best movie of 2022
2022.12.28.
Posted on 12.28.22
先日書かせていただいた年間ベストアルバムに続いて、年間ベスト映画も一応発表させていただこうと思います。
あくまで僕自身が今年観た映画の中でのランキングですので、新作旧作はもちろん、視聴環境も映画館と自宅どちらも混合でのランキングです。
.
【10th】
テンギズ・アブラゼ 『懺悔』(1984年)
旧ソ連時代のジョージア出身の映画監督、テンギズ・アブラゼによる“祈り三部作”の最終章。
スターリン時代の恐怖政治の暗部を鋭く描いた喜劇。
上の写真の本作の独裁者が、もう夢にも出てきそうなくらいの強烈キャラでした。
反体制を訴えかけるシンボリズムと、独特のツボを持ったシュールレアリスムの調和。
室内のカットは、インテリアの調度や色遣いなど、ブレッソン映画のような格調の高さを感じました。
本作は、ゴルバチョフによるペレストロイカの前に制作されたもので、その体制批判的な内容から上映禁止となり、フィルムも廃棄寸前となりました。
エンドロールに「グルジア・フィルム、1984年」とありましたが、あえて年号を制作会社と共に明記させているところに、関係者の思いを感じずにはいられません。
当時のソ連において、本作が公開されるとは誰も期待していなかったのでしょう。
本作は、1987年にソ連でも公開されました。
そこにはジョージア人のソ連外相, シェヴァルドナゼ氏の大きな努力があったと言います。
.
【9th】
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 『マリア・ブラウンの結婚』
『第三世代』もそうでしたが、本作も冒頭のクレジットからバチバチにカッコイイ。
ファスビンダーの作品は、いつも「何を見せてくれるんだろう」とワクワクします。
戦争により、結婚式の翌日から引き裂かれる二人の運命。
これがファスビンダー流“フェミニズム”なのか。
バーのホステスからのマリア・ブラウンの成り上がりっぷりが狂ってて面白い。
爆破で始まり、爆破でおわるラストもお見事。
.
【8th】
マノエル・ド・オリヴェイラ 『神曲』 (1991年)
今年、ある香水を買ったことをきっかけにダンテの『神曲』を読んだのですが、どうせならオリヴェイラのこちらも今年中に観ようと思いました。
オリヴェイラの描く『神曲』は、ダンテとは全然違います。
舞台となるのは精神病棟。
冒頭、旧約聖書の有名なアダムとイヴの場面から始まります。
ドストエフスキーの小説の登場人物の名前に準えた役者達。
キャスト達の豪奢な衣装、ここは本当に精神病棟なのか?
そのセリフは劇中劇として用意されたものなのか、それともよりリアルなものなのか。
キリスト教、ドストエフスキー、ニーチェなど、日本人がこの映画をより理解する為にはそのあたりの知識がそれなりに必要かも知れないです。
僕もドストエフスキー作品は買って手元にあるのに、なかなか途中までしか読めていない浅学非才の身ですが、それでも傑作だと思える作品でした。
崇高な芸術性を存分に発揮しつつ、観るものに問いかけているようで、ラストの“カチンコ”で「これは所詮映画なのだ」と自らオチをつけるオリヴェイラ。
凄すぎます。
.
【7th】
タル・ベーラ 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)
タル・ベーラの傑作、ここに在り。
ハンガリーの作家, クラスナホルカイ・ラースローの『抵抗の憂鬱』を映画化した作品。
145分の映画で、僅か37カット。
1カット毎、時間という概念, 映画という概念をまるで取り払ったかのような渾身の長回し。
厳格なモノクロの映像には、無駄なものは一切削ぎ落とされ、その結果、人間の姿が浮き彫りになる。
人間とは、どこから来て、どこへ向かうのか?
地球と月、和音と不協和音、土地の者と招かざる客、秩序と暴動、神とクジラ…
その間を媒介する主人公, ヤーノシュの生きる姿。
そしてこの物語をファンタジーかのように錯覚させるヴィーグ・ミーハイによる幽玄で甘美な音楽。
尋常ではない長回しでも、眠くならないどころか、むしろ逆にその映像に引き込まれました。
.
【6th】
エリック・ロメール 『恋の秋』(1998)
エリック・ロメールによる“四季の物語”、そのラストに描くのは円熟味が出る40代の大人の恋。
ロメールは何かと難しくなってくる不惑の恋でも、これほどまでに面白く描けるのですね。
サッカーで例えると、自陣でのパス回しから相手陣地へと攻めていき、FWが相手DFを交わしてシュート!ボールがゴールキーパーの手の横をすり抜けてゴールネットにいざ突き刺さろうとする。
でも、ロメールはゴールネットを揺らすところまでは決して写さない。
その腹6分目加減が堪らない。
かと思えば、全てがハッピーで多幸感に包まれたエンディングのダンスシーンでイザベルが最後にみせる意味深な表情。
いかにもロメールらしい余韻のラストでした。
.
【5th】
シャンタル・アケルマン 『私、あなた、彼、彼女』 (1974年)
撮影時24歳だったアケルマンによる、セルフポートレイト作。
後の『ジャンヌ・ディエルマン』へと繋がる、ある種アケルマンの原点とも言えるようなものがありました。
むしろ、本作の方が孤独感や閉塞感、そして本能や生命力といったプリミティヴな感性が強烈に伝わってきました。
荒く禍々しいモノクロ映像は、風で消えかけそうになっている魂の蝋燭のよう。
時折、画面が闇に消されてしまいそうになるくらい危なかしく感じるシーンもありましたが、その後に映し出されるラストの長回しは言葉では表せない圧倒的なものでした。
.
【4th】
マルセル・アヌーン 『夏』 (1968年)
クラシック音楽が流れ、女性が走る。
これぞ僕が観たいヌーヴェルヴァーグです。
ゴダール映画のあの独特なナレーションは、アヌーンをパクっていたんだなということがわかりました。
(ほぼ同時期ですし、ゴダールはアヌーンの映画をサポートしてたくらいですが)
ぜひ日本各地の映画館でも上映してほしいですし、四季ボックスが発売されるなら10万までは余裕で出します。
.
【3rd】
ジャン・ルーシュ 『人間ピラミッド』 (1961年)
シネマ・ヴェリテの創始者にして、映像人類学の巨人, ジャン・ルーシュによる、人種差別問題に切り込んだ実験映画。
オープニングの字幕
「この映画は、黒人と白人の青年グループの中に作家が喚起した実験である」
本作の舞台はコートジボワール。
フランスの植民地下にあった当時、現地では同じ学校に通ってる白人と黒人の学生達でも互いに交流はなかったと言います。
冒頭のシーンでルーシュは白人のグループを集め、これから撮ろうとする映画の実験的な意図を説明し、その後、同様の説明を黒人のグループにも行います。
生徒(登場人物)たちは、演技や会話だけでなく、本作におけるストーリーの展開においてまで即興に委ねるという趣旨を伝えられます。
但し、その中に監督の指示もいくつか入りますが、白人学生の誰かにレイシストを演じてもらうという指示以外は、こちらにはどこまでが監督の脚本なのかがわかりません。
でも、それが斬新な挑戦でとても面白かったです。
.
【2nd】
ロベール・ブレッソン 『たぶん悪魔が』 (1977年)
ドストエフスキー最後の長編小説『カラマーゾフの兄弟』の一説から引用されたタイトルは、きっとブレッソンがこの世の有り様や人間達の愚かさに対して、嘆きとも言えない絶妙に微妙な感情で言い表したものでは無いかと思います。
耳を引き裂くようなパイプオルガンを調律する音、車のブレーキ音、そして日常そこら中にある協和融合しない生活音。
ブレッソンの映画は情報が極限までに削ぎ落とされているからこそ、自分達が日々聞こえているであろうそれらの音の異常さに改めて気付くことができます。
都会に住んでいると夜空の星の本当の美しさに気づくことができないのと同様、現代における日々が便利で忙し過ぎる故、この世の狂い様にも気がつきにくくなっているのだろうと思います。
.
【1st.】
アンドレイ・タルコフスキー 『ストーカー』 (1979年)
タフコフスキーの映像詩は本当に素晴らしいです。
日本では、“ストーカー”は一般的に恋愛対象者への執拗な付き纏い行為のことを指しますが、もともとの意味は“密猟者”。そして、本作では地上に忽然と出現した不可解な空間「ゾーン」への案内人のことを指しています。
冒頭はセピアがかったモノクロ映像から始まり、「ゾーン」に侵入するとカラー映像へと変わる。
そのどれもが溜息が出るほどに美しい。
特に水の表現力は圧巻でした。
本作は、後に亡命するタルコフスキーからロシアの体制に対しての冷静でいて痛烈な批判が込められているのだろうと思います。
タフコフスキーの映画は、いつも自然が奇跡を起こしたような映像があります。
これは芸術に他ならない。
.
ということで映画は10位まで紹介させていただきました。
そして結果的に新作映画はひとつも入らなかったです。
『TITAN/チタン』とか『英雄の証明』とか『リコリス・ピザ』とか、新作もちょくちょくは観てたんですけどね。
選んだものはレアな作品が多くなってしまいましたが、レンタルとかサブスクで観られる作品も中にはありますので、ご興味が沸いたという方はぜひ年末年始のお休みにでもご覧になってみてください!
僕は正月休みでドストエフスキーの小説を1冊は読み終えようと思っています。
長々と読んでいただき、ありがとうございました!