Posted on 03.23.23

昨日のブログ,東京物語(小田原編)の続編です。

再度書いておきますが、タイトルの『東京物語』は小津安二郎監督の名作から引用させていただいております。

 

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江の浦測候所の見学を終えて、小田原から新幹線で東京に到着した後、ホテルでチェックインを済ませた頃には夕方を迎えようとしていました。

1日目の2つ目の予定は、(勘の良い方ならタイトルでお気づきになられた方もいらっしゃるかも知れないですが)この旅での、というか大袈裟にいうと僕の人生においてもメインイベント、björkのコンサートを観ることです。

 

 

今回のbjörkのジャパンツアーは、最新型のcornucopiaと古典的なorchestralという2つのバージョンに分かれています。

オールドファンの僕は、どちらかひとつ選ぶなら即決で古典的なorchestralの方を選びました。

大阪でも同様の公演が今週ありますが、仕事に影響が出ない日程が東京だったので、僕は東京公演に行くことにしました。

 

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ここで前回のブログを読んでくださった方の中には「ビョークのコンサートがあるなら、カリ・マローンとか聴いてるんじゃなくてビョーク予習しとけよ」とお思いになられる方もいらっしゃるかと思いますが、ビョークの場合はむしろ直前まで聴かない方が良い気がしたんです。

(観に行くのがリバティーンズやストロークスなら、直前までガンガン聴いていたかも知れません)

 

 

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当店の店名“V:olta”は、björkのアルバムタイトルから引用させてもらいました。

『volta』は、僕が独立する一年前に発表された当時の最新アルバムでした。

 

 

björkは高校生の時に初めて聴いて、そこからずっと彼女のファンですが、実際に観ることができたのは今回が初めてでした。

舞台には32人のオーケストラとビョークのみ。

セットリストは『Post』や『Homogenic』など初期の頃の作品からのものが多かったです。

 

 

 

時間にして1時間強ほどの比較的短いステージでしたが、ストリングスとビョークの肉声のみでのコンサートは、あまりにも優雅であまりにも贅沢な時間でした。

 

“Hunter”くらいから当時高校生の頃に聴いてた時のことを思い出してきて、“Jóga”では感極まり過ぎて目から涙が溢れました。

コンサートで泣いたのは初めての経験でした。

 

 

 

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僕は、淡路島の田舎育ちでした。

僕が実家で暮らしていた当時は、インターネットもスマホもなく、それどころか本屋だって町にひとつくらしかない程にのどかな田舎では海外のカルチャーなんてものはほとんど存在していませんでした。

父は家族で出かける車中ではボブ・ディランやニール・ヤングをかけ、小学生の僕にサルバドール・ダリの画集を買ってくれましたが、まだその頃は僕自身ごく普通の田舎の少年だったと思います。

 

僕が自分自身で海外のカルチャーに興味を持ったのは、ヴィヴィアン・ウエストウッドやセックス・ピストルズなどのパンクがきっかけだったと思います。

高校は一応田舎では進学校に進みましたが、高校時代はさらにファッションや音楽などのカルチャーに夢中になりました。

 

毎月、一生懸命アルバイトして稼いだバイト代の入った茶封筒をそのまま持って、月に一度田舎から神戸や大阪へ買い物に出かけるのが何よりも楽しみでした。

コム・デ・ギャルソンやY’sなどのドメスティックブランドから、ジャン・ポール・ゴルチエやドリス・ヴァン・ノッテンなどインポートのデザイナーズ系など、今以上に着こなせていない当時の自分にはまるで身の丈に合っていない買い物ばかりしていましたが、給料袋と財布の中身がすっからかんになる代わりに両手に持ちきれないほどの洋服の入ったたくさんの紙袋を手に、タワレコなどで買った大量のCDをバッグに詰め込んで田舎へと帰る帰路は、毎回何とも言えない高揚感と満足感に包まれていました。

だいたい毎月お給料を貰った週の土曜日に買い物に出かけ、日曜日は前日に買ったCDを聴きながら、こちらも前日に買ったばかりの服を部屋で改めて試着してみたりして過ごす時間がとても幸せで楽しかった記憶があります。

 

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その当時、CDが擦り切れるほど聴いた作品が2枚あります。

レディオヘッドの『OK コンピューター』と、ビョークの『ホモジェニック』です。

 

 

それから音楽の趣味はシューゲイザーやポストパンクなど~さらにディープな世界へと掘り進んでいき、今ではこの2枚以上に好きなアルバムもたくさんあるのですが、やはり自分の青春をリアルタイムで彩った音楽というものには特別な思い入れがあります。

 

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大阪には美容学校で出てきて、今では田舎の実家で過ごした時間より大阪に住んでいる時間の方が長くなってしまいました。

美容師として社会に出てからも歳月は流れ、20代後半で独立して自分のお店を持つ時がきました。

 

その時、トム・ヨークのような考察力とビョークのようなアート性を持つヘアサロンにしたいと思いました。

そして、店名はビョークのアルバムから取って“v:olta”とすることに決めました。

“v”のあとの“:”は、björkについているoの上の“:”の意味でもあります。

 

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自分自身は独立してから、スタッフにも支えられながら初心のコンセプトを忘れずに一生懸命、何とかここまで続けてくることができました。

まだまだビョークの作品タイトルを名付けさせていただいているお店としては役不足感は半端ないですが、それでも当時の高校生の自分から思うと、今現在の僕自身の日常は望外なくらい幸せなものであるのは間違いないです。

 

ビョークの素晴らしい歌声を聴きながら、そんなことに思い馳せていました。

この日の夜のことは多分、一生忘れないと思います。

 

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会場ではリトグラフやTシャツなどのグッズもしっかりゲットできて、トートバッグはその日から大活躍してくれています。

 

これからbjörkのコンサートに行かれるという方は、ぜひ楽しんでください!

アリガト、björk!!!

 

 

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東京旅の2日目のことは『美術館編』でまた後日書きます。