90年代ディスクガイド-USオルタナティヴ/ インディ・ロック編- を購入しました。

 

 

Sonic Youthに始まり、Pixies, Daniel Johnson, Galaxie500, Dinosaur Jr., Nirvanaなどの90年代初期~Beck,Nine Inch Nails,Pavementなどの中期、そしてYo La TengoやTortoiseなどが台頭する後期と、3つの時期に分類されています。

 

このあたりの音楽は好きでよく聴いていましたが、500枚も紹介してくれていると聴き逃していた作品もいくつかありました。

好きなアーティストやそのアルバムであっても、レビューを読んでまた久しぶりに聴きたくなるというのもディスクガイドの良いところです。

 

この時代はロックにおいて“シーン”というものがその地域に発生した最後の時代ではないかと思います。

インターネットで世界は繋がり、人々の暮らしは一気に便利になりましたが、ある程度村社会的な情報伝達力しかない時代に新しく生み出されたものの強みや魅力というものは、今の時代では作り出せないようなパワーがありました。

 

新しい音楽もいいですが、古い音楽も今聴いても良いと思えるし色褪せないと感じるのは、その時代その地域に存在した空気感というものがそのシーンや楽曲そのものに内包されているからだと思います。

 

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ここからは余談ですが、先日仲の良いお客様に僕のファッションはカテゴライズすると「ファッション・オルタナティヴ」だと評していただきました。

(多分、悪い意味ではないと信じていますが、自信はありません)

 

知らずのうちに僕のファッションにもオルタナティヴの血が流れているのかと、少し嬉しく思いました。

“オルタナティヴ”という言葉の定義は、(そのシーンにそれなりに詳しい人の間でも)人によって微妙に異なるところがあると思います。

“アンニュイ”という言葉の意味を説明しなさい、と言われるのと同じく、一言では言い表せない複雑さやそのシーンに漂う独特の空気感というものがあります。

 

本書では、オルタナティブのひとつの定義として「主流ではない」という言葉が使われていました。

これも「なるほど、そうだな」と思います。

(少し付け加えるなら、自身のスタイルが確立させていて且つそれが主流ではない、というニュアンスでしょうか)

 

 

ファッションにおいても、今はSNSやインターネットを通じて膨大な情報をキャッチできる時代です。

 

だからこそニッチな情報にも手が届きやすくなった訳ですが、過半数の人達の視界にはそれまで以上にマジョリティなものの情報ばかりが目に入り、そして多くの人がそれを真似したいと思ってしまうような時代になってしまいました。

コンサバが加速して、モードやカルチャーの表面的な部分も抉られ、その犠牲になってきてしまっているような感じがします。

 

バンドTシャツとかも、そのバンドが好きで着ている人もいれば、アートワークのデザイン性を含めてファッションとして取り入れている人の方が(そういうのは以前もありましたが、特に今の時代は)多いのではないかと思います。

 

最初はファッションとして興味を持った方でも、それをきっかけにそのアーティストの曲を聴いてみようと思う人が少しでも増えて、その結果カルチャーに興味を持つ人が増えることで“マジョリティではない”音楽や映画などの業界が潤ってくれることを期待しております。

 

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また文章が長くなってしまったお詫びと言っては何ですが、オルタナティヴに纏わる話をひとつ。

(お詫びで更に長くするという…)

 

“オルタナティヴ三大名曲”というのがあると昔聞いたことがあります。

みなさん、その3つが何の曲かわかりますでしょうか?

 

ひとつは皆さんご存知Nirvanaの“Smells Like Teen Spirit”、2つ目はBeckの“Looser”、そして最後のひとつはRadioheadの“Creep”らしいです。

(3つの中でRadioheadはUKのバンドですが、UKにもオルタナティヴは存在します)

 

このうちカート・コバーンとトム・ヨークは、その一般的に「名曲」と思われるような分かりやすい曲を作ってしまったことの副反応に死ぬほど悩まされた(実際にカートは死を選びました)訳ですが、Beckにはそんな感情は微塵もなさそうです。

そんなところにもオルタナティヴ・シーンにおけるアーティストの生き方の違いが現れていると思います。

 

本書はお店に置いていますので、ご興味のある方は待ち時間などにぜひご覧くださいませ!

all the way

2022.10.08.

Posted on 10.08.22

今週に入って、一気に涼しくなったなと感じる季節になりました。

気づけば、すっかり季節は秋です。

 

最近ご来店いただいたお客様は知ってると思いますが、先月から当店に新しいスタッフが一人増えました!

また追ってホームページなどでも掲載いたしますが、とりあえず先にお伝えさせていただきます。

 

今の場所にお店を移転する前くらいから、より顧客を大切にできるお店づくりをしようと思って、移転する際にお店の内装も思い切って世界観を強く出したデザインにしてもらいました。

新規のお客様の数は以前に比べて減ったのでスタッフもここ暫くは4人体制でしたが、そこからコツコツとですが顧客様がさらに増えていき、既存のスタッフも成長してくれてるので、久々に5人体制にすることができました。

僕自身は独立するまで、そんなに顧客を多く持った美容師ではなかったんです。

(今のお店だからできるような)自分のやりたいことができるお店がどこにもなかったので、実力不足のまま早くお店を出したというものあるのですが。

でも独立して、下手くそなりに我武者羅に頑張ってたら、一気にお客様が増えたんです。

お店のテイストも他とは違うものだったので、自分の知らないところでお店が注目されてるようなところもあったと思います。

でも、その時の感じは、今で言うところのインスタで集客しているようなお店と大して変わらない内容のものしか提供できてなかったと思うんです。

 

相撲で例えると、立ち上がりから突っ張りをかましまくって一気に相手を土俵際まで持っていくような相撲のとり方です。

それはそれで悪いわけではないと思うのですが、僕はもっと腰の入ったことをやりたかったんです。

だから意図的に新規の数を減らすような経営方針を取ったのですが、新規を減らすと言うことは顧客をより大事にしないと生き残れない訳ですから、そこは自分の中でも大きな覚悟が必要な決断でした。

ですが、その決断ができたことで、毎日朝イチから夜遅くまでアシスタントを4人くらいフルで使ってパンパンに忙しなく仕事するような状況からは少し解放され、自分の技術ともより向き合うことができました。

これが自分にとっては売上よりも何よりも価値が高く、美容師人生の中で一番の収穫となりました。

そしてこの度、スタッフを一人増やすことができたことは、がっぷり四つに組んだ状態から全身を使って前に踏み出した一歩くらい力強いものだと感じております。

 

これまで自分を支えてくださったお客様方や働いてくれたスタッフには本当に感謝しております。

自分が不甲斐なくて、ガッカリさせてしまうこともたくさんあったと思います。

かと言って本当に理想とするような形には、今もまだまだ全然至っていないどころか程遠いのですが、そこに向かって少しづつでも近づいていけているという実感は以前よりも持てるようになったので、それが何よりも嬉しいです。

 

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このブログのタイトルにつけた『all the way』は「遠路はるばる」という意味です。

これには3つの意味があって、V:oltaに遠路はるばる通ってくださるお客様も増えたこと。お店を独立してからここまで、やりたかったことをなんとか少しづつ形にできてきていること。そして3つ目はNew Orderを最近またよく聴いてるということ。

 

いつもスタッフが増えたり、お店の環境が変わった時は、お店を見つめ直す良い機会で、今回も色々とミーティングしたり、その中で問題点や課題を見つめ直したりしてたら、精神的にも疲れてくるところは少なからず出てくるんです。

僕は普段インディ・ミュージックを好んで聴くのですが、それは最新の音楽に触れるということを日々続けているということでもあるんです。

それによって新たな刺激を得たり、自分の感覚もブラッシュアップしてるところがあるのですが、疲れている時にそういう音楽を聴くことは結構しんどく感じてしまいます。

でもそういう時には、自分が過去に聴いてきて大好きになったアーティストの楽曲が疲れた心を癒してくれます。

その時々の体調や気分で、その中でもハマる音楽というのはその都度違うのですが、今回はNew Orderでした。

 

高校生の時に、クロスビートという雑誌の別冊ディスクガイドを買って、それに載ってるアーティストを片っ端から聴いていた時期があったんですが、その時代はサブスクはもちろんインターネットも無かったので、田舎者の僕は月に1回バイト代をもらった週の週末に神戸や大阪まで服やCDを買いに出かけるのが何よりの楽しみでした。

僕の実家は淡路島の田舎にあったのですが、バイト代を全部持って高速バスに乗って、いつも帰りの交通費をギリギリ残してお金は全部遣って両手には大量の紙袋を持って帰ってきていました。

そして背中に背負ったバッグの中には、必ずCDが入っていました。

New Orderは最初に買ったアルバムは『Technique』という作品だったのですが(その中にこのブログのタイトルでもある“All The Way”も収録されています)、最初聴いた時は「なんじゃこの炭酸の抜けたような音楽は」(淡路島は田舎なので少し言葉遣いが上品ではないところがあります)と思った記憶があります。当初は、あまり好きではなかったんですね。なんせ当時はOasisとか聴いてカッコイイと思ってましたから。

 

 

でも、その後何かのきっかけでまたそのアルバムを再生した時は、「メッチャイイ!」と思えたんです。

それは、最初にNew Orderを聴いた時からこの時までに、僕自身のカルチャーの理解度が少し上がったからだと思っています。

それから他のアルバムも全部集めて聴き込みました。

それでも、今、好きなアーティストを聞かれたらNew Orderはベスト10に入るかどうかというのが正直なところですが(ほぼ同じメンバーでもイアン・カーティスのいるJoy Divisionの方がより好きだというのもあるので)、それでも自分にとっては特別だと思えるアーティストの1組なのは間違いないです。

 

昨日も仕事を終えて家に帰ってから10kmくらいランニングしたのですが(音楽を聴きたい時や気分をリセットしたい時はよく走りに行きます)、その時も『Technique』を聴きました。もちろん“All The Way”も。

 

僕はこの“All The Way”の「パ〜ラ〜ラッタッタタ〜ラ〜ラ〜」という間奏の部分がとても好きで、走っている時もバーナードの歌詞は全く口ずさまないのに間奏の部分だけ口ずさんでしまうそうになる(というか口ずさんでしまっている)んです。

よくライブとかで、そのアーティストのアンセム的な曲をする時に、ヴォーカルが肝心のサビの部分でマイクを観客に向けて合唱を誘うという演出があると思うのですが、僕はあの所業が大嫌いで「いや、お前が歌えよ!」と思ってしまうんです。「あなたの歌う曲を聴きたくて、それを楽しみにして今日来たんだ」と。

だから、音楽を聴いてて“All The Way”を口ずさむ時でさえもバーナードの声は遮らない。

その代わり間奏部分のコーラスは任せておいてくれという感じです。

 

結局、何の話をしているのかわからなくなってしまいましたが、新しいスタッフの名前は加番(かばん)と言います。

1年強の経験があるアシスタントの女性です。

 

皆さま、どうぞ新人の加番を、そしてV:oltaをこれからもよろしくお願いいたします。

 

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New Order – All The Way

昨日のお休みは、映画館をハシゴして、ギヨーム・ブラックの『みんなのヴァカンス』とシャンタル・アケルマンの『アンナの出会い』を観てきました。

 

 

 

黄色の無地のものは『みんなのヴァカンス』のパンフレットです。

 

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まずはシネマート心斎橋で鑑賞した『みんなのヴァカンス』から。

 

 

 

ヴァカンス映画と言えば、エリック・ロメールかジャック・ロジエの十八番ですが、現代においてはギヨーム・ブラックがいます。

今作も凄く良い映画でした。

 

いつも僕が紹介している映画は小難しそうでなかなか観ようという気になれない、という方もいらっしゃるかと思いますが、本作はシネフィル気質じゃない方でも十分楽しめる映画だと思います。

 

男3人の一夏のヴァカンス旅。

なんてことないストーリーですが、暖かくて涙が出てきそうになりました。

 

楽しいヴァカンスもいつか終わり、夏もいつか終わる。

休暇の前に想像してた程、順風満帆なヴァカンスではなかったかも知れないけど、それでも大切な人と過ごした時間や景色というものは歳月が経つほどに眩しく色鮮やかに心に残るものです。

 

最後の夜に皆でバーのカラオケで歌っていた、クリストフの“愛しのアリーヌ”が心に沁み入りました。

 

 

 

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そして、夜はシネヌーヴォへ。

 

 

この『アンナの出会い』で、今回のシャンタル・アケルマン映画祭の作品は無事全部観ることができました。

 

その結果、好きな監督のベスト5に入るくらいアケルマン作品に魅了されました。

 

本作もこれをラストに観て良かったと思えるような作品でした。

ヨーロッパの夜を彷徨い歩く孤独で無表情のアンナの姿は、どこか『たぶん悪魔が』の主人公, シャルルを連想しました。

そしてアケルマンは、いつもショットが退廃的で美しい。

 

こちらの作品は、ある程度映画慣れしている方のほうがオススメできます。

個人的にはアケルマン作品の商品化も強く願っております。

今回の5作品のボックスセットが出るなら、たとえ価格が10万であろうが(本音を言えばなんとか2万円くらいで)喜んで払います。

アケルマンは、それくらい魅力的な監督ですし、魅力的な至宝の作品群でした。

 

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ということで、また今週も仕事頑張ります!

先日のお休みは、6~7年くらいぶりに東京へ行ってきました。

 

一番の目的は、東京国立近代美術館でされている展覧会『ゲルハルト・リヒター展』を観ること。

 

 

 

そして、せっかく行くので、他にも周りたいところを色々とピックアップしていたのですが、ちょうど大型の台風も接近していたので、今回は大人しく上のリヒター展に加え、三菱一号館美術館で開催されていた『ガブリエル・シャネル展』と、美術館を2つ行くだけにして帰ってきました。

 

 

まず、午前中に事前予約の取れなかったシャネル展へ当日券を目掛けて開場時間の30分前には現地に着いたのですが、さすがはシャネル、既に行列ができていました。

 

 

勿論、こんなことは想定内で、スマホにゴダール(R.I.P.)の『カルメンという名の女』をダウンロードしておいたので、映画を堪能しつつ入館を待ちました。

 

今回のシャネル展は、三菱一号美術館が財政面的にもかなり力を入れた展覧会で、シャネルの遺した洋服やアクセサリー等をこれだけ一堂に見られる機会はなかなかないので、とても貴重な体験をさせていただきました。

 

ガブリエル・シャネルは、女性デザイナーでは歴代において最も優れた人物だったのではないかと思っています。

今の時代、男女で分けて評価すること自体がナンセンスという考え方になってきていますが、シャネルが遺した功績というのは、まさに女性のライフスタイルや価値観までも革新的に変えたものでしたので、今後シャネルが後世に渡って語られる上では、当時の男女の性別差で存在していた差別や弊害という時代背景と共に多くの人に伝えられていってほしいなと思います。

 

 

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そして午後からは今回の旅の本命、『ゲルハルト・リヒター展』へ向かいました。

 

ゲルハルト・リヒターは、ナチスが政権を掌握する前年にドイツ東部のドレスデンで生まれました。

戦後、芸術大学で学び壁画家として評価されるも、ベルリンの壁が建設される直前の1961年、自由な表現を求めて西ドイツに移り住みました。

東ドイツで芸術活動をするにはVBK(東ドイツ造形芸術家団体)という職業団体に属する必要があり、反政府的とみなされたアーティストは職業の禁止を言い渡されることもありました。

 

 

今回の展覧会の目玉は、幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成されるホロコーストを題材とした巨大な抽象画《ビルケナウ》です。

 

 

ドイツ人画家として、ホロコーストをどう表現するのか。長年の葛藤の末にたどり着いた境地が、この4枚組みの抽象画です。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所で隠し撮りされた写真をキャンバスに描きうつし、その上にスキージ(ヘラ)で絵の具を塗ったり削ったりして重層的な抽象画に仕上げられています。

 

僕自身、ホロコースト関連の本や映画はここ数年よく見ていたこともあり、この作品群を通して様々な思いが脳裏に浮かびました。

気づけば30分以上この空間にいました。

 

この他にも大小に限らず、リヒターの素晴らしい作品をたくさん観ることができました。

後でもう一回《ビルケナウ》のところに戻ったり、作品を充分に堪能して美術館を後にしました。

 

また今回も、非力なくせに重たいお土産をたくさん買ってしまいました。

 

 

 

このガラス入りのポストカードセットは、G1馬がG3のハンデ戦で背負う斤量くらいの重さを感じたのですが、また新たな宝物がひとつ増えました。

 

美術展を観にだけに東京に行ったのは今回初めてでしたが、作品の余韻を噛み締めながら乗る新幹線の帰路はとても心地良かったです。

 

また今回の経験を仕事で活かせるように頑張ります!

WANDA

2022.08.02.

Posted on 08.02.22

昨日のお休みは、またまた自転車に乗ってテアトル梅田へ向かい、バーバラ・ローデン監督の映画『WANDA』を観てきました。

 

 

 

本作は1970年に11万5千ドルという僅かな予算で制作された映画で、マーティン・スコセッシ監督設立のザ・フィルム・ファウンデーションと、イタリアのラグジュアリーブランド, GUCCIの支援を受けてフィルムが修復され、今回の上映に至りました。

 

ケリンググループ(旧グッチグループ)なんていつもロクなことしてないのに(失礼な言い方ですみません)、ちょっと見直しました。ちょっとだけですけど。

ソフィア・コッポラが意外にも本作の熱烈なファンらしく、そのへんとミケーレの繋がりでしょうか。

(ミケーレの感性からは『ワンダ』には行き着かないと思うので)

それならコッポラがナイスアシストです。

(コッポラの作風は本作とは全然違うと思いますが。。。)

 

前置きはこれくらいにして、本作はエリア・カザンの妻でもあったバーバラ・ローデン唯一の監督作品。

1959年にオハイオ州で起きた強盗事件がモチーフになっています。

 

支店長を誘拐して銀行の金を奪うつもりだったカップルの計画は失敗して男は射殺され、女も3週間後に逮捕される。

その女、アルマ・マローンは裁判で「生きていく理由なんてもう残ってないのに、それでも生きていきたかったんです」と語り、20年の懲役刑が言い渡されると裁判官に感謝の言葉を述べたと言います。

 

その様子が報じられた新聞記事を切り抜いて本作を構想したというローデンの感覚は、当時としてはかなり前衛的なものだったのだと思います。

ヒーローでもなく、アンチヒーローでもない女性の生き様がカタルシスなく描かれた本作は、どこかシャンタル・アケルマンの代表作『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』にも通ずる精神性がありました。

 

いかにもインディ映画という感じの16ミリフィルムのザラザラとした質感の映像も、とても好みでした。

 

ケリー・ライカート(『リバー・オブ・グラス』)が、どれだけローデンに影響を受けたのかが、本作を観てよくわかりました。

 

ラストの退廃的で虚無感漂うフリーズフレームも良かったです。

 

ローデン(48際の若さで既に亡くなっています)の言葉で、印象に残るものがいくつかあります。

 

「シンプルな物語を語ることは、アヴァンギャルドであることよりも難しい」

 

これは(目指す方向性にもよりますが)美容師としてヘアスタイルを作る時にも言えることです。

僕もV:oltaという看板(風が吹いたらすぐに飛んでいきそうなくらいのものでしかないのですが)を掲げて10年以上やってきましたが、まだスタイリストになりたての頃はシンプルな髪型よりもアヴァンギャルドな髪型を作る方が難しいと思っていました。

ですが、ある程度のレベルを身につけてくると、シンプルでも“語れる”ような髪型の方が当然難しいと思えてくる訳です。

 

これまで長年お店をやってきて、未だに確信的な気持ちなんて全然持ててないのですが、最近ひとつこうありたいと思うことは、美容室として文化を感じてもらえるようなお店を目指したいということです。

 

今回映画を観たテアトル梅田は、先日、9月30日をもっての閉館が発表されました。

また関西から文化がひとつ消えるのか、と哀しい気持ちになりました。

 

巷の美容室をみても(とは言っても同業にはあまり興味が湧かないのでほぼ見てないのですが)、今までそんな系統ではなかったお店まで、最近ではこぞって“韓国系ヘア”を打ち出しています。

V:oltaは、時代に媚びたことも、流行を追うようなこともやりたくありません。

(やろうとしても上手くできない不器用さもあるのですが…)

 

ですが、そういう不器用なお店や施設ほど、今の時代は淘汰されていきます。

 

本作『WANDA』のフィルムは、閉鎖前のハリウッド・フィルム&ビデオ・ラボの書庫から廃棄寸前のところを発見され救出されました。

 

その時代では注目されなくとも、そこに“文化”があるものの価値というのは永遠に朽ちることはありません。

 

特別な才能など全くない自分が、美容室を通じてどこまでそういうことができるかというと自信はありませんが、意地とプライドまでなくなったら本当におしまいなので、僕は僕の生きる道をゆっくりとでも脇道にそれることのないように歩いて行きたいです。

 

あ、当店は幸いにも規模も小さく、こんなお店でも支持してくださるお客様が(今のところは)たくさん来てくださってるので、自分が頑張り続ければ当面は何とか大丈夫そうです。

(またこんなことを書くと、ターゲットの範囲がより一層少なくなりそうで心配ですが。。)

 

いつもこういう類の映画を観に行くと若い世代の客はほぼいないのですが、本作は若い方もたくさん観にきてて、少し嬉しい気分になりました。

その内の何人かでも、V:oltaに来てほしいものです。

 

ということで、ご興味のある方は、ぜひ閉館前のテアトル梅田へ足を運んでみてください!

僕もテアトル梅田にはこれまでお世話になったので、閉館まであと何回行けるかわからないですが、なるべく映画を観に行こうと思います。

 

長々とお読みいただいて、ありがとうございました。

Posted on 06.09.22

ロメールの『夏物語』を観終えた僕は、自分の気持ちに甘えが出ないように、先に夕方に観る予定の映画,『私、君、彼、彼女』の席を購入してからテアトル梅田を後にして、JR大阪駅へと向かいました。

でも、この時でさえもまだこの後京都に向かうという決心が出来ずにいました。

結論の先送りです。

 

JR大阪駅についてからも、京都へ向かう新快速の時間が表示されている電光掲示板をしばらく眺めながら、改札口を越えられずにいました。

心の中で、10ラウンド目を戦い終えてもう次のラウンドに向かう気力を失ったボクサーを必死で勇気づけているセコンドみたいに「絶対に行ける」と自分に言い聞かせる為の時間です。

何たって今日の僕の予定は、テアトル梅田→京都(イーノ)→テアトル梅田のトリプルヘッダー過密日程です。

昔、阪神時代の故野村元監督が、弱小時代の阪神においての苦肉の策,“遠山葛西スペシャル”というのをやっていましたが、それを思い出します。

 

なんとか新快速に乗り込んだ後は思ってたよりも全然平気で、30分で京都に着きました。

まあ、30分で着くのはわかってたんですけどね。何しろ乗り物酔いとかも結構するので。

 

 

ということで京都に着いた僕は、お昼ご飯を食べた後、次の目的地『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』展へ。

 

 

 

僕が音楽を好きになって、割とメジャーなロックからポスト・ロックやニュー・ウェイヴ, そして電子音楽を聴き出す頃には、既に“アンビエント”というジャンルが確立されていました。

その“アンビエント・ミュージック”は、ブライアン・イーノによって提唱されました。

(イーノ自身もフランスの音楽家,エリック・サティの「家具の音楽」から影響を受けています)

 

Roxy Musicへの参加、ジョン・ケージやヴェルヴェッツ~クラウトロックやアフリカ音楽からの影響、アンビエント・ミュージックの提唱、No Waveとの出会いから “No New York”プロデュース、トーキングヘッズやデヴィッド・ボウイへのプロデュース、そして自身の音楽活動。

 

これらはコアな音楽リスナーなら強い関心を持ってきたであろう音楽やムーヴメントです。

イーノがどれほど早い段階でこれらの音楽が前衛的だったり興味深いものであると察知し、それを取り入れ、世間に広めてきたか。

ブライアン・イーノという存在が音楽やカルチャーに与えた影響というのは、音楽を知れば知る程、途轍もないものだとわかります。

しかも、上に挙げたような活動は、イーノの音楽活動の中でも代表的なものを抜粋しただけです。

 

更にイーノは、音楽だけではなくビジュアルアートなどの映像作品でも素晴らしい作品を数多く残しています。

(というか、むしろイーノは元々美術学校でビジュアルアートを学んでいました)

 

 

今回の『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』は、ブライアン・イーノの世界観を存分に体感できる、音と光の展覧会となっております。

 

会場は、京都中央信用金庫 旧厚生センター。

3階建ての建物の各部屋に、それぞれ異なるインスタレーションが展示されていました。

 

個人的に特に良かったのは、3Fの“The Ship”と1Fの“77 Million Paintings”です。

“The Ship”は、タイタニック号の沈没、第一次世界大戦、そして傲慢さとパラノイアの間を揺れ動き続ける人間をコンセプトの出発点とした作品です。

か細い光が暗闇の幾分かを照らしている程度の暗い部屋に、様々な形状のスピーカーが4面の壁に配され、そこから音楽が流れます。

スピーカーの種類をあえてバラバラで不均一なものにしたのは、音の質感にあえて変化を出す為らしいです。

 

“音のインスタレーション”とも言える音の立体的質感が素晴らしかったです。

ヴェルヴェッツのカヴァー曲「I’m set free」もより一層心に染み入りました。

 

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“77 Million Paintings”は、イーノが長い年月をかけて描いてきた絵画や撮りためてきた写真など、複数の画像をランダムに映し出し、ゆっくりと融合させ変化させ続けるヴィジュアルアート作品です。

その複合画像の組み合わせは、タイトル通り7700万通り。

映像と共に流れているアンビエント・サウンドも、幾つかの音のレイヤーを生成的に配合したもの。

 

例えば2本のカセットテープがあって、片方の長さが10分07秒(607秒)、もうひとつが12分11秒(731秒)だとすれば、これら2本のカセットが再び同期するだけでも443,717秒(約5日間)かかります。

イーノはひとつの音をループさせ、それを幾重かにレイヤーさせることで、今聴いている音というものも移り変わり続けるヴィジュアルアートと同様に「今この瞬間しか現れないもの(今を逃すと当分の間見れない組み合わせ)」を作り出しています。

 

どちらのインスタレーションも時間が許す限り、この場に留まっていたいと思うようなものでした。

 

イーノ・ショップでは、展覧会の図録と、イーノファンならお馴染みの『オブリーク・ストラテジーズ』を買ってきました。

 

 

 

 

この2つでも1万円以上したのですが、インバウンドの中国人みたいにこれ以外にももっと爆買いしとけば良かったと今になって少し後悔しています。

 

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僕が『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』に行ったのが月曜日で、ちょうどその次の日にDOMMUNEの生配信でイーノ特集をやってくれてたので(実に8時間!)、素晴らしい復習ができました。

 

この記事でもイーノのことを書くと、僕がかなりイーノに詳しい人物だと思う方がいらっしゃると思いますが、僕なんてイーノの知識レベルではまだまだビギナーに毛が生えたくらいだと思います。

エキスパートレベルはDOMMUNEに出演してたような人達で、僕なんかはその話を「なるほど」と聞いてるくらいですが、当店のお客様にはそのエキスパートレベルの人達の会話でも間違ったことを言ってたら気付けるくらいの中級レベルの方が5人以上はいらっしゃると思います。

自分自身もそういう方々から日々インプットさせていただいています。

お金をいただいてるのはこちらなのに、本当にいつも感謝しております。

 

僕も近日中にもう少しレベルを上げて、開催期間中にもう一度展覧会に行きたいと思っています。

ちなみに短期間でイーノのレベルを上げる為には、クラウトロックやノー・ウェイヴなど最初の方に書いたムーヴメントのこともそれなりに知っておく必要があります。

イーノの音楽は割と万人にも親しみやすいものだと思いますが、イーノのやってきたことを深く理解する為には音楽史における相当な知識だけでなく、文化人並みの教養も必要となります。

即ちビギナーとその上のレベルの間には、天と地ほどの距離があるように感じています。

ですが、それが理解できてくるほど楽しいことはありません。

 

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展覧会は夕方の映画に間に合うように出て、奥さんへのお土産に京都伊勢丹で麩饅頭を爆買いして大阪に帰りました。

次は夕方に観たアケルマンのことを書きます。

 

最後に、石野卓球が本展開催にあたり寄せたコメントが秀逸だったので、その言葉で締めさせていただきます。

「基本、イーノは いいのが 当たり前」

 

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気になる方は、DOMMUNEのアーカイヴも観てみてください!

 

 

 

Posted on 06.08.22

先日の月曜日のお休みは雨が滴る中、朝から電車に乗って梅田へ向かい、テアトル梅田でエリック・ロメール監督の映画『夏物語』を観てきました。

 

 

 

いつもはテアトルには自転車で行くのですが、今回電車で行ったのには理由があって、ひとつは当日が終日雨模様だったということ、そしてもう一つはこの日の予定がこの映画だけではなかったということです。

 

事前に考えていた予定では、朝にロメールの『夏物語』を観て、そこから京都に向かいブライアン・イーノの展示会『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』に行って、そこから再度テアトル梅田に戻ってシャンタル・アケルマンの『私、あなた、彼、彼女』を観るという、外出時はロープレでいうところの“毒状態”くらい断続的にダメージを受けてしまう自分には無謀とも言えるスケジューリングを組んでしまっていて、当日のこの日も無理そうなら京都のイーノは諦めて後日に回して一旦帰ろうと自分に言い聞かせて出かけました。

 

なぜにこんな無茶な予定になるかというと、最近ヌーヴェルヴァーグ系の映画監督の映画祭が同時多発的に開催されてて、事前にその情報をキャッチした僕は嬉しくなってそれらの映画祭の前売り券をポーカーができるくらいしこたま買ってしまってたんです。

エリック・ロメールの四季の物語なんて、ブルーレイ新旧2枚両方とも所有してる(両方買ったのはそれぞれの付属解説を読む為です)のに、前売り特典のポストカード欲しさに一枚買いました。

そして、それらの前売り券を使って観れるのが関西ではテアトル梅田で、しかもほぼ同時期に上映するものだから、前売り券を買ったのに観れないまま終わってしまうことを人一倍もったいなく感じてしまう性格の僕はこの6月前半の貴重な休日の全てを映画に捧げることにしました。

 

ということで、3つのことを書くとまたかなり長いブログになりそうなので、“梅雨空3部作”(笑)と題して3つの記事に分けたいと思います。

 

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ということで、話を戻して一日の始まりはエリック・ロメールから。

 

 

 

僕が今回観たのは、エリック・ロメールによる4部作『四季の物語』の3作目の『夏物語』

ロメールはこの4部作を春→冬→夏→秋の順で完成させました。

僕は変なところにこだわるタイプのA型なので、去年の春に『春のソナタ』を、冬に『冬物語』をそれぞれ所有していたブルーレイで鑑賞し、今年の夏と秋に残りの2作を順番通りに観ようとしていたところに今回のリマスター上映があったので、自分に「今はもう初夏なのだ」と言い聞かせてこの時期に鑑賞しました。

4部作のうち、どれかひとつは映画館で観たい気持ちもあったので良かったです。

 

 

本作の舞台は、ブルターニュ地方のリゾート地。

ジャケットにも写っているヒロインの一人,アマンダ・ラングレは、『海辺のポーリーヌ』以来12年ぶりのロメール作品復帰。

最初、レストランのウェイトレスとして登場して主人公を接客し、その後ビーチで再開してアマンダ(ラルゴ役)の方から声をかけるのですが主人公は最初誰か気づかず、「髪を括ってる時と雰囲気が違うでしょ」と言われてレストランの子だと気づくのですが、僕もそのタイミングで「ポーリーヌの子だ」と気付きました。これもロメールの狙いのひとつだったのでしょうか?

 

ちなみに、この日地下鉄の梅田駅からテアトル梅田の方へ歩いて向かっていると、前から歩いて来た女性が「こんにちは」と声をかけてくださったのですが、僕が一瞬では(マスクもしてるし)誰かわからずオドオドしていると「〇〇です」とわざわざお名前を名乗って伝えてくださいました。

めっちゃお客様でした。

すぐに気づけずにスミマセンでした、が、僕のプライベートのスイッチオフ具合はいつもこんな感じなんです。

V:oltaにはオシャレなお客様がたくさん通ってくださってるので、どうしても目が慣れてしまうのですが、外で偶然お客様に会った時は(贔屓目なしに)いつも一段とオシャレに見えます。

そういった方のヘアスタイルを担当させていただいていることも、とても光栄に思い、プレッシャーとともに大きなやり甲斐も感じております。

 

 

早速、話が逸れてスミマセン。

やはりロメール映画は、夏, バカンス, そして海辺の景色と、3つの舞台が揃うと(特に)無類の強さを発揮します。

主人公はイケメンなのにインテリで、音楽も嗜んでしまうという、カルチャーに明るい女性からすれば理想の彼氏像みたいに最初は写るのですが、大多数の女性は観終わる頃には「こんな男はイヤだ」と思うであろう奴でした。

 

現代のロマンチックな恋愛大作映画とは全く違って、話が進むにつれ観るものをゲンナリさせるという。。

さすがはロメールというストーリーでした。

 

何も大したことも起こらない一夏の他愛もない出来事を、時間を忘れるくらい引き込まれていくような会話劇に仕立てる、その感覚と才能が素晴らしいです。

 

残す1作『秋の恋』は、今年の秋に観ようと思います。

 

という休日の午前~正午でした。

続く

デュエル

2022.05.26.

Posted on 05.26.22

先日のお休みは、またまたテアトル梅田へ向かい、ジャック・リヴェット監督の『デュエル』を観てきました。

 

 

今回のジャック・リヴェット映画祭のポスターに「夢と 魔法と 冒険と」とありますが、ジャック・リヴェット監督の作品はまさにこの3つのキーワードがピッタリです。

そして、この3つは僕に一番欠けている要素でもあります。

 

ジャック・リヴェットは、ゴダールやトリュフォー, エリック・ロメールらと共にヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人です。

今回の映画祭では、今回観た『デュエル』も含め、日本劇場初公開の作品もいくつかあるので、関西での公開を楽しみにしていました。

 

ジャック・リヴェットの作品は、上のキーワードに現れているようにファンタジーの要素が強くて、僕はこの歳になってもディズニーランドに一度も行ったことがないくらいファンタジーやメルヘンとは無縁な何の面白みもない現実派人間なので、他のヌーヴェルヴァーグの監督に比べるとストーリー的にはいつも少しツボからは離れてるのですが、それでもリヴェットの創り出す世界観や映像というのはそんな“ノー・ファンタジー,イエス・リアリティー”な僕にとってもとても魅力的に感じるくらい素晴らしいものです。

 

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今作『デュエル』は、ジェラール・ネルヴァルの小説に着想を得て構想した4部作『火の娘たち』の1作目。

現代のパリを舞台に、月の女王と太陽の女王が魔法の石を巡り対決するという話。

 

 

僕にとっては、もう絶対に監督がジャック・リヴェット以外なら全く興味を惹かれないストーリーです。

でも、とても良かった。

 

観客の方々は、予想通り年齢層高め(というか、シルバー割引の対象になる方の割合がかなり高かったのではないかと思います)でしたが、ジャック・リヴェットの映画は若い世代の(特に女性の)方が観ても、とてもオシャレな映画(観てないし観るつもりもないですがおそらく『ハウス・オブ・グッチ』なんかの1万倍くらいは)だと感じられるのではないでしょうか。

ストーリーは難解なので一回では理解できない人がほとんどだと思いますが、それは僕みたいなこういう映画を好んで観に行ってる人達の中でも多少の差はあれどその感覚はそこまで大きく変わらないという人も多いのではないかと思います。

 

 

うまく例えられないですが、カフェオレやカフェラテを好んで飲む人にとって濃いめのブラックコーヒーは最初苦くて飲めないですが、飲み慣れてくるとミルクや砂糖も必要なくなってくる人も出てくるみたいに、こういう作品に触れることで自身の知識や感性がより深いところに気づけるようになってくるということもあるのではないでしょうか。

 

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ちょうど同じテアトル梅田でジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』もリバイバル上映されてて、こちらはパンフレットが売ってたので、観るのはリヴェットでゴダールは観ない(作品はDVD等で観てます)のにパンフレットだけ購入してきました。

 

 

僕のヌーヴェルヴァーグへの入り口はゴダールでした。

同じような方も多いのではないでしょうか。

 

ゴダールにまつわる僕のどうでも良い話では、まだ学生の頃に『気狂いピエロ』を観て衝撃を受けて、当時やっていた競馬ゲーム「ダービースタリオン」の一番強い馬(競走馬になる前に名前をつけるので、絶対に強くなると思った若駒)の名前に“ジャンリュック”と名付けました。

ジャンリュックは年度代表馬を3回獲りました。

僕のネーミングセンスを知ってたら、きっと金子真人氏も嫉妬してたんじゃないかと思います。

ちなみに、その頃は谷六のからほり商店街の近くに住んでたので、冠名をつける際は“カラホリ”にしてました。めちゃダサいです。

 

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死ぬほどどうでも良い話だったと思いますが、何にせよまだその頃は『気狂いピエロ』を『時計じかけのオレンジ』や『トレインスポッティング』と同様に視覚な刺激で捉えることしかできてなくて、ゴダールが政治映画も撮ってたこともジャック・リヴェットという存在すらも知らなかったです。

その頃に比べると幾分かは視野が広がってきた今は、その頃の何十倍も映画を楽しめています。

 

 

誰もがそういう感性(優れているという意味ではなくて)を持っている訳ではないと思いますが、当店に通ってくださってるような(もしくは興味を持ってブログを見てくださってるような)方は、そういった素質を持った方が多いのではないかと思っていますので、ご興味のある方はぜひジャック・リヴェット作品もご覧になってみてください!

 

 

湖のランスロ

2022.05.11.

Posted on 05.11.22

先日のお休みは再びテアトル梅田へ自転車に乗って向かい、『湖のランスロ』を観てきました。

 

 

 

ブレッソンの映画は、人生を通して時間をかけて作品を少しずつ観ていこうと思っていたのに、先日の『たぶん悪魔が』に続いて連続でテアトルで上映してくれるし、今回の2作はポストカード付きの前売り券も前もって買ってたので、ちょっと贅沢ですが短い間隔で2作品観てしまいました。

『湖のランスロ』もBlu-rayは所有していましたが、ヴィンテージワインのように(僕はお酒が全く飲めないのですが…)大切にとってあったので、まだ未見でした。

 

本作は、ド・トロワによる中世のアーサー(アルテュス)王の聖杯探求伝説を基に、王妃グニエーヴルと円卓の騎士ランスロの禁断の恋を中心に描いた時代劇。

中世の物語と聞けばスペクタクルなものを想像される方が多いかと思いますが、ロベール・ブレッソンの手に掛かればまるで写実主義の絵画のような佇まいの作品になります。

 

冒頭のシーンは、ゆるやかにはじまるブレッソンにしては珍しく、甲冑の騎士同士の生々しい斬り合いから始まりましたが、その画が凄くていきなり圧倒されました。

ブレッソンの映画は、いつも音楽もなくて静かなんですが、今作でもその静かな画面から聞こえる甲冑の擦れる音や馬の鳴き声や蹄の音が心地良すぎて、時折ウトウトしてしまいました。

 

 

ブレッソン作品を観る度にいつも印象に残るのは、モデル達(ブレッソンは俳優のことをモデルと呼ぶ。素人を起用し「演技」はさせない)の“手”の動きや仕草です。

特にブレッソン監督の映画は、手から登場人物達の複雑で繊細な感情が伝わってきます。

 

 

この日は映画館に向かう時,雨が降ってたので、自転車で傘をさしながら行ってたのですが、帰りは雨が止んでたので、すっかり中世の騎士気分の僕は騎士が馬に跨るように颯爽と自転車に乗って、閉じたままの傘を槍に見立てて腰くらいの位置から真上を向くようにヒジを直角にして持って意気揚々と帰宅しました。

多分、周りの人からは変な自転車の乗り方してるやつだと思われたと思います。

 

 

帰宅後、ちょっとウトウトしてしまった場面もしっかり観返したかったので、所持していた『湖のランスロ』の封を切って、最近引っ越した際に張り切って設置した(アラジンとかの類ではなくガチの)プロジェクターに、これまたベランダで読書したいなと思って購入した折り畳み式のリクライニングチェアが届いたところだったので、プロジェクターを設置した寝室(子供に邪魔されないように寝室に設置したのに、たまに子供向けの映画館と化すという…)のベッドの隣にリクライニングチェアを広げて部屋の照明を落として早速再鑑賞したのですが、 NASA が考案した「ゼログラヴィティ(無重力)」姿勢理論が導入されているというリクライニングチェアの座り心地は並大抵のものではなく、途中くらいまでは観てた記憶があるのに気づいたらタイトルのチャプター画面に戻ってて、結局昨日ようやく全部観返すことができました。

 

 

反復に次ぐ反復表現、そして円環構造。(湖のランスロの感想です)

ブレッソンの映画からはいつも大切なものを学ばさせてもらっています。

自分にとっては大切なだけで、本当はどうでも良いものなのかも知れないですが。。

 

神曲

2022.05.01.

Posted on 05.01.22

先日、『神曲』からインスピレーションを得て作られた香水を買ったので、いつかは読もうと思っていた書籍の方も購入しました。

 

 

装丁がカッコ良かったので、ハードカバーの本書にしました。

 

映え系スイーツショップの無駄に贅沢感を演出している入れ物の箱くらいの分厚さがありますが、忙しい日々の合間を縫って少しずつ読み進めて行きたいです。

 

たぶん悪魔が

2022.04.30.

Posted on 04.30.22

今週の木曜日の夜は、仕事終わりにテアトル梅田へ向かい、ロベール・ブレッソン監督の『たぶん悪魔が』を観てきました。

 

 

この作品は、DVDも持ってるし、最近発売されたBlu-rayも買って既に手元にあるのですが、去年に本作の上映があるとの情報をキャッチしてからは、映画館で観るまで我慢しようと心に決めていました。

 

このテの映画は早く観に行かないと、すぐに上映終了してしまうのですが、仕事もG.W.前でかなり忙しくなってきてて、もう行けるとしたら木曜日の夜か休日の月曜日しかなくって、でも次の月曜日は家族の用事やら何やらで忙しそうなので、なるべくなら仕事終わりに行きたいと思った瞬間から木曜日の予約をメジャーリーグ史における名打者デビッド・オルティーズ対策として生み出された通称“オルティーズ・シフト”ばりの極端な早上がりシフトに調整し(サッカーでいうとディフェンスラインを守備的MFが振り向いたら背後霊くらいの距離まで押し上げる感じ)、無事に19:45くらいには全てのお客様のお見送りを終えて、いつものように自転車でテアトル梅田に向かいました。

(*良い美容師のみなさまは絶対に真似をしないでください)

 

そんな暴虐無人なことをして早速バチが当たったのか、自転車のタイヤが淀屋橋手前でパンクしてしまうという。。

でも、『たぶん悪魔が』を映画館で観れるという至極の時間が目前にある僕の執念は、悪役ターミネーターよりもしぶといので、とりあえず最寄りの駐輪場に自転車を停めて、あと上映まで30分くらいあったので徒歩で梅田を目指しました。

この日は朝から映画に行く気満々だったので、夜肌寒くなっても大丈夫なように今の時期にしては少し厚着気味の格好をして行ってたのですが、急ぎ気味に歩いたおかげでお気に入りのドリス・ヴァン・ノッテンのジャケットにまで汗が滲みてきそうになりました。

この苦難も悪魔の仕業か、と嘆きたくなりました。

(おそらく僕の日頃の行いに対する鉄槌だと思います)

 

 

googleのナビでは徒歩だと到着時間がギリギリとの算出だったのですが、恐るべし早足を駆使して無事10分前に到着できました。

 

上映が始まってからの時間は、まさに感無量でした。

耳を引き裂くようなハイプオルガンの音や車のブレーキ音、そして生活音。

ブレッソンの映画は必要なもの以外は引き去られ、慎ましく静かな分、それらの音は強烈な印象を与えます。

ブレッソン特有のフレームワークによる映像も本当に素晴らしかったです。

 

大満足の気分になった帰り道は、外へ出た瞬間から潔くadidasのアプリを開き、Saultの新譜を聴いて未だ踊る気分を鎮めながら、途中でパンクした自転車もピックして家まで歩いて帰りました。

神様、素晴らしいひとときをありがとうございました。

 

近日中にDVDとBlu-rayの封を開いて特典の解説と共に作品もゆっくり観返して、もっと理解を深めたいと思います。

ブレッソン、素晴らし過ぎます。

 

Posted on 04.23.22

先日書いた『KYOTOGRAPHIE, そしてアピチャッポン・ウィーラセタクン』の記事の続きです。

 

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KYOTOGRAPHIEを無事に回り終えた僕には『光りの墓』が上映される出町座に向かう前に、もう一つ行かねばならぬところがありました。

これもお客様から教えていただいてた和菓子屋『嘯月』で事前に和菓子の予約をしていたのです。

前のブログを読んでくださった方は「まだ食べ物買うんかい!」と突っ込みたくなるところだと思います。

何たって僕のリュック(だけでは入りきらなくなってたので手提げ袋にも分けて)は、パンと焼き菓子, 麩饅頭と、既に潤沢なおやつで満たされてたのですが、1週間前に電話予約した頃の自分は今こんなことになってしまってることを全く予知してなかったので、あんなに楽しみにしてた初嘯月だったのに、この時は Jonny Nash & Ana Stampの『There Up, Behind the Moon』を聴いてなんとか折れそうな心を保ちながら自転車を漕いてました。

僕の置かれていた状況を少しでも詳しく知りたいというキトクな方はGoogle Mapとかで嘯月のお店のある場所を一度調べてみてほしいのですが、自分がKYOTOGRAPHIEを回っていた河原町周辺からは絶望的とも言える距離があって、事前に調べている段階では「春の京都の心地よい風を感じながら行けたらいいか」くらいに思ってたのですが、そんな余裕はどこにもなかったです。

しかも、この後観る『光りの墓』は、とんでもなく眠気を誘う映画との評判なんです。

極度の不安症の僕は、自転車を漕ぎながら、噂に聞く嘯月を買いに行くワクワク感よりも、断然『光りの墓』で爆睡してしまわないかの心配に精神が支配されていました。

 

そんなことを思いながらなんとか嘯月に行き着いて、無事に和菓子を買いました。

僕は嘯月のことはそこまで詳しく知らないですが、長年続いてきたであろう歴史と趣を感じる素敵なお店でした。

こちらも帰ってから日本茶と一緒にいただきました。

舌があまり肥えていない僕ですが、見た目も日本の原風景のような美しさがあって、味も京都らしさを感じるとても美味しいものでした。

 

映画以外の全てのタスクを終えた僕は、また自転車に乗って出町座へ向かいました。

 

出町座に着いた僕の喉は極限までにカラカラだったので、映画の座席を確保し終えた財布に返す刀で“自家製レモンジンジャー”を購入し、一気に飲み干した頃にちょうど入場時間となりました。

 

映画館の座席に腰を下ろし、一日動き回った後の心地良い疲労感とホッと一息ついた安堵感を感じながらアピチャッポン監督の『光りの墓』を鑑賞しました。

 

 

 

 

『光りの墓』は、原因が全くわからない眠り病にかかった兵士たちが運び込まれてくる、タイ東北部の町コーンケンにある仮設病院を舞台にした作品です。

 

本作は、そんな自分の疲れた心と身体を、不思議なヒーリング効果で優しく包み込んでくれる映画でした。

 

作中の謎く眠り病を患って病室で静かに眠る患者たちのように、自分も意識が覚醒と半覚醒を行き来しているような不思議な体験をしました。(眠りかけていたとも言えます)

 

タイを舞台にした映像はとても美しくて心地良く、画面から大量のマイナスイオンを浴びているようでした。

 

スピリチュアルやファンタジーの要素はあまり得意ではないのですが、それらの要素を複雑に取り込むのではなく、床に落ちた水滴が融合し,やがて小さな水たまりになっていくような優れた芸術性で昇華しているところに、アピチャッポン監督の非凡さを感じました。

 

本作はアピチャッピン監督の母国,タイでは上映されていません。

体制批判や反戦などのメタファーを含む本作が、タイの軍事政権の権益によって許可が降りないと製作陣が判断したからです。

 

今は、ウクライナ問題が大きくクローズアップされていますが、世界には他にも問題を抱えた国が多く存在します。

僕も日本人として、日本の国家の考え方に対して疑問に思うこともありますが、世界の国々の中でみればそれは贅沢な不満なのかも知れません。

 

鑑賞後は、京阪電車に乗り込み、再び、Jonny Nash & Ana Stampの『There Up, Behind the Moon』を聴きながら、映画の優しい余韻に包まれて帰宅しました。(たまたま『光りの墓』と空気感が近かったんです)

 

仕事帰りの人達で少し混み合ってくる車内でしたが、それさえもとても心地良い時間に感じました。

本作を映画館で観ることができて良かったです。

 

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という感じの京都一日旅でした。

長文読んでいただき、嘯月の場所をGoogle Mapで調べてくださった方も(もしいらっしゃったら)、ありがとうございました!

 

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お気付きの方も多いかと思いますが、タイトルはスマパンの『メロンコリーそして終りのない悲しみ』的につけています。

 

ということで、今週のお休みを利用して久々に京都へ(もちろん一人で)行ってきました。

 

当初の目的は、KYOTOGRAPHIEを観に行くというものだったのですが、ついでに何かないかなと思って調べてたら出町座でアピチャッポン監督の『光りの墓』の上映がちょうどその日にあるということを知り、その上映時間が16:30なのでむしろそこから逆算してKYOTOGRAPHIEを回るスケジュールを組むことにしました。

さらに日頃、当店の精鋭揃いのお客様方から教えていただいてた喫茶店,パン屋,つけ麺屋,和菓子屋,フレグランスショップのオススメ店にもせっかくだから行こうと思って予定を組み立てたら、大手旅行会社のツアープランナーもビックリするような「レンタサイクルで巡る“超パンパン”日帰り京都旅」が出来上がってしまったのですが、なんとか無事に遂行してきました。

 

当日は朝早く起きて淀屋橋駅から京阪電車に乗って京都へ向かいました。

いつも電車に乗って遠くに向かう時に思うのは、「遠いところから来て下さってるお客様は、いつもこんなに時間をかけて通ってくださってるのか」ということです。

僕自身は、そもそも用事はなるべく自宅から自転車で行ける圏内(堀江から天王寺くらいまでは全然自転車で行きます)で終わらせることを最優先条件に考えてしまうタイプの人間なので、電車に乗ることも3ヶ月に1回もあるかないかの頻度だから、自分だったらわざわざ電車に乗って行く距離にある美容室に通うかと問われたら「行けたら行くわ」と言っていた友達が当日来る確率くらい非常に低いものになります。

ですが、ありがたいことに当店には大阪府外からもたくさんの方が通ってくださっています。

さすがに東京から来てくださってる方ともなると仕事のついでや帰省に合わせてという感じですが、名古屋からとかだと数名ですが髪の毛を切る為だけにわざわざ新幹線に乗ってまで通ってくださってる方もいらっしゃいます。

大阪に着いた足でお店に来てくださり、こちらが「この後、どこかに寄って帰るんですか?」と聞いても「いえ、もうそのまま帰ります」とおっしゃいます。

カットだけの為にカット代よりも遥かに高い交通費を支払って休みの日の貴重な時間も使ってはるばるご来店くださるのは、とても光栄なことです。

ですが本心を言えば、服屋さんとかハンバーガー屋さんにも立ち寄るとか、もうひとつ何か目的を入れてくだされば、僕が背負う十字架の重みも半分になるのになと思ったりもします。

それだけ自分の技術にまだまだ自信が持てないのです。

 

遠方から通ってくださってるお客様方、いつも本当にありがとうございます。

 

電車は、KYOTOGRAPHIEの開場時間の40分くらい前に到着するものを選びました。

まず、喫茶店でモーニングコーヒーを飲みたかったからです。

なんたって10時の開場時間以降は、売り出し中の若手芸人もビックリの怒濤のスケジュールが待ってるので、途中で呑気にお茶なんて飲んでる余裕はありません。

 

コーヒーが美味しいと聞いていた六曜社は、お店の雰囲気も味があってとても良かったです。

お店を構えている堀江界隈ではサードウェーブ・コーヒーを売りにするお店や、相変わらずスタバが人気ですが、個人的には濃い目のブレンドコーヒーを出してくれる落ち着いてて趣のあるお店が好きです。

前日に準備している時に、本を一冊持って行こうか悩んだのですが、きっと荷物も増えるだろうからと結局持っていくのをやめたのですが、こんなに居心地が良くてコーヒーも美味しいなら持ってくれば良かったと後悔したほど雰囲気の良いお店でした。

「ここにあと本さえあればエリック・ロメール気分になれるのに、手元にあるのがスマホじゃ、まるでギョーム・ブラック(宝島)じゃないか」と内心呟きました。

ギョーム・ブラックも良いんですけどね。

(もちろんコーヒーの写真なんて撮っていません)

 

 

と言っている間にギイブルダン展の時間になったので、京都文化博物館 別館へと向かいました。

 

 

ギイ・ブルダンは好きなファッション・カメラマンの一人だったので、知ってる写真がたくさん観れて良かったです。

会場は写真撮影OKということで、時折カシャカシャという音が聴こえてきたのですが、それはあまり気になりませんでしたが、一回インスタグラマーが使うような連写モードのカシャカシャ音が会場に響き渡った時は逆に面白いなと思いました。

こういうファッション写真やそれを観に来ている者に対するアンチテーゼの意味で、あえて連写モードで鳴らしたのかなと勘繰ったりしました。

その後、この辺りの別の会場を回り、パン屋にも寄りました。

ここで買ったパンも帰って食べたら、超絶美味しかったです。

 

 

【他に誰もいないのをいいことに、小津安二郎を意識してローアングルで撮った一枚】

 

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【イサベル・ムニョスがスペインで制作したプラチナプリントを京都で裁断し、糸に紡ぎ織り上げられた山口源兵衛作の帯】

 

 

(一部にはその枠を超えたものもあると思いますが)アニメなどの幼稚でエンタメ的なものではなく、こういうものを“クールジャパン”と呼ぶべきだと思います。

 

 

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その後に向かったのは、何必館で開催されているペンティ・サマラッティ展です。

 

 

こちらはKYOTOGRAPHIEのパスを持っていても別途1000円が必要になります。

そして、館内は一切撮影禁止です。

 

そんな映えらせられない事情もあってか、ここが一番空いていました。

(そして、決してインスタ映えするような作品でもありません)

ですが、個人的には今回京都に行って一番良かったと思えたのが、この展覧会でした。

 

あまりにも素晴らしかったので、まだこれから色々と回らないといけないのにも関わらず作品集まで買ってしまいました。

 

撮影が禁止だったことに配慮して、ここでも作品集の中の紹介はしないでおきます。

ご興味のある方は、お店に置いていますので、待ち時間などにぜひご覧くださいませ。

 

代わりにサラマッティ展を紹介している新聞の記事を載せておきます。

 

この後もアーヴィング・ペンとか観れるところは全て行きましたが、ここを上回る感動を得るところはありませんでした。

 

 

10年前の自分なら、ギイ・ブルダンやアーヴィング・ペンに狂喜乱舞していたと思いますし、美容師ならそれくらいの感性で止まっておくのが一番“オシャレ感”があって人気も出るのだと思いますが、自分はオシャレ感を出す為に観にきてるのではないですし、今のように自分の趣味趣向が変わったことは自分自身では本質というものに少し近づいた成果ではないかと好意的に感じています。

何より、より興味を惹かれるものが出てきた時に、それが何であれ無視することなどできず、徹底的に調べ上げたくなる性分です。

 

 

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自分は単なる一美容師なのですが、今ではその中でも“自分の役割”というものがあるということに気付けています。

僕自身、多くの人が手に入れたいと思うようなものにはあまり興味が湧きません。

自分がそうであるから、自分につくお客様というのも、やはり何か普通の感覚とは違うものを持った方が多いです。

そういった方は、「ベストヘアサロン」みたいな謳い文句のお店じゃ絶対に合わないんですね。

ファッションが好きでも、東京の真似事(失礼な言い方ですみません。東京などのオシャレ美容室の影響を受けているような、というマイルドな言い方にしても失礼だと思われたら重ね重ねすみません)をしているような美容室も、「モード」ではないんです。

 

自分はいたって普通の人間だと今でも思っているのですが、そういう感覚は世間では「変わり者」とみなされるようです。

 

僕自身は変わり者と思われようが、何ら気にせずに生きていけるのは、自分で自分が好きなお店ができていて、それを良いと思ってくださるお客様やスタッフがいてくれるからだと思います。

そういう意味ではとても幸運だったと思います。

 

でも、当店に通ってくださってるお客様には普段周りではそういう部分は共感されないという方も少なくありません。そういった方のほうが感性が優れているのに。

だから自分は、そういった悩みを抱えるお客様にとっても、納得のいく髪型を提供したいと強く思っています。

 

サマラッティの展覧会で“心創手追”という言葉がありました。

「“心”と“眼”が優れたものを発想し、手はそれに従い“技術”として必ず追ってくる」という意味です。

 

自分が見たり読んだりするもの。それらからどういう影響を受けたり感じるかによって、僕のカットは日々僅かに変化していくような不安定な部分があると思っています。

ですが、だからこそ他の人では出せない感覚を髪型の中に入れることができますし、それが自分が切った髪型の特徴にもなります。

何より、美容師としてのキャリアを積んできた今現在でも、自分のカットに納得できず、難しいと捉え続けることができているところに、大変ながらも面白さとやり甲斐を感じることができています。

 

そして、自分についてくださってるお客様は、そういう僅かな変化を感じ取れる方が少なくないと思っています。

だからこそ、自分自身も技術面だけでなく“心”や“眼”も休めることなく鍛えなければいけない。

半分は趣味、半分は仕事なのです。

 

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KYOTOGRAPHIEの会場の移動の途中で、お客様から教えてもらった香水屋さんにも行きました。

 

そのお客様も相当にコアな方で、この人が勧めるお店ならきっと面白い方がされているのだろうと思って行きましたが、いや流石でした。

店主さんお一人でされている小さなフレグランスショップでしたが、香りへの探究心がズバ抜けてるのはすぐにわかりました。

家電量販店でも、説明を聞いてるだけで「この人家電相当好きなんだろうな」と思う方がいらっしゃいますが、まさにあの感じです。

そしてセレクトされている香水も、とても魅力的なラインナップでした。

最初に好きな香りのタイプを聞かれたので、それに答えていくつか紹介してもらってたのですが、もう途中から好みの香りなんてどうでも良くなって、それぞれの香水のインスピレーションや作られた背景についての部分がとても興味深くて、結局ダンテの“神曲”を香りで表現したという香水を香りのテスティングもあまりしないままに買って帰りました。

なんたって僕には時間がなかったのですが、ここの香水屋さんはまた次回は時間に余裕を持って再度訪れたいです。

最後に店主さんに「きっかけは何だったのですか?」と尋ねたのですが、「高3の時に母に買ってもらったブルガリのプールオム・ブルーです」と何の恥ずかしげもなく、むしろ威風堂々と答えてくれました。

もうこの一言で、この人が相当レベルの人であることはわかります。

 

僕が中学時代に一番良く聴いてたのがB’zやZARDだったのを言えるようになったのはここ最近の話で、それでもそれを聞いた相手が全然笑ってくれないとまだ内心ちょっぴり恥ずかしくなります。

 

この時点で僕のリュックは、この日買った写真集やポストカード, 香水, パン, 焼き菓子,奥さんにお土産に頼まれてた麩饅頭などでパンパンになってて、ハンデ戦に出走したG1馬の背負う斤量くらいの重さに感じてて、朝の時点で「持ってくれば良かった」とかほざいていた本を持って来なくて心底良かったと思っていました。

 

まだ映画の話は書けてないのですが、美容師の書くブログの長さの域を遠に越してると思うので、またそれは記事を分けて書きたいと思います。

 

長文読んでいただき、ありがとうございました。

Short Hair

2022.04.08.

Posted on 04.08.22

Posted on 02.16.22

10年前にパリのmaison martin margiela のフラッグショップで買ったメゾン初の香水“untitled”のリミテッド・エディション。

 

 

日本では同名のミセスブランドがあるということで商標許可が下りず、“untitled”の表記が省かれ、透明のボトルの底辺を白いインクでディップさせたようなデザインで販売されました。

 

このシルバーで覆われたリミテッドエディションは、日本では手に入らなかったと思います。

 

たまたま発売されたタイミングでパリを訪れて購入することができました。

これはデザインが気に入って買ったので、一度も使わずに(日本で売ってる限定じゃないタイプのものを買って使用していました)置いていたのですが、入ってた袋を匂うとさすがに少し酸っぱさが出てきていました。

 

あと20年くらい寝かせてから開封したら、あの浦島太郎をも超越する体験ができるやも知れません。

ぜひその際は、沢尻エリカかピエール瀧かノリピーに差し入れしたいと思います。

 

今は空前のマルジェラブームなので、僕の中の悪魔が「メルカリに出せ」と囁いてくるのですが、そこははを食いしばって自重して、パリの思い出と共に大切に残しておくことにしました。

 

せっかくなので、お店に飾っておこうと思います。

見かけたら声をかけてあげてください。