Songs for Drella

2023.01.24.

Posted on 01.24.23

昨日のお休みは阪急電車に乗って塚口まで出向き、塚口サンサン劇場で上映されている映画『Songs for Drella』を観てきました。

 

 

塚口サンサン劇場は今回初めて行ったのですが、ローカルな駅にあるにも関わらずスクリーンも大きく立派で、とても素敵な映画館でした。

劇場の名前も良いし。

僕もV:oltaの店名を“堀江サンサン美容室”に改名したくなりました。

 

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本作『Songs for Drella』は、1990年に発表された音楽,映像作品の4K修復版。

元The Velvet Undergroundの二人の天才, ルー・リードとジョン・ケイルによる、1968年の決別以来21年ぶりに共演した無観客ライヴの記録映画となっております。

そして、『Songs for Drella』の“Drella”とは、The Velvet Undergroundを見出したポップアート界の天才, アンディ・ウォーホルを指します。

ウォーホル周辺のいわゆる“スーパースター”だったブルックリン出身の俳優,オンデュースによって考案されたそのあだ名は、おそろしいドラキュラと魅惑的なシンデレラを掛け合わせたものでした。

 

 

 

僕は、京都で開催されているアンディ・ウォーホル展には例え京都に行く予定があったとしてもついでに寄ろうとは考えないですが、この映画を観るためなら塚口まで喜んで出向くタイプの人間です。

そんな人間はこの共感万歳の時代に向いていないのは火を見るよりも明らかです。

 

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The Velvet Undergroundは、ニューヨーク生まれでシラキュース大学で詩人,デルモア・シュワルツの教えを受けたルー・リードと、イギリスはウェールズ生まれでクラシックと現代音楽を学ぶためにニューヨークにやってきたジョン・ケイルを中心に結成されました。

バンド名の由来はマイケル・リー著のSMなど性的なサブカルチャーを題材にした同名のペーパーバックから引用されました。

 

バンドはニューヨークのライブシーンで静かにその名を響かせるようになっていきます。

その評判を耳にして視察に駆けつけたのが、現代アート界のスターであったアンディ・ウォーホルでした。

ウォーホルは彼らの特異な才能をすぐに察知して、自らバンドのプロデュースに名乗りを挙げ、デビューアルバムのアートワークまで手掛けました。

そして1967年にデビューアルバム『The Velvet Underground & Nico』が発売されます。

しかし、当時では前衛的なそのアルバムはあまり売れませんでした。

別の問題として、バンドメンバー達も世間からアンディ・ウォーホルの愛玩物のような目で見られがちなことに対しても次第に反発を覚え、ルー・リードはウォーホルに決別を告げました。

同時にウォーホルが抱き合わせたニコとも決別した後、彼らは傑作セカンドアルバム『White Light/White Heat』を完成させます。

しかし、このアルバムのレコーディング中からリードとケイルはバンドの方向性について度々衝突するようになり、それはやがて感情的な対立となってしまいました。

ジョン・ケイルはこのアルバムを最後にバンドを去りました。

 

バンドはその後もアルバムを2枚リリースしますが、結局商業的には大きな成功を得ることなく1971年に解散してしまいます。

 

しかし皮肉なことに、この頃からヨーロッパを中心にThe Velvet Undergroundの人気は高まっていくことになります。

1972年には、リード, ケイル, ニコの3人による貴重なコンサートが開かれ、二人は久々に共演しました。

 

しかし、それ以降の二人はまた長くすれ違いの人生を歩みます。

そんな状況を変えたのがアンディ・ウォーホルの死でした。

 

ウォーホルの追悼会で久々に再会した二人は、共通の知人である画家のジュリアン・シュナーベルの提案もあってウォーホルを偲ぶ本作『Songs for Drella』の制作に向けて再び一緒に仕事をすることになりました。

 

説明が長くなってしまいましたが、これでもだいぶ端折った感じの(説明が下手ですみません)この作品が制作されるまでの経緯です。

 

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映像では、リードとケイルの間にはまだなんとなく関係のぎこちなさがあるのだろうなという微妙な緊張感が伝わってくるようでした。

 

 

同名アルバムの曲たちを通じてウォーホルとの関係や思い出が語られ、そしてそれはラストの“Hello It’s Me”へと紡がれていきます。

 

年齢を重ねた二人の姿もカッコ良すぎました。

ジョン・ケイルの衣装なんて、カール・ドライヤーの映画に出てくる登場人物のようです。

 

 

 

 

 

 

上でも少し書きましたが、The Velvet Undergroundのデビューアルバムは当時あまり売れませんでした。

ですが、そのアルバムを買った人はみんなバンドを始めたという逸話が後に残るくらい、作品は先進性があるものでした。

 

 

僕は思うのですが、それは成熟した今の時代においても同じなのじゃないでしょうか。

今の承認欲求全盛の時代において、当店がバズってるようじゃ、やはり本当に格好良いことはできていないのだと思います。

(実際バズってもないですし、思うほど格好良いことが現状できているという自信もそんなに無いんですけどね)

 

でも、当店にご来店いただいているお客様の中には、その時代に生きていればThe Velvet Undergroundのアルバムを買ったであろうなと思うような感性の方がたくさんいらっしゃいます。

僕は、そういった方々に認めてもらえること,選んでいただけることの方が、世間で人気が出たり商業的に成功するよりも余程大事です。

 

 

当初から通ってくださっている顧客様なら知っているかと思いますが、こんな当店でも当初はバズってしまっていた時期があったんです。

それは、僕の感性が未熟だったり技術不足だったりしたことで、自分の理想よりもその完成形が下回っていたからだと思います。

でも、それくらいの方が世間ではウケが良いんです。

 

今の場所に移転する際、店内を少し敷居が高く感じるくらい特別なものにしてもらいました。

引き渡していただく時に、内装を作っていただいた業者さんに「魂込めて作ったんで大切に使ってください」と仰っていただいたのを今も覚えています。そう言っていただけて身が引き締まる思いでした。

(今でも自分の技術は、この素晴らしい内装にまだまだ相応しくないレベルのものだと思っていますが、それでも移転する前とは比べ物にならないくらいには自分自身の技術もレベルアップしてきてると感じている部分もあります)

 

去年、NHKで特集されていた安藤忠雄さんのドキュメンタリーで、安藤さんが「今の建築物には魂が入っていない」と口にしたのを聞いた時、「自分たちのお店の内装には魂が入っているんだ」と思えて誇らしくなりました。

もちろんその空間に魂を与え続けるのは、そこで働く人とそこを訪れる人の感性や感情が大切だとも思っています。

 

これは大した話じゃないんですけど、でもちょっと自慢にできることでもあるし、別に僕だけ喜んでおけばよいので特にここでも書かなかったことなんですが、当店の取引先の方で安藤忠雄さんとお話しする機会があったという方が教えてくれたエピソードです。

その会話中、仕事の話になって安藤さんに「どんなところを担当してるの?」と聞かれた時に幾つかピックアップしてくれたお店の中に当店を選んでくださったみたいなのですが、当店のページを見せた時に「ここええやん!」と当店を褒めてくださったらしいです。

 

巨匠に褒めていただいて、僕も嬉しいです。

でも、美容室の中では、わかってくださる方には評価していただけることをやっている(目指している)自負は持っているつもりです。

 

まだまだ日本人は欧米の人の感性や考え方と比べると未熟な部分があると思っています。

V:oltaは、美容室という形式を通じて、日本人の感性を少しでも豊かにするようなことができたら、という密かな思いを持っています。

 

その為には、自分が一番頑張らないと、ということも重々承知しているので、これからも必死に頑張っていきます!

 

もう最後の方はヴェルヴェッツもウォーホルも全く関係のない話になってしまってすみません。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

 

 

best movie of 2022

2022.12.28.

Posted on 12.28.22

先日書かせていただいた年間ベストアルバムに続いて、年間ベスト映画も一応発表させていただこうと思います。

あくまで僕自身が今年観た映画の中でのランキングですので、新作旧作はもちろん、視聴環境も映画館と自宅どちらも混合でのランキングです。

 

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【10th】

テンギズ・アブラゼ   『懺悔』(1984年)

 

旧ソ連時代のジョージア出身の映画監督、テンギズ・アブラゼによる“祈り三部作”の最終章。

スターリン時代の恐怖政治の暗部を鋭く描いた喜劇。

 

上の写真の本作の独裁者が、もう夢にも出てきそうなくらいの強烈キャラでした。

 

反体制を訴えかけるシンボリズムと、独特のツボを持ったシュールレアリスムの調和。

室内のカットは、インテリアの調度や色遣いなど、ブレッソン映画のような格調の高さを感じました。

 

本作は、ゴルバチョフによるペレストロイカの前に制作されたもので、その体制批判的な内容から上映禁止となり、フィルムも廃棄寸前となりました。

エンドロールに「グルジア・フィルム、1984年」とありましたが、あえて年号を制作会社と共に明記させているところに、関係者の思いを感じずにはいられません。

当時のソ連において、本作が公開されるとは誰も期待していなかったのでしょう。

 

本作は、1987年にソ連でも公開されました。

そこにはジョージア人のソ連外相, シェヴァルドナゼ氏の大きな努力があったと言います。

 

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【9th】

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー   『マリア・ブラウンの結婚』

 

『第三世代』もそうでしたが、本作も冒頭のクレジットからバチバチにカッコイイ。

ファスビンダーの作品は、いつも「何を見せてくれるんだろう」とワクワクします。

戦争により、結婚式の翌日から引き裂かれる二人の運命。

 

これがファスビンダー流“フェミニズム”なのか。

バーのホステスからのマリア・ブラウンの成り上がりっぷりが狂ってて面白い。

爆破で始まり、爆破でおわるラストもお見事。

 

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【8th】

マノエル・ド・オリヴェイラ    『神曲』 (1991年)

 

今年、ある香水を買ったことをきっかけにダンテの『神曲』を読んだのですが、どうせならオリヴェイラのこちらも今年中に観ようと思いました。

 

オリヴェイラの描く『神曲』は、ダンテとは全然違います。

 

舞台となるのは精神病棟。

冒頭、旧約聖書の有名なアダムとイヴの場面から始まります。

 

ドストエフスキーの小説の登場人物の名前に準えた役者達。

キャスト達の豪奢な衣装、ここは本当に精神病棟なのか?

そのセリフは劇中劇として用意されたものなのか、それともよりリアルなものなのか。

 

キリスト教、ドストエフスキー、ニーチェなど、日本人がこの映画をより理解する為にはそのあたりの知識がそれなりに必要かも知れないです。

僕もドストエフスキー作品は買って手元にあるのに、なかなか途中までしか読めていない浅学非才の身ですが、それでも傑作だと思える作品でした。

 

崇高な芸術性を存分に発揮しつつ、観るものに問いかけているようで、ラストの“カチンコ”で「これは所詮映画なのだ」と自らオチをつけるオリヴェイラ。

凄すぎます。

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【7th】

タル・ベーラ    『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)

 

タル・ベーラの傑作、ここに在り。

 

ハンガリーの作家, クラスナホルカイ・ラースローの『抵抗の憂鬱』を映画化した作品。

145分の映画で、僅か37カット。

1カット毎、時間という概念, 映画という概念をまるで取り払ったかのような渾身の長回し。

厳格なモノクロの映像には、無駄なものは一切削ぎ落とされ、その結果、人間の姿が浮き彫りになる。

 

人間とは、どこから来て、どこへ向かうのか?

 

地球と月、和音と不協和音、土地の者と招かざる客、秩序と暴動、神とクジラ…

その間を媒介する主人公, ヤーノシュの生きる姿。

 

そしてこの物語をファンタジーかのように錯覚させるヴィーグ・ミーハイによる幽玄で甘美な音楽。

尋常ではない長回しでも、眠くならないどころか、むしろ逆にその映像に引き込まれました。

 

 

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【6th】

エリック・ロメール    『恋の秋』(1998)

 

エリック・ロメールによる“四季の物語”、そのラストに描くのは円熟味が出る40代の大人の恋。

 

ロメールは何かと難しくなってくる不惑の恋でも、これほどまでに面白く描けるのですね。

 

サッカーで例えると、自陣でのパス回しから相手陣地へと攻めていき、FWが相手DFを交わしてシュート!ボールがゴールキーパーの手の横をすり抜けてゴールネットにいざ突き刺さろうとする。

でも、ロメールはゴールネットを揺らすところまでは決して写さない。

その腹6分目加減が堪らない。

 

かと思えば、全てがハッピーで多幸感に包まれたエンディングのダンスシーンでイザベルが最後にみせる意味深な表情。

いかにもロメールらしい余韻のラストでした。

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【5th】

シャンタル・アケルマン    『私、あなた、彼、彼女』 (1974年)

 

 

撮影時24歳だったアケルマンによる、セルフポートレイト作。

 

後の『ジャンヌ・ディエルマン』へと繋がる、ある種アケルマンの原点とも言えるようなものがありました。

むしろ、本作の方が孤独感や閉塞感、そして本能や生命力といったプリミティヴな感性が強烈に伝わってきました。

 

荒く禍々しいモノクロ映像は、風で消えかけそうになっている魂の蝋燭のよう。

時折、画面が闇に消されてしまいそうになるくらい危なかしく感じるシーンもありましたが、その後に映し出されるラストの長回しは言葉では表せない圧倒的なものでした。

 

 

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【4th】

マルセル・アヌーン   『夏』 (1968年)

 

クラシック音楽が流れ、女性が走る。

これぞ僕が観たいヌーヴェルヴァーグです。

ゴダール映画のあの独特なナレーションは、アヌーンをパクっていたんだなということがわかりました。

(ほぼ同時期ですし、ゴダールはアヌーンの映画をサポートしてたくらいですが)

 

ぜひ日本各地の映画館でも上映してほしいですし、四季ボックスが発売されるなら10万までは余裕で出します。

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【3rd】

ジャン・ルーシュ     『人間ピラミッド』 (1961年)

 

 

シネマ・ヴェリテの創始者にして、映像人類学の巨人, ジャン・ルーシュによる、人種差別問題に切り込んだ実験映画。

 

オープニングの字幕

「この映画は、黒人と白人の青年グループの中に作家が喚起した実験である」

 

本作の舞台はコートジボワール。

フランスの植民地下にあった当時、現地では同じ学校に通ってる白人と黒人の学生達でも互いに交流はなかったと言います。

冒頭のシーンでルーシュは白人のグループを集め、これから撮ろうとする映画の実験的な意図を説明し、その後、同様の説明を黒人のグループにも行います。

 

生徒(登場人物)たちは、演技や会話だけでなく、本作におけるストーリーの展開においてまで即興に委ねるという趣旨を伝えられます。

但し、その中に監督の指示もいくつか入りますが、白人学生の誰かにレイシストを演じてもらうという指示以外は、こちらにはどこまでが監督の脚本なのかがわかりません。

でも、それが斬新な挑戦でとても面白かったです。

 

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【2nd】

ロベール・ブレッソン  『たぶん悪魔が』 (1977年)

 

 

ドストエフスキー最後の長編小説『カラマーゾフの兄弟』の一説から引用されたタイトルは、きっとブレッソンがこの世の有り様や人間達の愚かさに対して、嘆きとも言えない絶妙に微妙な感情で言い表したものでは無いかと思います。

耳を引き裂くようなパイプオルガンを調律する音、車のブレーキ音、そして日常そこら中にある協和融合しない生活音。

 

ブレッソンの映画は情報が極限までに削ぎ落とされているからこそ、自分達が日々聞こえているであろうそれらの音の異常さに改めて気付くことができます。

 

都会に住んでいると夜空の星の本当の美しさに気づくことができないのと同様、現代における日々が便利で忙し過ぎる故、この世の狂い様にも気がつきにくくなっているのだろうと思います。

 

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【1st.】

アンドレイ・タルコフスキー 『ストーカー』 (1979年)

 

 

タフコフスキーの映像詩は本当に素晴らしいです。

 

日本では、“ストーカー”は一般的に恋愛対象者への執拗な付き纏い行為のことを指しますが、もともとの意味は“密猟者”。そして、本作では地上に忽然と出現した不可解な空間「ゾーン」への案内人のことを指しています。

 

冒頭はセピアがかったモノクロ映像から始まり、「ゾーン」に侵入するとカラー映像へと変わる。

そのどれもが溜息が出るほどに美しい。

特に水の表現力は圧巻でした。

本作は、後に亡命するタルコフスキーからロシアの体制に対しての冷静でいて痛烈な批判が込められているのだろうと思います。

タフコフスキーの映画は、いつも自然が奇跡を起こしたような映像があります。

これは芸術に他ならない。

 

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ということで映画は10位まで紹介させていただきました。

そして結果的に新作映画はひとつも入らなかったです。

『TITAN/チタン』とか『英雄の証明』とか『リコリス・ピザ』とか、新作もちょくちょくは観てたんですけどね。

 

選んだものはレアな作品が多くなってしまいましたが、レンタルとかサブスクで観られる作品も中にはありますので、ご興味が沸いたという方はぜひ年末年始のお休みにでもご覧になってみてください!

 

僕は正月休みでドストエフスキーの小説を1冊は読み終えようと思っています。

 

長々と読んでいただき、ありがとうございました!

冬の旅

2022.12.06.

Posted on 12.06.22

タイトルだけ見たら、どこか旅行へ行ったのかな、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、僕が行ったのは梅田にあるシネリーブルで、このタイトルはアニエス・ヴァルダによる映画『冬の旅』のことです。

 

 

原題は『Sans toit ni loi』

直訳すれば「屋根もなく、法もなく」と言う意味になります。

 

ベルギーの映画監督,アニエス・ヴァルダによる1991年の作品。

 

本作の主人公は18歳の少女,モナ。

物語は、若い彼女の遺体が発見されたところから始まります。

 

 

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観るまでは『冬の旅』という邦題もいいなと思っていましたが、これは旅なんてもんじゃない。

生きるということを放棄しているかのような怠惰な女性の終わりなき放浪記。

 

傑作ドキュメンタリー作を多数遺したヴァルダですが、劇映画での視点も流石です。

 

自分はアリの如く働くので、怠け者の主人公には一切共感できなかったですが…

 

日本にもホームレスはいますが、それを選ばない選択肢があった方もたくさんいらっしゃると思います。

でも、彼ら彼女らは、自由と制約とを天秤にかけて、そして自由を選択したのです。

その結末が、他人にとってはとても哀れに見えるものでも、それを選択することも本人の自由なのだから。

ただ、いよいよと言うところまで追い詰められた時、その選択を後悔する人はどれくらいいるでしょうか。

それは、御馳走三昧の暮らしをしてきた裕福な人が取り返しのつかない大病を患った時に後悔するのと大して違いはないような気がします。

 

資産家のおばあちゃんと主人公が談笑するシーンがとても良かったです。

主人公に少しでも生に対して欲の気持ちがあれば、人生のレールに戻れるチャンスはいくつもあったのに。

 

感電のシーンとかも最高でした!

ヴァルダのユーモアのセンスは、ゴダールよりも数段優れています。

 

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話は変わりますが、先日、英国映画協会が10年ごとに発表している「史上最高の映画100」(全世界の映画関係者が投票しています)の最新版が発表されたのはご存知でしょうか?

https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/greatest-films-all-time

 

ここで選出されている作品の多くは、映画において特に芸術性が高いと評されているものが多いです。

古い映画も多いですが、それらは今の時代にこういう映画を作るのは、もはや無理だろうと思えるものがたくさんあります。

 

観たことない作品が多いけどキューブリックやデヴィッド・リンチあたりは好きだ、というくらいの感覚をお持ちの方なら、あとは白黒や長回し等に対する耐性さえつけば、どんどん映画の沼にハマっていけると思います。

 

僕は今、新潮で連載されている坂本龍一さん(以下教授)の連載を読んでいるのですが、東京大学で講義をした際、(大勢の希望者の中から厳選された)受講者の学生に一人ずつ自身の専門分野に関することと好きな映画について質問したらしいです。

皆自身の勉強している分野については立派に答えたそうですが、映画に関してはここで選出されているような作品を出した人はただ一人(ゴダールの映画を挙げたそうです)だったみたいです。

それを残念そうにしていました。

また、教授が韓国でイベントを開催した際、若い世代の子もたくさんサインを求めて来られたらしく、日本では全くそういうことがないのでビックリしたとも語っていました。

それだけ芸術寄りのカルチャーに興味を示すような日本人が減ってきているのだと思います。

 

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僕自身はあくまで自分のしていることはただのサービス業だと思っていますし、実際美容師はその名の通りのサービス業です。

ですが、その中にほんの僅かでも芸術性みたいなものを入れられたらなと思って、こうやって芸術映画とかも積極的に観たりする訳です。(もちろん、好きだから観てる部分の方が大きいのですが)

 

僕自身は個人のインスタグラムもやっていないくらい(お店のアカウントは作ってしまったので、なんとか頑張って続けています)インスタにはあまり大きな関心が持てないのですが、同じく美容師をされている方の中にはインスタを使って自身の担当したお客様とかを掲載している方もたくさんいらっしゃるかと思います。

それは全然良いのですが、そのアカウントのカテゴリを芸術/アートみたいなのを自ら選択されている方も少なくないように思います。

これはあくまで僕の個人的な考えですが、職業が美容師で自分の仕事を自ら芸術だと分類するには相当な技術と感性を持っている必要があると思いますし、それを掲げるなら最低でも僕なんかよりもこういった芸術映画にも関心を示してほしいなと思ったりします。

そうじゃないと本当に芸術を理解しているような人達からは、美容師自体がいつまで経っても安っぽく見られてしまうと思うので。

大したことない奴が偉そうなことを言ってスミマセン。

 

あ、それとこちらのランキングは、上と少し違って世界480人の映画監督たちによるベスト100ですが、こちらには『冬の旅』が堂々ランクインしています!

https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/directors-100-greatest-films-all-time

 

二つのランキングで、1位がアケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』とキューブリックの『2001年宇宙の旅』で違いがあるのも面白いです。
僕は20歳の頃なら『ジャンヌ・ディエルマン』を観ていたとしても、まだまだそれを理解できるくらいの知識がなかったので、『2001年』の方をフェイバリットにしていたかも知れないですが、今ならアケルマン作品の方がキューブリックよりも断然好きだと言えます。

僕自身もまだまだ未鑑賞の作品がたくさんあるので、これからの人生をこれらの作品と共に楽しみたいと思います。

 

映画にご興味が湧いてくださった方は、ぜひシネリーブルにも足を運んでみてください!

Posted on 10.21.22

先日のお休みは、またまたシネヌーヴォへ、カリスト・マクナルティーによるドキュメンタリー映画『デルフィーヌとキャロル』を観てきました。

 

 

本作は、アラン・レネの『去年マリンバードで』をはじめ、トリュフォーやブニュエル, デュラス, アケルマン等、錚々たる監督の作品に出演したフランスの女優デルフィーヌ・セリッグと、フランスで2番目にビデオカメラを手に入れた人物(一人目はゴダール)で後にフランスにおけるビデオアートのパイオニア的存在となったキャロル・ルッソプロスの出会いと二人のフェミニズム運動を記録したドキュメンタリー。

 

多様性や差別に対して人々が関心を向けだした現代だからこそ再評価されるべき、素晴らしい作品でした。

 

この作品は、森元首相をはじめとする日本の残念な男尊女卑脳を持ったオジサン連中には全員強制で観させるくらいした方が良いと思います。

 

作中でキャロルは、「ビデオカメラは、今まで専門家や組合の代表(それらは皆男性)しか発言する場が与えられなかったところに、当事者の意見(女性など当時、社会的弱者とされていた人達)を伝える機会を与えてくれた」と言っていました。

その言葉だけで、当時の女性の意見がどれだけ男性や社会から軽視されていたのかが想像できます。

(このビデオカメラはソニー製でした。この時代は日本のメーカーも革新的な製品を世界に送れ出せていたのに…)

 

 

「シェフがお金を稼ぐ為に作る料理には相応の価値があって、主婦が毎日作る料理には価値なんて全くなくただ作ってるだけ」みたいな酷い発言をするコメンテーターが出てきましたが、今ではそういう考えを信じられないと思える社会になったのは、デルフィーヌやキャロルのようにフェミニズム運動に取り組んできた人達のおかげであり、彼女たちの確固たる功績でもあります。

 

若き日のアケルマンと貫禄タップリのデュラスが並んでインタビューに応えているシーンは、何気に凄い画だなと思いました。

音楽で例えると何でしょうか。

Snail Mailとキム・ゴードンが並んでても、アケルマンとデュラスの1/10くらいのインパクトしか出せないんじゃないかと思います。

 

 

という感じで、シネヌーヴォは現在『映画批評月間』として、普段なかなか観ることのできないような作品もたくさん上映してくれています。

 

 

ご興味のある方は、ぜひシネヌーヴォにも足を運んで、素敵な作品に出会ってください。

OTHER MUSIC

2022.10.13.

Posted on 10.13.22

先週の日曜日は、仕事終わりに雨の中シネヌーヴォへ向かい、『アザー・ミュージック』を観てきました。

 

 

2016年に閉店したニューヨークの伝説的レコードショップ, OTHER MUSIC の軌跡を追ったドキュメンタリー映画。

 

アザー・ミュージックの前の通りを挟んだ向かいには、メガストア, TOWER RECORDSが君臨する。

(アザー・ミュージックがオープンした1995年当時は特に)メジャーどころ中心の品揃えだったタワレコとは違う音楽を提供するから、OTHER(他の) MUSIC。

 

ニューヨークにある高級百貨店, バーグドルフ・グッドマンは、ファッションデザイナー達にとって「ここで取り扱ってもらうことができたら感無量」と思えるくらいの百貨店だったらしいですが、特にN.Y.のオルタナティヴ・シーンで活動するバンドマンやアーティスト達にとって OTHER MUSIC で自身の作品を取り扱ってもらえることは、それと同等の喜びがあったと思います。

 

それだけカルチャーを産み出せて世界中にファンを作れるOTHER MUSICのようなお店でも、時代の流れには抗えないのかと哀しい気持ちになりました。

 

自分も小さいですがお店を経営しているので、経営者の気持ちを思うと余計に無念に思います。

 

でも僕なら今の場所で維持費が厳しくなってきたとしても、お店を閉めることよりも少し離れた場所に移ってまた頑張ろうと考えてしまいますが、潔く閉店することを選択したOTHER MUSICはやっぱり凄いなと思います。

N.Y.の中心で、今の場所で、カルチャーを発信することに意義がある、と考えていたのかも知れません。

 

 

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また個人的な話をして申し訳ないですが、(先日のブログでも少し書いたのですが)僕の田舎は淡路島の南の方のド田舎と言っていい地域にあって、カルチャーなんてものはそこには無かったので、毎月1回アルバイトで稼いだお金を全て財布に詰め込んで、大阪や神戸に服とCDやレコードを買いに行っていました。

 

ついでに髪の毛も切ってもらおうと思って、当時のカジカジHとかに載ってた大阪や神戸の中心部にある美容室を予約して、その都度よく聴いてたり興味のあった海外アーティスト(バンド)の写真を必ず持って行ってたのですが、(自分の選択も良くなかったのか)どこの美容室に行ってもそれらのアーティストを知ってるような美容師さんには出会うことができませんでした。

知っていると言ってもバンドの名前や音楽を多少知っているということではなく、そのアーティストの好きなアルバムとか、もう少し具体的な話ができる人という意味です。

 

その時の僕は、(やってほしい髪型の写真を持って行ってるので)それと似たような雰囲気に仕上げてほしいという思いももちろんあるのですが、それよりも「このバンド、僕も好きなんだ」と言ってくれるような美容師さんに出会いたいという思いの方が強かったのかも知れません。

実際、そういう美容師さんと出会えてたら、イメージの写真と仕上がりが多少違っても僕は満足して帰っていたと思います。帰りのバスの中でカット中にした会話のことを思い出しながら。

 

 

僕が美容師になろうと思ったのは、自分の髪の毛を触るのが好きだからでもヘアスタイルそのものに格段興味があったのでもなく、ファッションや音楽などのカルチャーにおいてナードな感覚を持った美容師というのは実はかなり少なくて、でも(そういうものに魅了されていた当時の高校生の自分のように)そういう共通の感覚を持った美容師さんに切ってほしいと思うような人は一定数いるんじゃないかと思ったからです。

そういう感覚の人って、好きなものに対して自分なりのこだわりを持ってる人が多くて、皆と同じような感じにされるのは嫌だと思ってしまうから。

 

自分で身につける服は自分で選べますし、(僕はしないですが)メイクとかも自分で自分の好みに仕上げることができますが、髪型というのはほとんどの人が他力に頼る必要があります。

だから、例え大多数ではなくて一部の人にとってだけであっても、「この人の感覚なら任せられる」と思ってもらえるような美容師になりたいと思って美容学校に進みました。

美容師は、仕事中でも自分の好きな服を着て、好きな音楽を聴きながら仕事できますしね。

そもそもがそういう考え方なので、僕の作るヘアスタイルは、その人のファッションやスタイルの邪魔をするような類のものではないと思います。(かと言って確信的な自信はないです)

 

 

今のV:oltaには、お店をオープンした時では想像してなかったくらいいろんなタイプの方が通ってくださってて、それは予想外のことでもあるし本当にありがたいことで、いつも感謝の気持ちで一杯ですが、その中でも当店が一番守らないといけないと思っているのは、上に書いたような感覚を持った方々であることは今も代わりありません。

 

V:oltaがカルチャーを内包した美容室なのだということがある程度伝わるようになって(それはあくまで美容室というカテゴリの中ではという注釈付きで、自分なんかのやってることはOTHER MUSICとは比べものにならないくらいの素人レベルのものですが)、僕以上に(というかレベルが2段階は違うと思うような)カルチャーの各分野に精通したお客様も通ってくださるようになりました。意外とそういう方って特別な場所ではなく一般的なところに潜んでいるんだなと思います。

僕自身もそういったお客様から更に知識を増やしていただいています。これは僕の人生観を飛躍的に豊かに感じさせてくれるようなものになっています。いつも本当に感謝しております。

もっと勉強して、もっと知識を増やしたいです。

 

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なんかここ数日で店閉める人くらいの内容の濃さと文字数のブログを頻繁に書いてしまいましたが、まだまだV:oltaは今の場所で頑張りたいと思っていますし、オルタナティヴな美容室(爆)としての道を極めていきたいです。

 

ということで、また話が脇に逸れてしまってすみません。

音楽好き, オルタナティヴ・ロック好きの方は、ぜひ映画もチェックしてみてください!

 

 

昨日のお休みは、映画館をハシゴして、ギヨーム・ブラックの『みんなのヴァカンス』とシャンタル・アケルマンの『アンナの出会い』を観てきました。

 

 

 

黄色の無地のものは『みんなのヴァカンス』のパンフレットです。

 

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まずはシネマート心斎橋で鑑賞した『みんなのヴァカンス』から。

 

 

 

ヴァカンス映画と言えば、エリック・ロメールかジャック・ロジエの十八番ですが、現代においてはギヨーム・ブラックがいます。

今作も凄く良い映画でした。

 

いつも僕が紹介している映画は小難しそうでなかなか観ようという気になれない、という方もいらっしゃるかと思いますが、本作はシネフィル気質じゃない方でも十分楽しめる映画だと思います。

 

男3人の一夏のヴァカンス旅。

なんてことないストーリーですが、暖かくて涙が出てきそうになりました。

 

楽しいヴァカンスもいつか終わり、夏もいつか終わる。

休暇の前に想像してた程、順風満帆なヴァカンスではなかったかも知れないけど、それでも大切な人と過ごした時間や景色というものは歳月が経つほどに眩しく色鮮やかに心に残るものです。

 

最後の夜に皆でバーのカラオケで歌っていた、クリストフの“愛しのアリーヌ”が心に沁み入りました。

 

 

 

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そして、夜はシネヌーヴォへ。

 

 

この『アンナの出会い』で、今回のシャンタル・アケルマン映画祭の作品は無事全部観ることができました。

 

その結果、好きな監督のベスト5に入るくらいアケルマン作品に魅了されました。

 

本作もこれをラストに観て良かったと思えるような作品でした。

ヨーロッパの夜を彷徨い歩く孤独で無表情のアンナの姿は、どこか『たぶん悪魔が』の主人公, シャルルを連想しました。

そしてアケルマンは、いつもショットが退廃的で美しい。

 

こちらの作品は、ある程度映画慣れしている方のほうがオススメできます。

個人的にはアケルマン作品の商品化も強く願っております。

今回の5作品のボックスセットが出るなら、たとえ価格が10万であろうが(本音を言えばなんとか2万円くらいで)喜んで払います。

アケルマンは、それくらい魅力的な監督ですし、魅力的な至宝の作品群でした。

 

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ということで、また今週も仕事頑張ります!

Posted on 09.13.22

ゴダールが死去したとのニュースを見て、このブログを書こうと思いました。

 

というのも昨日休みで、たまたまゴダールの『フォーエヴァー・モーツァルト』を観たところだったので、余計に驚きがありました。

 

 

『フォーエヴァー・モーツァルト』と題しながら、冒頭に流れるベートーヴェン。

 

ありふれた日常と戦争が共存している矛盾に満ちたサラエボ内戦への痛烈な風刺。

 

そして、赤いドレスの海辺のシークェンス。

ゴダールの映画への情熱と愛情に溢れた、本当に素晴らしく美しいシーンでした。

 

ラスト、唐突に流れるモーツァルトも、いかにもゴダールらしかったです。

 

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ゴダールのことは最初『気狂いピエロ』で衝撃を受けて、その後数本観て「ちょっと苦手かも」と思った時期もありましたが、それでもその後も少しずつ観続けた今は「やっぱり面白いな」と思っています。

 

今年買ったゴダールのパンフレットに印象的な言葉がありました。

 

「私の中に残っていること、それはひとりの女優と仕事をし、映画を撮り、そして共に生きたことだ。上手くできなかったかもしれないけどね」

 

この最後の一節に、ゴダールという人物の魅力が溢れています。

 

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あなたが残してくれた映画の多くを、まだこれから観ることができる自分は幸せ者です。

 

フォーエヴァー・ゴダール!

R.I.P.

 

WANDA

2022.08.02.

Posted on 08.02.22

昨日のお休みは、またまた自転車に乗ってテアトル梅田へ向かい、バーバラ・ローデン監督の映画『WANDA』を観てきました。

 

 

 

本作は1970年に11万5千ドルという僅かな予算で制作された映画で、マーティン・スコセッシ監督設立のザ・フィルム・ファウンデーションと、イタリアのラグジュアリーブランド, GUCCIの支援を受けてフィルムが修復され、今回の上映に至りました。

 

ケリンググループ(旧グッチグループ)なんていつもロクなことしてないのに(失礼な言い方ですみません)、ちょっと見直しました。ちょっとだけですけど。

ソフィア・コッポラが意外にも本作の熱烈なファンらしく、そのへんとミケーレの繋がりでしょうか。

(ミケーレの感性からは『ワンダ』には行き着かないと思うので)

それならコッポラがナイスアシストです。

(コッポラの作風は本作とは全然違うと思いますが。。。)

 

前置きはこれくらいにして、本作はエリア・カザンの妻でもあったバーバラ・ローデン唯一の監督作品。

1959年にオハイオ州で起きた強盗事件がモチーフになっています。

 

支店長を誘拐して銀行の金を奪うつもりだったカップルの計画は失敗して男は射殺され、女も3週間後に逮捕される。

その女、アルマ・マローンは裁判で「生きていく理由なんてもう残ってないのに、それでも生きていきたかったんです」と語り、20年の懲役刑が言い渡されると裁判官に感謝の言葉を述べたと言います。

 

その様子が報じられた新聞記事を切り抜いて本作を構想したというローデンの感覚は、当時としてはかなり前衛的なものだったのだと思います。

ヒーローでもなく、アンチヒーローでもない女性の生き様がカタルシスなく描かれた本作は、どこかシャンタル・アケルマンの代表作『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』にも通ずる精神性がありました。

 

いかにもインディ映画という感じの16ミリフィルムのザラザラとした質感の映像も、とても好みでした。

 

ケリー・ライカート(『リバー・オブ・グラス』)が、どれだけローデンに影響を受けたのかが、本作を観てよくわかりました。

 

ラストの退廃的で虚無感漂うフリーズフレームも良かったです。

 

ローデン(48際の若さで既に亡くなっています)の言葉で、印象に残るものがいくつかあります。

 

「シンプルな物語を語ることは、アヴァンギャルドであることよりも難しい」

 

これは(目指す方向性にもよりますが)美容師としてヘアスタイルを作る時にも言えることです。

僕もV:oltaという看板(風が吹いたらすぐに飛んでいきそうなくらいのものでしかないのですが)を掲げて10年以上やってきましたが、まだスタイリストになりたての頃はシンプルな髪型よりもアヴァンギャルドな髪型を作る方が難しいと思っていました。

ですが、ある程度のレベルを身につけてくると、シンプルでも“語れる”ような髪型の方が当然難しいと思えてくる訳です。

 

これまで長年お店をやってきて、未だに確信的な気持ちなんて全然持ててないのですが、最近ひとつこうありたいと思うことは、美容室として文化を感じてもらえるようなお店を目指したいということです。

 

今回映画を観たテアトル梅田は、先日、9月30日をもっての閉館が発表されました。

また関西から文化がひとつ消えるのか、と哀しい気持ちになりました。

 

巷の美容室をみても(とは言っても同業にはあまり興味が湧かないのでほぼ見てないのですが)、今までそんな系統ではなかったお店まで、最近ではこぞって“韓国系ヘア”を打ち出しています。

V:oltaは、時代に媚びたことも、流行を追うようなこともやりたくありません。

(やろうとしても上手くできない不器用さもあるのですが…)

 

ですが、そういう不器用なお店や施設ほど、今の時代は淘汰されていきます。

 

本作『WANDA』のフィルムは、閉鎖前のハリウッド・フィルム&ビデオ・ラボの書庫から廃棄寸前のところを発見され救出されました。

 

その時代では注目されなくとも、そこに“文化”があるものの価値というのは永遠に朽ちることはありません。

 

特別な才能など全くない自分が、美容室を通じてどこまでそういうことができるかというと自信はありませんが、意地とプライドまでなくなったら本当におしまいなので、僕は僕の生きる道をゆっくりとでも脇道にそれることのないように歩いて行きたいです。

 

あ、当店は幸いにも規模も小さく、こんなお店でも支持してくださるお客様が(今のところは)たくさん来てくださってるので、自分が頑張り続ければ当面は何とか大丈夫そうです。

(またこんなことを書くと、ターゲットの範囲がより一層少なくなりそうで心配ですが。。)

 

いつもこういう類の映画を観に行くと若い世代の客はほぼいないのですが、本作は若い方もたくさん観にきてて、少し嬉しい気分になりました。

その内の何人かでも、V:oltaに来てほしいものです。

 

ということで、ご興味のある方は、ぜひ閉館前のテアトル梅田へ足を運んでみてください!

僕もテアトル梅田にはこれまでお世話になったので、閉館まであと何回行けるかわからないですが、なるべく映画を観に行こうと思います。

 

長々とお読みいただいて、ありがとうございました。

Posted on 07.21.22

先日のお休みは、シネリーブル梅田でチェコ映画史上最高傑作との呼び声高い『マルケータ・ラザロヴァー』を観てきました。

 

 

ビジュアル系バンドみたいな名前ですし、主人公の少女,マルケータもデスメタルバンドのヴォーカルでもおかしくない風貌ですが、作品は至極芸術映画です。

 

 

 

実は先週末から実家の母親が泊まりに来てて、なんでも孫達(僕の息子達)を「ペンギン探検隊」という人形劇に連れて行きたいとのことで、ちょうど僕達も休みの祝日の月曜日に舞台があったのですが、僕は家庭を顧みない夫像を地で行くタイプなので、当日は梅田駅で子供達を(僕の)母親と奥さんにラグビーボールのように丸投げして、一人シネリーブルへと向かいました。

 

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本作の舞台は、13世紀半ば、動乱のボヘミア王国。

修道女となることを約束されていた少女マルケータは、領主とは名ばかりの父・ラザルと敵対する盗賊騎士コズリー クの息子・ミコラーシュと恋に落ちます。彼女の心とは裏腹に、増大する王権に対抗するふたつの氏族間の衝突は激化していき…

 

キリスト教と異教、人間と野生、愛と暴力に翻弄される人々を描いた本作は、『アンドレイ・ルブリョフ』(アンドレイ・タルコフスキー監督)、『七人の侍』(黒沢明監督)などと並び、世界的に評されている作品です。

 

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個人的には芸術映画において恋バナ的な要素は本来苦手ですが、本作はモノクロの美しい映像があまりにも圧倒的でした。

 

非常に芸術性の高い映像はタルコフスキーを彷彿とさせましたし、ストーリーにこびりつき焦げ付いたような宗教性はカール・ドライヤー(僕はカール・ドライヤーと聞いて映画監督の方を最初に思い浮かべるタイプの美容師です)やタルベーラを連想しました。

 

13世紀の舞台を再現すべく、衣装や小道具は文献に基づいて当時と同じ素材を使い,同じ製法で作ったという力の入れ具合。

極寒の山奥で生活しながら実に548日間にも渡るロケーションで撮影されました。

 

こんなに時間と手間暇をかけた芸術映画が、この先作られることがあるのでしょうか?

 

 

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5年くらい前に春から服飾の専門学校に行くという男の子にご来店いただいたのですが、お姉ちゃん(美容師をされてるらしいです)に「ファッションを学ぶなら観ておいたほうが良い」と勧められた映画が『プラダを着た悪魔』だったらしいです。

別に悪い映画じゃないですが、服飾の学生がインスピレーションを得る為に観る映画ではないと思います。

 

僕が高校生だった時代(カオスなムード漂う世紀末の90年代後半)は、装苑やWWDの服飾専門学生へのアンケートで“好きなブランド”や“よく買うブランド”の上位はコム・デ・ギャルソン, ヨウジ・ヤマモト, マルタン・マルジェラ(今のメゾン・マルジェラとは全くの別物)などのデザイナーズ・ブランドで埋め尽くされていましたが、今そういったアンケートを見るとそれらの上位にいるのはユニクロやH&Mなどのファストファッション系です。

そんな子達が創造性のある面白い服を作れるのかな?と思ってしまいます。

 

 

当店のお客様(自分には自慢できるところが何ひとつないので、お客様の自慢ばかりしてしまいますが)で、現在アントワープ王立アカデミー(理系でいうところのカリフォルニア工科大学。服飾系世界トップの学校)に通っている方がいるのですが、いつも年に一回帰国した時にカットしに来てくれます。

つい先日もまたご来店いただいた時に、進級時の課題作品を見せてくれたのですが、ハンガリーの音楽家, フランツ・リストから着想を得た洋服を作ってて、もうやはりさすが全然違うなと思いました。

製作時は文献からしっかりと調べて作ったらしいです。

「ほぼ満点の評価をもらったんです」と嬉しそうに伝えてくれました。

服飾科には今日本人が彼一人しかいないみたいで、だから頑張るんだと言っていました。

 

彼は高校生になる前くらいから当店に通ってくれています。

最初来てくれた時はモードに対する知識はまだあまりなかったと思いますが、彼はその日会話した中で覚えた知識を(おそらくは)帰ってから自分で調べたり考えたりすることで深め、次回カットしに来られる時にはこちらがビックリするくらいの度合いで成長している、ということが続いていました。

 

ぜひ彼にはアントワープを主席で卒業してほしいと期待していますし、応援しています。

僕も負けないように頑張らないといけません。(既に十分負けてる気もしますが)

 

もちろん、まだ高校生になる前の彼にも当店に興味を持ってくれるような感性があった(それくらいの歳から自分で見つけて当店に通ってくれるような子は稀です)のだと思います。

 

V:oltaは、まだご来店いただいたことがない方や同業の美容師さん達からどのように見られてるのかわからないですが(僕に美容学校の友達なんて一人も残ってないので)、一部の方にとっては(考え方や方向性などが)“他とは全然違う”と思ってくださるようなことはやっているという自覚はあります。

だって、同じようなお店が2つあったとしても、そのどちらかは潰れてしまうくらいしかターゲットはいないんですもの。。

 

洋服は、(お金さえあれば)複数のブランドでも購入することができますが、美容室というのは気に入ったら基本的に 1つのところに通うものですから。

 

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もはや途中から『マルケータ・ラザロヴァー』のことなんて関係なくなってしまってましたが、僕が長々と書いていることに「少しは共感できる」という感覚をお持ちの極々一部の方にはとてもオススメの映画ですので、ご興味のある方はぜひ観に行ってみてください!

 

そして今更ですが、割とノーマルな感覚をお持ちのお客様も当店にはたくさんいらっしゃいますので、今初めてのご来店をご検討いただいている方は、臆せずご来店くださいませ。

Posted on 06.10.22

【ブライアン・イーノで昼食を】の記事の続き

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京都を後にして大阪に帰ってきた僕は、再びテアトル梅田へ。

お目当ての映画は、シャンタル・アケルマン監督の『私、あなた、彼、彼女』です。

 

 

ちょうどこの日はアケルマンの誕生日(今はもう亡くなっていますが)でもありました。

そんな日に、アケルマンの映画をしかも映画館で観れるなんて、なんかちょっと嬉しい気持ちになります。

 

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本作は撮影時24歳だったアケルマンによるセルフポートレイト作。

 

後の『ジャンヌ・ディエルマン』へと繋がる、ある種アケルマンの原点とも言えるものがありました。

むしろ、本作の方が孤独感や閉塞感, そして本能や生命力といったソバージュな感性が強烈に伝わってきました。

 

荒く禍々しいモノクロ映像は、風で消えかけそうになっている魂の蝋燭のように、時折画面が闇に支配されてしまうそうになるくらい危なかしく感じる時もありましたが、その後にそこに映し出される長回しは、観客を挑発し、その場を支配するかのようなものでした。

 

僕は本作を観るまで、アケルマン監督の作品は『ジャンヌ・ディエルマン』しか観たことがなかったのですが(アケルマン作品を観たことがある方でも大体の方が今回の映画祭までは同様だと思いますが)、その才能が凄すぎて今回のアケルマン映画祭は一番楽しみにしており、前売り券もしこたま購入していました。

そして、やはりアケルマンは凄い監督だと本作を観て再認識しました。

 

今回の映画祭で観てない作品は全部観てやろうと思っているので、ここ3週間ばかりは家事と育児を(場合によっては一部仕事も)完全に放棄した休日のスケジューリングとなっているのですが、先日映画事情にもお詳しいお客様から「アケルマンとリヴェットはテアトル梅田で見逃しても後にシネヌーヴォでも上映される」との情報をいただいたので(いつも知識量と情報収集力がエグい)、僕も途中で力尽きたら無理せずにシネヌーヴォでの上映を待とうと思います。

 

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長々と書かせていただきましたが、なんとか無事に事前に予定してた全てのタスクを完了することができました。

この日はインプットする量が膨大過ぎて、頭の中がパンパンになりましたが、大変充実した一日でもありました。

またインプットしたものを日頃のサロンワークに活かせるように、しっかりと復習して理解を深めたいと思います。

 

これでもだいぶ端折って書いてるつもりなので、またご興味を持っていただいた方は、ご来店時にお話ししましょう!

長文読んでいただき、ありがとうございました。

Posted on 06.08.22

先日の月曜日のお休みは雨が滴る中、朝から電車に乗って梅田へ向かい、テアトル梅田でエリック・ロメール監督の映画『夏物語』を観てきました。

 

 

 

いつもはテアトルには自転車で行くのですが、今回電車で行ったのには理由があって、ひとつは当日が終日雨模様だったということ、そしてもう一つはこの日の予定がこの映画だけではなかったということです。

 

事前に考えていた予定では、朝にロメールの『夏物語』を観て、そこから京都に向かいブライアン・イーノの展示会『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』に行って、そこから再度テアトル梅田に戻ってシャンタル・アケルマンの『私、あなた、彼、彼女』を観るという、外出時はロープレでいうところの“毒状態”くらい断続的にダメージを受けてしまう自分には無謀とも言えるスケジューリングを組んでしまっていて、当日のこの日も無理そうなら京都のイーノは諦めて後日に回して一旦帰ろうと自分に言い聞かせて出かけました。

 

なぜにこんな無茶な予定になるかというと、最近ヌーヴェルヴァーグ系の映画監督の映画祭が同時多発的に開催されてて、事前にその情報をキャッチした僕は嬉しくなってそれらの映画祭の前売り券をポーカーができるくらいしこたま買ってしまってたんです。

エリック・ロメールの四季の物語なんて、ブルーレイ新旧2枚両方とも所有してる(両方買ったのはそれぞれの付属解説を読む為です)のに、前売り特典のポストカード欲しさに一枚買いました。

そして、それらの前売り券を使って観れるのが関西ではテアトル梅田で、しかもほぼ同時期に上映するものだから、前売り券を買ったのに観れないまま終わってしまうことを人一倍もったいなく感じてしまう性格の僕はこの6月前半の貴重な休日の全てを映画に捧げることにしました。

 

ということで、3つのことを書くとまたかなり長いブログになりそうなので、“梅雨空3部作”(笑)と題して3つの記事に分けたいと思います。

 

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ということで、話を戻して一日の始まりはエリック・ロメールから。

 

 

 

僕が今回観たのは、エリック・ロメールによる4部作『四季の物語』の3作目の『夏物語』

ロメールはこの4部作を春→冬→夏→秋の順で完成させました。

僕は変なところにこだわるタイプのA型なので、去年の春に『春のソナタ』を、冬に『冬物語』をそれぞれ所有していたブルーレイで鑑賞し、今年の夏と秋に残りの2作を順番通りに観ようとしていたところに今回のリマスター上映があったので、自分に「今はもう初夏なのだ」と言い聞かせてこの時期に鑑賞しました。

4部作のうち、どれかひとつは映画館で観たい気持ちもあったので良かったです。

 

 

本作の舞台は、ブルターニュ地方のリゾート地。

ジャケットにも写っているヒロインの一人,アマンダ・ラングレは、『海辺のポーリーヌ』以来12年ぶりのロメール作品復帰。

最初、レストランのウェイトレスとして登場して主人公を接客し、その後ビーチで再開してアマンダ(ラルゴ役)の方から声をかけるのですが主人公は最初誰か気づかず、「髪を括ってる時と雰囲気が違うでしょ」と言われてレストランの子だと気づくのですが、僕もそのタイミングで「ポーリーヌの子だ」と気付きました。これもロメールの狙いのひとつだったのでしょうか?

 

ちなみに、この日地下鉄の梅田駅からテアトル梅田の方へ歩いて向かっていると、前から歩いて来た女性が「こんにちは」と声をかけてくださったのですが、僕が一瞬では(マスクもしてるし)誰かわからずオドオドしていると「〇〇です」とわざわざお名前を名乗って伝えてくださいました。

めっちゃお客様でした。

すぐに気づけずにスミマセンでした、が、僕のプライベートのスイッチオフ具合はいつもこんな感じなんです。

V:oltaにはオシャレなお客様がたくさん通ってくださってるので、どうしても目が慣れてしまうのですが、外で偶然お客様に会った時は(贔屓目なしに)いつも一段とオシャレに見えます。

そういった方のヘアスタイルを担当させていただいていることも、とても光栄に思い、プレッシャーとともに大きなやり甲斐も感じております。

 

 

早速、話が逸れてスミマセン。

やはりロメール映画は、夏, バカンス, そして海辺の景色と、3つの舞台が揃うと(特に)無類の強さを発揮します。

主人公はイケメンなのにインテリで、音楽も嗜んでしまうという、カルチャーに明るい女性からすれば理想の彼氏像みたいに最初は写るのですが、大多数の女性は観終わる頃には「こんな男はイヤだ」と思うであろう奴でした。

 

現代のロマンチックな恋愛大作映画とは全く違って、話が進むにつれ観るものをゲンナリさせるという。。

さすがはロメールというストーリーでした。

 

何も大したことも起こらない一夏の他愛もない出来事を、時間を忘れるくらい引き込まれていくような会話劇に仕立てる、その感覚と才能が素晴らしいです。

 

残す1作『秋の恋』は、今年の秋に観ようと思います。

 

という休日の午前~正午でした。

続く

デュエル

2022.05.26.

Posted on 05.26.22

先日のお休みは、またまたテアトル梅田へ向かい、ジャック・リヴェット監督の『デュエル』を観てきました。

 

 

今回のジャック・リヴェット映画祭のポスターに「夢と 魔法と 冒険と」とありますが、ジャック・リヴェット監督の作品はまさにこの3つのキーワードがピッタリです。

そして、この3つは僕に一番欠けている要素でもあります。

 

ジャック・リヴェットは、ゴダールやトリュフォー, エリック・ロメールらと共にヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人です。

今回の映画祭では、今回観た『デュエル』も含め、日本劇場初公開の作品もいくつかあるので、関西での公開を楽しみにしていました。

 

ジャック・リヴェットの作品は、上のキーワードに現れているようにファンタジーの要素が強くて、僕はこの歳になってもディズニーランドに一度も行ったことがないくらいファンタジーやメルヘンとは無縁な何の面白みもない現実派人間なので、他のヌーヴェルヴァーグの監督に比べるとストーリー的にはいつも少しツボからは離れてるのですが、それでもリヴェットの創り出す世界観や映像というのはそんな“ノー・ファンタジー,イエス・リアリティー”な僕にとってもとても魅力的に感じるくらい素晴らしいものです。

 

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今作『デュエル』は、ジェラール・ネルヴァルの小説に着想を得て構想した4部作『火の娘たち』の1作目。

現代のパリを舞台に、月の女王と太陽の女王が魔法の石を巡り対決するという話。

 

 

僕にとっては、もう絶対に監督がジャック・リヴェット以外なら全く興味を惹かれないストーリーです。

でも、とても良かった。

 

観客の方々は、予想通り年齢層高め(というか、シルバー割引の対象になる方の割合がかなり高かったのではないかと思います)でしたが、ジャック・リヴェットの映画は若い世代の(特に女性の)方が観ても、とてもオシャレな映画(観てないし観るつもりもないですがおそらく『ハウス・オブ・グッチ』なんかの1万倍くらいは)だと感じられるのではないでしょうか。

ストーリーは難解なので一回では理解できない人がほとんどだと思いますが、それは僕みたいなこういう映画を好んで観に行ってる人達の中でも多少の差はあれどその感覚はそこまで大きく変わらないという人も多いのではないかと思います。

 

 

うまく例えられないですが、カフェオレやカフェラテを好んで飲む人にとって濃いめのブラックコーヒーは最初苦くて飲めないですが、飲み慣れてくるとミルクや砂糖も必要なくなってくる人も出てくるみたいに、こういう作品に触れることで自身の知識や感性がより深いところに気づけるようになってくるということもあるのではないでしょうか。

 

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ちょうど同じテアトル梅田でジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』もリバイバル上映されてて、こちらはパンフレットが売ってたので、観るのはリヴェットでゴダールは観ない(作品はDVD等で観てます)のにパンフレットだけ購入してきました。

 

 

僕のヌーヴェルヴァーグへの入り口はゴダールでした。

同じような方も多いのではないでしょうか。

 

ゴダールにまつわる僕のどうでも良い話では、まだ学生の頃に『気狂いピエロ』を観て衝撃を受けて、当時やっていた競馬ゲーム「ダービースタリオン」の一番強い馬(競走馬になる前に名前をつけるので、絶対に強くなると思った若駒)の名前に“ジャンリュック”と名付けました。

ジャンリュックは年度代表馬を3回獲りました。

僕のネーミングセンスを知ってたら、きっと金子真人氏も嫉妬してたんじゃないかと思います。

ちなみに、その頃は谷六のからほり商店街の近くに住んでたので、冠名をつける際は“カラホリ”にしてました。めちゃダサいです。

 

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死ぬほどどうでも良い話だったと思いますが、何にせよまだその頃は『気狂いピエロ』を『時計じかけのオレンジ』や『トレインスポッティング』と同様に視覚な刺激で捉えることしかできてなくて、ゴダールが政治映画も撮ってたこともジャック・リヴェットという存在すらも知らなかったです。

その頃に比べると幾分かは視野が広がってきた今は、その頃の何十倍も映画を楽しめています。

 

 

誰もがそういう感性(優れているという意味ではなくて)を持っている訳ではないと思いますが、当店に通ってくださってるような(もしくは興味を持ってブログを見てくださってるような)方は、そういった素質を持った方が多いのではないかと思っていますので、ご興味のある方はぜひジャック・リヴェット作品もご覧になってみてください!

 

 

湖のランスロ

2022.05.11.

Posted on 05.11.22

先日のお休みは再びテアトル梅田へ自転車に乗って向かい、『湖のランスロ』を観てきました。

 

 

 

ブレッソンの映画は、人生を通して時間をかけて作品を少しずつ観ていこうと思っていたのに、先日の『たぶん悪魔が』に続いて連続でテアトルで上映してくれるし、今回の2作はポストカード付きの前売り券も前もって買ってたので、ちょっと贅沢ですが短い間隔で2作品観てしまいました。

『湖のランスロ』もBlu-rayは所有していましたが、ヴィンテージワインのように(僕はお酒が全く飲めないのですが…)大切にとってあったので、まだ未見でした。

 

本作は、ド・トロワによる中世のアーサー(アルテュス)王の聖杯探求伝説を基に、王妃グニエーヴルと円卓の騎士ランスロの禁断の恋を中心に描いた時代劇。

中世の物語と聞けばスペクタクルなものを想像される方が多いかと思いますが、ロベール・ブレッソンの手に掛かればまるで写実主義の絵画のような佇まいの作品になります。

 

冒頭のシーンは、ゆるやかにはじまるブレッソンにしては珍しく、甲冑の騎士同士の生々しい斬り合いから始まりましたが、その画が凄くていきなり圧倒されました。

ブレッソンの映画は、いつも音楽もなくて静かなんですが、今作でもその静かな画面から聞こえる甲冑の擦れる音や馬の鳴き声や蹄の音が心地良すぎて、時折ウトウトしてしまいました。

 

 

ブレッソン作品を観る度にいつも印象に残るのは、モデル達(ブレッソンは俳優のことをモデルと呼ぶ。素人を起用し「演技」はさせない)の“手”の動きや仕草です。

特にブレッソン監督の映画は、手から登場人物達の複雑で繊細な感情が伝わってきます。

 

 

この日は映画館に向かう時,雨が降ってたので、自転車で傘をさしながら行ってたのですが、帰りは雨が止んでたので、すっかり中世の騎士気分の僕は騎士が馬に跨るように颯爽と自転車に乗って、閉じたままの傘を槍に見立てて腰くらいの位置から真上を向くようにヒジを直角にして持って意気揚々と帰宅しました。

多分、周りの人からは変な自転車の乗り方してるやつだと思われたと思います。

 

 

帰宅後、ちょっとウトウトしてしまった場面もしっかり観返したかったので、所持していた『湖のランスロ』の封を切って、最近引っ越した際に張り切って設置した(アラジンとかの類ではなくガチの)プロジェクターに、これまたベランダで読書したいなと思って購入した折り畳み式のリクライニングチェアが届いたところだったので、プロジェクターを設置した寝室(子供に邪魔されないように寝室に設置したのに、たまに子供向けの映画館と化すという…)のベッドの隣にリクライニングチェアを広げて部屋の照明を落として早速再鑑賞したのですが、 NASA が考案した「ゼログラヴィティ(無重力)」姿勢理論が導入されているというリクライニングチェアの座り心地は並大抵のものではなく、途中くらいまでは観てた記憶があるのに気づいたらタイトルのチャプター画面に戻ってて、結局昨日ようやく全部観返すことができました。

 

 

反復に次ぐ反復表現、そして円環構造。(湖のランスロの感想です)

ブレッソンの映画からはいつも大切なものを学ばさせてもらっています。

自分にとっては大切なだけで、本当はどうでも良いものなのかも知れないですが。。

 

たぶん悪魔が

2022.04.30.

Posted on 04.30.22

今週の木曜日の夜は、仕事終わりにテアトル梅田へ向かい、ロベール・ブレッソン監督の『たぶん悪魔が』を観てきました。

 

 

この作品は、DVDも持ってるし、最近発売されたBlu-rayも買って既に手元にあるのですが、去年に本作の上映があるとの情報をキャッチしてからは、映画館で観るまで我慢しようと心に決めていました。

 

このテの映画は早く観に行かないと、すぐに上映終了してしまうのですが、仕事もG.W.前でかなり忙しくなってきてて、もう行けるとしたら木曜日の夜か休日の月曜日しかなくって、でも次の月曜日は家族の用事やら何やらで忙しそうなので、なるべくなら仕事終わりに行きたいと思った瞬間から木曜日の予約をメジャーリーグ史における名打者デビッド・オルティーズ対策として生み出された通称“オルティーズ・シフト”ばりの極端な早上がりシフトに調整し(サッカーでいうとディフェンスラインを守備的MFが振り向いたら背後霊くらいの距離まで押し上げる感じ)、無事に19:45くらいには全てのお客様のお見送りを終えて、いつものように自転車でテアトル梅田に向かいました。

(*良い美容師のみなさまは絶対に真似をしないでください)

 

そんな暴虐無人なことをして早速バチが当たったのか、自転車のタイヤが淀屋橋手前でパンクしてしまうという。。

でも、『たぶん悪魔が』を映画館で観れるという至極の時間が目前にある僕の執念は、悪役ターミネーターよりもしぶといので、とりあえず最寄りの駐輪場に自転車を停めて、あと上映まで30分くらいあったので徒歩で梅田を目指しました。

この日は朝から映画に行く気満々だったので、夜肌寒くなっても大丈夫なように今の時期にしては少し厚着気味の格好をして行ってたのですが、急ぎ気味に歩いたおかげでお気に入りのドリス・ヴァン・ノッテンのジャケットにまで汗が滲みてきそうになりました。

この苦難も悪魔の仕業か、と嘆きたくなりました。

(おそらく僕の日頃の行いに対する鉄槌だと思います)

 

 

googleのナビでは徒歩だと到着時間がギリギリとの算出だったのですが、恐るべし早足を駆使して無事10分前に到着できました。

 

上映が始まってからの時間は、まさに感無量でした。

耳を引き裂くようなハイプオルガンの音や車のブレーキ音、そして生活音。

ブレッソンの映画は必要なもの以外は引き去られ、慎ましく静かな分、それらの音は強烈な印象を与えます。

ブレッソン特有のフレームワークによる映像も本当に素晴らしかったです。

 

大満足の気分になった帰り道は、外へ出た瞬間から潔くadidasのアプリを開き、Saultの新譜を聴いて未だ踊る気分を鎮めながら、途中でパンクした自転車もピックして家まで歩いて帰りました。

神様、素晴らしいひとときをありがとうございました。

 

近日中にDVDとBlu-rayの封を開いて特典の解説と共に作品もゆっくり観返して、もっと理解を深めたいと思います。

ブレッソン、素晴らし過ぎます。

 

Posted on 04.23.22

先日書いた『KYOTOGRAPHIE, そしてアピチャッポン・ウィーラセタクン』の記事の続きです。

 

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KYOTOGRAPHIEを無事に回り終えた僕には『光りの墓』が上映される出町座に向かう前に、もう一つ行かねばならぬところがありました。

これもお客様から教えていただいてた和菓子屋『嘯月』で事前に和菓子の予約をしていたのです。

前のブログを読んでくださった方は「まだ食べ物買うんかい!」と突っ込みたくなるところだと思います。

何たって僕のリュック(だけでは入りきらなくなってたので手提げ袋にも分けて)は、パンと焼き菓子, 麩饅頭と、既に潤沢なおやつで満たされてたのですが、1週間前に電話予約した頃の自分は今こんなことになってしまってることを全く予知してなかったので、あんなに楽しみにしてた初嘯月だったのに、この時は Jonny Nash & Ana Stampの『There Up, Behind the Moon』を聴いてなんとか折れそうな心を保ちながら自転車を漕いてました。

僕の置かれていた状況を少しでも詳しく知りたいというキトクな方はGoogle Mapとかで嘯月のお店のある場所を一度調べてみてほしいのですが、自分がKYOTOGRAPHIEを回っていた河原町周辺からは絶望的とも言える距離があって、事前に調べている段階では「春の京都の心地よい風を感じながら行けたらいいか」くらいに思ってたのですが、そんな余裕はどこにもなかったです。

しかも、この後観る『光りの墓』は、とんでもなく眠気を誘う映画との評判なんです。

極度の不安症の僕は、自転車を漕ぎながら、噂に聞く嘯月を買いに行くワクワク感よりも、断然『光りの墓』で爆睡してしまわないかの心配に精神が支配されていました。

 

そんなことを思いながらなんとか嘯月に行き着いて、無事に和菓子を買いました。

僕は嘯月のことはそこまで詳しく知らないですが、長年続いてきたであろう歴史と趣を感じる素敵なお店でした。

こちらも帰ってから日本茶と一緒にいただきました。

舌があまり肥えていない僕ですが、見た目も日本の原風景のような美しさがあって、味も京都らしさを感じるとても美味しいものでした。

 

映画以外の全てのタスクを終えた僕は、また自転車に乗って出町座へ向かいました。

 

出町座に着いた僕の喉は極限までにカラカラだったので、映画の座席を確保し終えた財布に返す刀で“自家製レモンジンジャー”を購入し、一気に飲み干した頃にちょうど入場時間となりました。

 

映画館の座席に腰を下ろし、一日動き回った後の心地良い疲労感とホッと一息ついた安堵感を感じながらアピチャッポン監督の『光りの墓』を鑑賞しました。

 

 

 

 

『光りの墓』は、原因が全くわからない眠り病にかかった兵士たちが運び込まれてくる、タイ東北部の町コーンケンにある仮設病院を舞台にした作品です。

 

本作は、そんな自分の疲れた心と身体を、不思議なヒーリング効果で優しく包み込んでくれる映画でした。

 

作中の謎く眠り病を患って病室で静かに眠る患者たちのように、自分も意識が覚醒と半覚醒を行き来しているような不思議な体験をしました。(眠りかけていたとも言えます)

 

タイを舞台にした映像はとても美しくて心地良く、画面から大量のマイナスイオンを浴びているようでした。

 

スピリチュアルやファンタジーの要素はあまり得意ではないのですが、それらの要素を複雑に取り込むのではなく、床に落ちた水滴が融合し,やがて小さな水たまりになっていくような優れた芸術性で昇華しているところに、アピチャッポン監督の非凡さを感じました。

 

本作はアピチャッピン監督の母国,タイでは上映されていません。

体制批判や反戦などのメタファーを含む本作が、タイの軍事政権の権益によって許可が降りないと製作陣が判断したからです。

 

今は、ウクライナ問題が大きくクローズアップされていますが、世界には他にも問題を抱えた国が多く存在します。

僕も日本人として、日本の国家の考え方に対して疑問に思うこともありますが、世界の国々の中でみればそれは贅沢な不満なのかも知れません。

 

鑑賞後は、京阪電車に乗り込み、再び、Jonny Nash & Ana Stampの『There Up, Behind the Moon』を聴きながら、映画の優しい余韻に包まれて帰宅しました。(たまたま『光りの墓』と空気感が近かったんです)

 

仕事帰りの人達で少し混み合ってくる車内でしたが、それさえもとても心地良い時間に感じました。

本作を映画館で観ることができて良かったです。

 

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という感じの京都一日旅でした。

長文読んでいただき、嘯月の場所をGoogle Mapで調べてくださった方も(もしいらっしゃったら)、ありがとうございました!

 

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