの新作を入れるのを忘れてしまってることに今気付きました。

この年末の忙しい中、今更直すのは心と魂が折れて年を越せなくなるので、瞬時に諦めることにしました。(他に忘れている作品もあるかも)

入れるならトップ3に入ってるかも知れません。大失態です。

 

 

 

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2nd/ His Name Is Alive – Hope Is A Candle

 

このアルバムは今年よく聴きました。

His Name Is AliveことWarren Defeverによる初期未発表音源集3部作の3作目。

静かで美しいアンビエント作品。

本作は1985 – 1990の間にレコーディングされた楽曲,13曲から成ります。

こういった当時の時代には斬新過ぎて、気付かれずに取り残されていた楽曲が近年コアな音楽愛好家達に発掘され再評価されています。

まだまだ出会えていない古い時代の良きものは音楽だけでなく、この世にはたくさんあるのでしょう。

 

 

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1st/ Arca – 『KICK ii』『KicK iii』『kick iiii』『kiCK iiiii』

 

ベネズエラ出身ロンドン在住の奇才,Arcaことアレハンドロ・ゲルシによる、年末に怒涛のようにリリースされた4連作を少しズルいですがまとめて今年の年度代表盤に選びたいと思います。

 

正直、こんな忙しい時期に一気に4枚もリリースするので、まだまだ聴きこめてないのですが、なんか聴くアルバム全部良いし、何より新作アルバム一気に4枚なんてまるでサンタが大きな袋にプレゼントをギュウギュウ詰めにしてくれたみたいな気分で、年甲斐もなく少年のようにテンションが上がりました。

そう、少年のように…

 

 

 

 

 

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年齢を重ねてきても、音楽や映画,ファッションなど、未だに少年のようにときめくことができている自分は幸せ者だと思います。

 

そして、プライベートでは自分の趣味を共有できるような友達は半生を通してもかなり少なかった(元々の友達もかなり少ない)ですが、独立してV:oltaをオープンさせてから今日に至るまで、お店を自分の趣味全開にしたことで、同様の趣味を共有できるたくさんのお客様と出会うことができ、大好きな趣味の話を仕事しながらできているという現状が本当に幸せでなりません。

 

また来年も素晴らしい音楽に巡り合えることを期待しています。

メリー・クリスマス!

 

 

夢の涯てまでも

2021.12.10.

Posted on 12.10.21

先日のお休みは、再びテアトル梅田へ今度は雨が降ってなかったので得意の自転車で出向いて、ヴィム・ヴェンダース監督のディレクターズカット版『夢の涯てまでも』を観てきました。

 

 

 

今、テアトル梅田では“ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ”特集が組まれており、『ベルリン・天使の詩』や『パリ、テキサス』などの名作がレストア版にて映画館で観ることができます。

 

 

パンフレットも洒落ています。

 

僕はヴェンダースの作品はだいたいは観ているのですが、本作『夢の涯てまでも』はまだ未見で、しかも今回はディレクターズカット版ということで、その上映時間は驚異の5時間弱!

観に行く心が折れないように、今回は前売り券を購入していました。

しかも嬉しいポストカード付き!(別の作品のやつでしたが)

 

 

『夢の涯てまでも』は上映時間が鬼長なので、前売り券は2枚必要でした。

 

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僕自身、5時間もある映画を映画館で観るのは初めてだったので、事前にコンビニで(テアトルで水を買うと220円もするという衝撃の事実を先月知ったところなので)水とコーヒーと(10分休憩の間に手早く外に出て食べられるように)おにぎりと(頭の糖分補給に)フィナンシェを買ってカバンに詰め込み、さらに念の為家から頭痛薬も持ち込んで万全の体制で臨みました。

 

お尻に筋肉も脂肪もあまりついていないという体型的な不利も抱えているのですが、そこは金魚すくい名人の華麗なポイ捌きの如く、お尻にかかる体重の重心の場所をこまめに移動させることでダメージを分散させることでなんとか耐え切りました。

案の定、後半には頭痛が発生しました。

備えあれば憂いなしです。

 

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本作は、近未来SF作品。

1999年。軌道を外れたインドの核衛星の墜落が予測され、世界は滅亡の危機に瀕していた。そんな中、ヴェネツィアからあてもなく車で旅に出たクレアは、お尋ね者のトレヴァーと運命的に出会う。正体も明かさず目的不明の旅を続けるトレヴァーに惹かれたクレアは後を追い、東京でようやく追いつく。そして、トレヴァーが父親の発明した装置を使って世界中の映像を集め、その映像を盲目の母の脳に送り込もうとしていたことを知る。

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オープニングのTalking Headsに始まり、シーンに合わせたサントラのセレクトが見事でした。

映像もバチコンと決まっております。

 

前半の大陸跨ぎの追いかけっこ劇から、後半の博士のアシッド感漂いまくりの実験やアボリジニーとのふれあいまで、「たとえ尺が長くなろうとも全部入れたいんや!」と言わんばかりのヴェンダースの溢れる想いが壮大に伝わってくるような作品でした。

 

ティコを中心とする仲間やアボリジニー達との即興演奏も、グルーヴ感満載で最高でした!

 

退廃的なSF作品でありつつ、ヴェンダースらしいロードムービー作でもありました。

体力的には疲れましたが、作品は素晴らしいカットが満載で、長くても全然観てられるし映画館で鑑賞することができて良かったです。

 

ヴィム・ヴェンダースは素晴らしい映画監督ですので、まだ作品を観たことがないという方は他の作品共々ぜひご覧になってみてください!

 

やさしい女

2021.11.24.

Posted on 11.24.21

先日のお休みは、雨の中、テアトル梅田まで久々に(苦手とする)電車に乗って行き、ロベール・ブレッソン監督の『やさしい女』を観てきました。

 

 

 

わたくしごとながら、家族が増えたこともあって今のマンションが(だいぶ前から)手狭になってきてたので、去年、清水の舞台から二度飛び降りるくらいの覚悟でマンションを購入して(今の住所から徒歩1分以内の距離に)来年引越しを控えている身なのですが、実は新しいマンションのカーテンなどのオプションオーダー会が、僕が本作『やさしい女』を観に行けることが可能な日程とほぼ被ってたのですが、僕は迷うことなく『やさしい女』を観に行くことを選択した次第であります。

 

一般家庭のママさんなら、ダンナがこんなことを言い出したら「信じられない、バカじゃないの?一回死んでみたら?」と、その時点で婚姻生活にピリオドが打たれることになると思いますが、自分的にもDVD化もされてない本作を映画館で観れるこの機会は絶対に逃したくなかったですし、僕の奥さんももはやこれくらいでは大して驚かないくらいに諦めてる部分も多々あると思います。

 

 

前置きはこれくらいにして、ブレッソンの初カラー作品『やさしい女』の感想です。

 

 

 

原作は、ロシアの文豪,ドストエフスキー。

当店に通ってくださるお客様で、特に男性の方ではドストエフスキーが好きだという方がそこそこいらっしゃいます。

僕もドストエフスキーは、これとは別の小説を今読んでいる最中です。

 

本作の原作である『やさしい女 幻想的な物語』は、ドストエフスキーの短編の中でも最高傑作と呼ばれています。

それを映画界の素晴らしき巨匠,ロベール・ブレッソンが手掛けてるのだから、今回のデジタルリマスター版の公開の情報を知った時点から、(その時間の予約を全部止めてでも)絶対に観に行くと(誰にも相談せず勝手に)心に誓っていました。

お客様に迷惑をかけることなく、休みの日に観に行けて本当に良かったです。

上映してくれたテアトル梅田にも感謝の気持ちを表すべく、220円もする“いろはす”を購入させていただきました。

 

 

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「彼女は16歳ぐらいに見えた」。質屋を営む中年男は妻との初めての出会いをそう回想する。安物のカメラやキリスト像を質に出す、若く美しいがひどく貧しい女と出会った男は、「あなたの望みは愛ではなく結婚だわ」と指摘する彼女を説き伏せ結婚する。質素ながらも順調そうに見えた結婚生活だったが、妻のまなざしの変化に気づいたとき、夫の胸に嫉妬と不安がよぎる……。衝撃的なオープニングから始まる本作は、一組の夫婦に起こる感情の変化と微妙なすれ違いを丹念に描き、夫婦とは、愛とは何かという根源的な問いを投げかける。

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このテキストを読んで「難しそう」と思った方にはブレッソンの映画はオススメできないです。

そんなことを言っている僕だって、ブレッソンの映画の半分もまだ理解できていないと思います。

もっと理解できる人が羨ましい。

 

 

表紙の緑のコートを着こなすドミニク・サンダのなんと文芸的で美しいことか。

中に着ている中縹色のニットや、手に持っている赤銅色の本まで、見事な配色の妙です。

 

本編が始まって30秒もしないうちに、「あぁ、ブレッソンの映画だな」と今がまさに至福の時であるのを噛み締めるのと共に、感無量の気持ちになりました。

 

いつものようにキャストの演技の抑揚は少なくセリフも最小限、余計なものは写さず(理解しやすいように必要と思えるものさえも省かれる)淡々と進んでいくストーリー。

なのに、なぜこれほどまでに空間や時間の“余白”を美しく感じられるのか…

 

 

ちなみに主演女優のドミニク・サンダは本作がデビュー作。

その前は、VOGUEなどのモデルをしていたところをブレッソンがスカウトしたらしいです。

なんと実生活においても彼女は若干15歳で結婚と離婚を経験し、その後17歳の時に撮影されたのが本作とあって、そのリアルで突き刺すような演技と表情は特筆すべきものでした。

 

作中で、ドミニク・サンダが笑っているシーンがあるんですけど、ブレッソンは決して彼女の笑顔を映さないんです。観客に想像させる余地を残してるんですね。

原作を映像化しても、引き算的手法で観てる者に文芸的に感じさせてくれます。

そういう演出もブレッソンの際立って素晴らしいところだと思います。

 

 

僕自身ブレッソンの作品も(DVD等を所有してても)まだまだ観れていない作品もあるのですが、個人的には『白夜』が今まで観た映画の中でトップクラスに素晴らしかったですし、ブレッソンの映画は今のところカラー作品の方がよりグッときます。

 

もし、ブレッソン作品にご興味が出た方がいらっしゃいましたら、ぜひ彼の作品をご覧になってみてください。

特に本作『やさしい女』はなかなか観れる機会がないので、ぜひテアトル梅田に足を運んでみてください!

 

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「創造とは足すよりも引き去ること」

 

僕は日頃のサロンワークにおいて、ブレッソンのこの言葉を胸に刻んでいます。

藝術の秋

2021.11.02.

Posted on 11.02.21

今年も11月に入りましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

自分達もワクチン接種を終え、コロナの感染状況も現在は落ち着いてきました。

 

僕はもともとお酒は全く飲めないのに加えて友達も衝撃的に少ないので、飲食店の規制が全面解禁になったところでそこまで生活に変化はないのですが、映画館や美術館などへは少し足を運びやすくなりました。

お酒やタバコをやらない分(?)、他の趣味は多くて、音楽, 映画, 読書, 芸術鑑賞などは特に好きです。

ほぼインドアですが。。

でもランニングをしたりもします。

それも音楽を没入的に聴く為という側面もあるのですが。

それを口実に、最近とても音質の良いイヤホンを買いました。

 

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去年から続くコロナ禍において、映画館や美術館へはあまり行けませんでしたが、もともとステイホームは得意中の得意なので、それらの趣味に没頭しておりました。

 

この秋に限ると、音楽は新譜ならLe RenやGrouper, The War on Drugs、旧譜(リリースは最近ですがレコーディングから時間が経過した作品という意味で)はMary Lattimore, Nick Cave & The Bad SeedsのBサイド集など、何らかしらの作業中などに流しておく音楽はいずれも優しくて耳障りの良いものを好んで聴くことが多かったです。

 

映画は、シネ・ヌーヴォのケリー・ライカート特集は全部観ました。

一番最後に観た『ミークス・カットオフ』もとても良かったです。

 

 

このジャケットのシーンも最高でした。

女性が荒野を歩く姿がなぜにこんなに美しいのか。

4作を観終える頃には、すっかりライカート監督のファンになりました。

 

あと、家でもDVDやブルーレイ, サブスプリクションなどで、特にシネフィル系を中心に何かに取り憑かれた人のように鑑賞しています。

本当に取り憑かれているのかも知れません。

 

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読書は、今は複数の本を同時に読んでいる最中なのですが、その中にカントとパスカルの哲学書があります。

これも動機はエリック・ロメールの映画を観たからです。

哲学について自分ももっと詳しくなれば、芸術映画やアート作品を観た時にもっと理解を深めることができると思ったからです。

個人的には、特にカントの本が面白いです。

 

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芸術では、先日、久々に国立国際美術館へ行ってきました。

 

目的はボイス+パレルモ展です。

 

特にヨーゼフ・ボイスはかなりヤバい奴ですが、彼の代表作である“ユーラシアの杖”は東西冷戦下のヨーロッパからユーラシア大陸を再接続しようと試みるボイスの同名パフォーマンス(ヘンニク・クリスティアンゼンとの共演)で用いられたもので、60年代の美術史における最重要作品のひとつと称されています。

大阪では来年の1月半ばまで開催されていますので、ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください!

 

そんな感じの秋の芸術活動記録でした。

 

みなさまも感染防止対策をしつつ、秋の芸術を楽しんでみてください!

漂流のアメリカ

2021.10.10.

Posted on 10.10.21

先週のお休みにワクチン1回目の接種を受けてきました。

スタッフは皆、多少の副反応はありつつもなんとか無事に1回目の接種を完了いたしました。

2回目の接種が10月の第4週を予定している関係で、今月は第3火曜日が営業になる代わりに25日の第4週目の火曜日がお休みとなりますので、どうぞみなさまご確認とご了承の程、よろしくお願いいたします。

 

1回目の接種を午前中に終わらせた僕はというと、一回帰宅して安静にして様子をみていたのですが、あわよくば夕方からシネヌーヴォでやってるケリー・ライカート特集を虎視眈々と狙っていて、全然大丈夫な感じだったのとポテンシャルが変な接種者ーズハイ状態(体温のことではない)になっていたので、夕方からシネヌーヴォへ向かい『リバー・オブ・グラス』と『オールド・ジョイ』を立て続けに観てきました。

 

 

 

ケリー・ライカート(今回は特集に合わせてライカートと書きますが、ライヒャルトとも表記されます)は、素晴らしい感性を持ったアメリカのインディペンデント系の女性映画監督です。

 

今回上映されている4作では、『ウェンディ&ルーシー』のみDVD化されてて観ることができるのですが、他の3作はこういう機会じゃないとなかなか観れないので、今回の特集は楽しみにしてました。

 

ライカート作品は、時間にして1時間ちょっとくらいの比較的短めの作品が多く、今回鑑賞した2作もそれぞれ76分, 73分と短いので、2本立てで観ても全然疲れませんでした。

 

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『リバー・オブ・グラス』

 

 

 

 

ケリー・ライカート監督のデビュー作。

監督曰く、本作は「ロードのないロードムービーであり、愛のないラブストーリーであり、犯罪のない犯罪映画」である。

 

本作は、ライカート監督が30手前の時に撮影した作品です。

多少なりともカルチャーに感化された人は、二十歳を迎えた時に「自分の20代はどんなものになるのだろう」という微かな期待を持つのではないかと思います。

 

(わかりやすいところでいうと)『パルプフィクション』や『レオン』、『時計仕掛けのオレンジ』などを観て、それらの作品の登場人物のようなクールで刺激的な20代が待っているのではないか。

しかし現実は大抵の人達において、大した冒険もせず、夢見るようなアヴァンチュールは訪れず、クライムサスペンスのようなハラハラドキドキする事件も起こらずに、やがて30歳を迎えてゆきます。

 

本作は、そんな“凡庸な人生”を送る運命にありそうな主人公の女性が、目一杯背伸びしたような大人の青春映画です。

 

写真の左下の男の指の間には、“Mom”と刺青されています。

実家を追い出されてホームシックになって、“Mom”と刺青を入れる男が本作の主人公のパートナーです。

 

そんなユーモアも効かせつつ、タバコを足移しで渡すシーンなど、デビュー作にして類まれな映像のセンスを感じます。

『リバー・オブ・グラス』の説明はこれくらいにしときます。

 

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『オールド・ジョイ』

 

 

前作からいくつかの短編を挟み、12年ぶりに完成させた長編2作目。

(商業系ではない映画を作るのは金銭的にも大変なんです)

 

こちらは、かつての親友との男同士の一日キャンプ旅行記。

一方は気ままなその日暮らし、もう一方はもうすぐ父親になるという、生活環境や人生において二人の関係性に変化が生じていく刹那の空気感を見事に表した作品です。

 

自由に生きるカートは旧友マークとの時間を、かつての青春時代のように誰にも邪魔されずに楽しく過ごしたいと望むが、マークのもとにはそんな楽しい空気を切り裂くように奥さんからの電話がかかってくる。

 

本作の音楽は、ヨ・ラ・テンゴが手掛けています。

僕もヨ・ラ・テンゴはアルバム全部持ってるくらい好きなのですが、本作での音楽も作品にも非常に合っててとても良かったです。

そしてストーリーや映像はそれ以上に良かった。

男性の監督ならもっとセリフを増やしそうなところを、何も語らずに映像のムードで登場人物の心境を視聴者に感じさせる演出も、女性監督ならではの感性で素晴らしかったです。

 

 

自分は友達がもともと劇的に少ないのですが、本作を鑑賞後にコロナ禍というのもあって最近は連絡をあまり頻繁に取ってなかった親友に久々に電話をかけました。

こちらも久々に声を聞けて嬉しかったですし、相手も電話の向こうで嬉しそうに喋ってくれているのがわかりました。

自分は既に結婚して子供もいますが、彼はアラフォーの独身で、働き方のスタイルにも独自のこだわりを持っていて、いまだ契約上はアルバイトを貫いた生き方をしています。

最近ヤフオクでフィッシュマンズのTシャツを買ったと教えてくれました。

「(プレミアついてて)めっちゃ高かってん」と、まるで今後日本に迫っている財政問題や老後問題など一切存在しないかのような無邪気なセリフが、会話してて羨ましくも思えました。

友情とは良いものです。

 

『ミークス・カットオフ』もどこかのタイミングで観に行けたらいいなと思っています。

ご興味のある方は、ぜひケリー・ライカートの映画もご覧になってみてください!

Apple Music playlist “v:olta”を更新いたしました。

 

 

今年も各地の花火大会はコロナの影響で中止となりましたが、今月のプレイリストはそんな花火大会の、華やかで情緒があり、激しく、儚く、美しい情景をイメージしてみました。

そんなことは先月やれよと言われそうですが、思いついたのが最近なので仕方がないです。

 

ラストの曲も長尺ですが、一夏の走馬灯のようなストーリー性があって、フィナーレに相応しい曲を持ってこれたのではないかと思っています。

 

 

 

 

先日のお休みはシネリーブルで映画を観てきました。

 

『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』

 

 

あのマルタン・マルジェラ本人が語っているドキュメンタリー映画ということで、公開を楽しみにしていました。

 

本人が映る映像は手元のみ。

“匿名性”を持つことで、自身は街で注目されることもなく落ち着いた日常を送ることができ、人々にはブランド名を聞いてデザイナーの顔を思い浮かべるのではなく、洋服そのものを連想させることができます。

 

マルタンの語り方は、とても自然でした。

 

「マルジェラの再構築は、メッセージ性ではなく解剖」みたいな言葉はとても印象に残りましたが、それは関係者によるコメントで、そういった文字を踊らせたようなカッコイイ言葉はマルタンの口からは間違っても出てきませんでした。

 

挿入される音楽や映像的な加工は、ドキュメンタリー作品を観やすくする為のものなのだと思いますが、そういう演出はマルジェラっぽくないですし、個人的にはちょっと邪魔に感じてしまいました。

せっかくマルタン本人が語ってくれてるのだから、その言葉をもっと実直でリアルに肌感で感じたかったです。

 

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マルタンの作る洋服には、どこか退廃的な精神を感じます。

 

最後の方でマルジェラのアーカイヴ展の様子が紹介されていましたが、そこにリック・オウエンスの姿もありました。

リックの作る洋服は、退廃とエレガンスが融合したスタイルで、自分がもう少し若かりし頃は夢中になって買っていましたが、今ならマルタンの精神の奥底に潜んでるような退廃性の方がやはり自分は好きだなと思います。(もちろん当時のマルジェラもそれなりに買っていたのですが)

 

マルタンのような精神性を持つデザイナーでは、今の商業主義に偏ったモード界ではとても続けていくことができなかったでしょう。

 

作中で、今大流行している“タビブーツ”についても説明している(語るではない)シーンがありましたが、マルジェラ本人がもし今もブランドに残り自らが新作の展示会場にいたら、タビブーツばかりオーダーをつけるようなバイヤーは払いのけててもおかしくなかったと思います。

「何もわかっていない」と。

 

それくらい、“メゾン・マルタン・マルジェラ”の精神と今の“メゾン・マルジェラ”では、乖離しています。

 

モードという言葉は、今の時代とても多様的に使われるようになりましたが、モードの本質というものはとても難しいものです。

 

例えば、映画においても、ハリウッド系の映画観る人よりフランス映画を観る人の方がここ日本においては数が少ないと思います。

フランス映画は、気難しく、結末の解釈も観るものに委ねるという作りをしているものが多いです。

結末だけではなく、作品自体の理解力を深めようと思ったら、観る側の知識や教養も問われます。

(僕もいつも自分の知識不足を嘆きながら観ているのですが)

 

マルタンの作る洋服も同じで、そのターゲットは“知的な女性”でした。

 

自分も少し前のまでは、マルタンのようなデザイナーの新作コレクションは毎シーズン楽しみにしていました。

知性のあるデザイナーが、今の時代をどう捉えて、どのように服で表現してくるのか。

「この服がカッコイイ」というよりは、デザイナーが服で表現する生き方や考え方により興味があるわけです。

それがモードの面白さでした。

 

 

今のモード界を思えば、マルタンが引退したタイミングも完璧でした。

そういう生き方をする(ができる)デザイナーだからこそ、彼の作った洋服は今見てもその輝きを失わず、その精神は今のファッション界にも大きな影響を与え続けているのだと思います。

 

マルタンが語るというなら、これからもチェックしますが、個人的には最後まで語らなくても良かったのではないかとも思います。

 

マルタン最高!

 

先日の日曜日は、僕が年に1回くらい発動させる秘奥義“趣味ファーストという明確な目的意識を持った早退”を駆使して、掃除をしてくれているスタッフ達に胸の位置で手をチョップのような形にさせて申し訳ない気持ちを表明しながら18時前には退店して、ずっと観たいと思っていた映画を観るために夕方から自転車にてシネヌーヴォへ向かいました。

 

 

 

通称“ジャンヌ・ディエルマン”

 

正式名称は、『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』

 

シャンタル・アケルマン監督による1975年に公開された作品。

タイトルも長いですが、上映時間も3時間半近くある、かなり長尺の映画です。

 

 

日本版のDVDやブルーレイも出ておらず、滅多に日本ではやらないのですが、今回はカンヌ国際映画祭のフランスの女性監督特集に合わせて日本でも期間限定で公開されるということで、その情報を知った時点で、(予約的に無理をしない範囲で)可能な限り観に行く、と心に誓っていました。

 

カッコしてあくまで予約的にどうしても無理なら諦めるみたいな書き方をしていますが、内心は行く気満々でした。。

なんてったって、大阪で唯一公開されていたシネヌーヴォでもこの日一回限りの上映しかやってなかったのです。

上映時間が18:15からというのは、“普段、仕事最優先で頑張ってる自分に対して、神様が与えてくれた最高のお恵み”くらい、今回に限っては自分に対して相当に甘い解釈をして、予約をストップさせる罪悪感を払拭させていました。

 

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ストーリーは、主人公, ジャンヌ・ディエルマンの3日間を3時間を超える長尺にて描いた作品。

当時カンヌに衝撃を与えたという作品だけあって、もの凄い映画でした。

 

ほぼ室内の映像で、カメラは固定され、ジャンヌのその一つひとつの行動を省略を一切省いたかのようなまるで監視映像をみたいな執拗な長回し。

 

でも不思議と全然観続けられます。

むしろ興味深く凝視するくらいでした。

 

ジャンヌは夫を亡くし、青年期の息子と二人暮らし。

主婦業をメインとしながらも、息子が学校に行っている間に生活の為に娼婦として1日1客を自宅に招き入れる。

 

BGMは一切なく(ラジオの放送を除く)、セリフもかなり少ない作り。

だから静かかというとそうではなく、視聴者の耳と精神を攻撃してくるかのような狂気の生活音。

 

部屋を移動する度に照明のスイッチをパチパチとこまめ過ぎるくらいにつけ消ししたり、かなり几帳面な性格そうなジャンヌの完璧なルーティンを見せつけられる1日目。少しずつ不協和音が入るかのようにそのリズムにズレが生じてくる2日目、そして迎える急転直下の三日目。

 

ラストの長く静かすぎるシークェンスも、本当に素晴らしかったです。

 

帰ってからも映画の余韻に浸りつつ、またあの完璧な1日目を観たいと、早速海外版のブルーレイを注文してしまいました。

 

初見を映画館で観ることができて、本当に良かったと思う映画でした。

芸術的要素もとても高い作品なので、クリエーターなど職業をされてる方にもオススメの作品です。