3月28日に亡くなった坂本龍一さんが最晩年に語った自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

 

 

 

僕は、連載されていた新潮を毎月買って既に読んでいましたが、坂本さんへのお香典代わりの気持ちとして購入させていただきました。

 

本書のタイトルにもなっている「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」という言葉は、坂本さんが音楽を手掛けた映画『シェルタリング・スカイ』の最後で、同作品の原作者であるポール・ボウルズが語る言葉から引用されています。

 

坂本さん自身も『シェルタリング・スカイ』を手掛けていた頃は脂の乗り切った年頃で、まだそんなことを現実的に考える時期ではなかったと思いますが、大病を患い、自身の死期が迫っていることを自覚したことで、この言葉を改めて思い返したところがあったのだと思います。

 

本書には、新潮の連載では掲載されていなかった、口述筆記の聞き手を務めた鈴木正文氏による“あとがき”がありました。

それを読むと最晩年の坂本さんは、病床で本を読んだり映画を観たりということを積極的にされていたそうです。

そして、教授自身が選曲した『Funeral (葬儀)』と題した、自身の葬儀で流す為のプレイリストを作成し、その曲目や曲順を何度も入れ替えたりしていたそうです。

 

 

僕は5年くらい前に、イサム・ノグチ庭園美術館というところを訪れたのですが、そこには土の庭一面にノグチさんの遺した彫刻作品がたくさん並んでいました。

それらは、ノグチさんがその庭で遊ぶ近所の子供たちのことを頭に浮かべて配置したそうで、晩年はその庭に並べた作品の配置をどうするかということを主に考えておられたそうです。

 

 

坂本さんが亡くなる直前までプレイリストを悩まれている姿を想像して、この美術館のことを連想しました。

イサム・ノグチ庭園美術館は、個人的に国内で一番好きな美術館です。

 

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坂本龍一さんの音楽(戦場のメリクリ以外)や、イサム・ノグチさんの美術館に対して強い興味を持っているというような方は、今の日本の若い世代の人達に限定すると(残念ながら)100人の中に1人いるかどうかというくらい少ないのではないかと思っています。(実際はもっともっと少ない割合かも知れません)

 

最近、李禹煥さんの版画を一枚手に入れたのですが、それは白い和紙の真ん中にチョンと黒い点をひとつ描いただけの作品なんです。

(それを李禹煥という人物が手掛けているからいいわけです。そして一見簡単そうに見えるもので違いを生み出すことの方が、より一層洗練された技術が必要となります)

 

そんな一見誰にでも描けそうな作品を何十万も出して買いました。

自分の旦那さんや彼氏が同じことをしたら発狂するくらい怒るという方もたくさんいらっしゃると思いますが、僕なら自分の奥さんがブランドのロゴ丸出しの映え系大ヒットバッグなんて持ってようものならそれこそ発狂するくらい酷評すると思いますし、人の価値観というのは本当に千差万別です。

 

僕にとってその版画は、今の自分の所有物の中で一番の宝物です。

 

 

そういう偏屈な自分が経営している美容室というのも、自分の好みを出せば出すほど今の大多数の人の興味の中心からは外れていってしまうものだと思っています。

ですが、一般的には分かりにくい感覚のものを表現すればするほどに、それに共感して選んでくださる人の存在というのは本当に力になるものです。

別段何も秀でているものを持たない自分にとって、一番誇れるものは当店のお客様です。

改めて感謝の気持ちを表したいと思います。

こんなに自分の趣味を出してお店作りができているのも、当店を選んで通ってくださる皆さんのおかげです。

いつも本当にありがとうございます。

 

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僕も坂本さんのように、老後は好きなだけ映画を観て音楽を聴いて,本を読んで過ごすことを楽しみに(既にその時に備えて山ほどストック中)、今はサボらず(チャンスがあればサボってます)一生懸命に仕事を頑張ろうという気持ちです。

その時代も、平和で穏やかな日本であることを切に願っています。

 

そして、いざその時が近づけば、僕も坂本さんを見習って(僕の場合、誰に聴かせるわけでもない)僕のFuneral Playlistの作成を一人愉しみたいと思います。

 

皆さんも一度しかない人生を、存分に楽しんで生きてください!