Posted on 02.26.19

今月19日、シャネルやフェンディでデザイナーを務めていたカール・ラガーフェルドが85歳の生涯に幕を閉じました。

karl

 

カールがファッション界に残した功績は計り知れません。

モードにそれほど詳しくない人でもカール・ラガーフェルドの名前は聞いたことがあるという人も多いでしょう。

メゾンに雇われたデザイナーとして、これほど世界的に有名な人物は他にいないかも知れません。

 

数年前に、カールの「スケッチで語る人生」という作品を観たことがあります。

そこでカールは、インタビューに応える際、ファッションデザイン時に用いる自らのスケッチブックにスラスラとイラストを描きながら自身の言葉と共にインタビュアーにその考えを伝えていました。

言葉にするよりも早くその造形が浮かんで手が動く。

そんなデザイナーは、今では絶滅危惧種となっていることでしょう。

カールをフォーカスした別のドキュメンタリー作品「 サイン・シャネル」でも、カールのデザイナーとしての圧倒的な才能を垣間観ることができます。

 

シャネルの服作りはチームで動きます。

まずは、カールが新作のデザインをスラスラとスケッチに起こし、それをドレス,ジャケットなど部門ごとに分かれた各クチュリエチームの責任者に渡します。

熟練のクチュリエ達はそのカールがデザインしたスケッチを見ただけで、もう感動を覚えています。

これはカールの描くデザインが素晴らしいというのももちろんありますが、カールの作りたい服、作ろうとしている服がどういうものかをクチュリエ達もそのデッサンを見ただけでそれを理解できるという知識と感性が備わっているということでもあります。

カールがデザインを起こし、それをクチュリエ達に見せた時にその場に瞬時に生まれる一体感。

自分はその一連の光景に震えました。

現在においてもシャネルが人気であり続けているのは、決して過去のブランド力のお陰ではないのです。

カールも素晴らしいデザイナーですが、シャネルには他の全てのメゾンと競わせてもトップクラスのクチュリエ達が働いています。

 

カールはシャネルよりもフェンディの方がそのブランドでのデザイナー歴は長いですが、カールにはシャネルのデザイナーの方がよりマッチしていたように思います。

結婚もせず最後の最後までファッションに生涯を捧げたカールの生き方は、まさにココ・シャネルの生き方そのものです。

 

60代も後半になって、当時革新的だった「エディ・スリマンがデザインしたディオール・オムの細身のスーツ」を着るために40kg以上もダイエットしたというエピソードも、カール自身の決して枯れることのないファッションへの好奇心の深さの現れであり、彼が愛され続けている理由のひとつでもあると思います。

 

自分は男ということもあって、最後までカール・ラガーフェルドがデザインした最新の洋服に袖を通すことはありませんでしたが、カールのデザインしたシャネルのコレクションを見ることは常に楽しみでした。

 

老舗のラグジュアリーブランドであっても短期間でそのデザイナーが目まぐるしく移り変わることも少なくなくなった昨今、シャネル, フェンディと当たり前のように毎シーズンのコレクションを自身の命が尽きる直前まで発表し続けたその生き様に、心からご冥福をお祈りしたいと思います。