Posted on 11.30.23

先日、仕事が早く終わったので、これは絶好のチャンスとばかりにシネヌーヴォで開催中の“ジャン・ユスターシュ映画祭”へ。

 

 

僕にとってのオールタイムベスト級映画『ママと娼婦』への布石となっているということで狙っていた作品『ナンバー・ゼロ』を観てきました。

 

 

タイトル、メチャかっこいい。

 

この作品は、ユスターシュの祖母であるオデット・ロベールの話を2つのキャメラ(通っぽく言ってみました)で撮影したドキュメンタリー作品。

 

当時のユスターシュは鬱状態に陥っており、もう自分には映画は撮れないのではないかと気に病んでいたそうです。

そんなユスターシュに、「一族誰かを主題にして映画を作ってみてはどうか?」という提案したのは、『豚』の共同制作者,ジャン・ミシェル=バルジョルでした。

 

語られるのは、オデットの半生、および彼女の曾祖父母から曾孫たちへいたる、六代にわたる一族の歴史です。

まあ、よく喋るおばあちゃんでした。

これは上沼恵美子さんもビックリ。

 

ユスターシュは当時、この作品を映画とみなして良いのかどうか、確信が持てなかったそうです。

なぜなら、この作品に似たものを見つけることができなかったから。

「『ナンバー・ゼロ』を作るつもりはなかった。単に悪に悩まされていて、その悪に対する反応がこの映画だった」とユスターシュは語っています。

そして、この映画で自身のルーツを見つめ直すきっかけになったのかどうかはわかりませんが、この後、『ママと娼婦』『ぼくの小さな恋人たち』という、自身の経験を強く反映させた映画史に残る素晴らしい作品を完成させました。

 

今回は、自分の休みとのタイミングがうまく合わず、他の日本初公開作品は観に行けませんでしたが、これを観れたことでひとまず満足しました。

ぜひBlu-ray化してほしいです!

 

ご興味のある方は、今週一杯まで映画祭が開催されていますので、ぜひシネヌーヴォに足を運んでみてください!

先日のお休みは、シネヌーヴォでドイツの映画作家ウルリケ・オッティンガーの作品を観てきました。

 

 

今回、オッティンガーの作品が日本で上映されるのが決まってからというもの、観に行くのをとても楽しみにしていました。

自転車圏内でいつも素晴らしい映画を上映してくれるシネヌーヴォさんには毎度感謝です。

 

この日は、日本で上映される3作品が立て続けに上映されている日だったのですが、ビビって2作品にしました。

ビビりまくって。

 

ということでまず一作目は今回一番観たかった作品『アル中女の肖像』

 

 

ストーリーはどこからともなくやって来た名もなき女性が、ベルリンの街で飲んだくれるという話。

 

主演は、実験的音楽のパフォーマンス集団,ディー・テートリッヒェ・ドーリス(Die Tödliche Doris)に参加するなど、80年代の西ベルリンの前衛的なアートやファッションの分野でアイコン的な存在だったタベア・ブルーメンシャイン。

本作では、衣装も彼女が担当しています。

バチバチにキマってました。

バッチバチに。

こういうニッチな映画はあまり観ないという方でも、ファッションやアートが好きな方にもオススメできる作品かなと思います。

 

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続いて『フリーク・オルランド』

 

こちらは「小さな世界劇場」という形で、過ち,無能,権力の渇望,恐怖,狂気,残虐行為,そして日々の生活を含んだ世界の始まりから今日までの歴史が、5つのエピソードで語られます。

 

もう始まった瞬間から苦手な類の映画だと思ってしまいました。。

ホドロフスキーっぽいカオスで狂気な感じは好きなのですが、それを『チャーリーとチョコレート工場』みたいな幼稚なチャーミングさで割ってる感じがしました。

ジャック・リヴェットみたいな世界観もありましたが、リヴェットの方が映像はファンタジックでも表現はもっとシリアスです。

多分、僕が捻くれ者の中でもマイノリティな部類なだけで、ホドロフスキーとかが好きな方ならこの作品を面白いと感じる人も多いんじゃないかと思います。

個人的には観ておく価値がある映画かと思いましたが、好きではないです笑

 

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2作品観て、オッティンガーの作風がどんなものか少しわかりました。

面白い映画監督だと思いますが、僕は同じニュー・ジャーマン・シネマでもファスビンダーの方が断然好きそうです。

でも、作品を通じて“ベルリンの壁”で生活も文化も,そして政治も分断された当時の西ベルリンの退廃的で鬱々とした人々の、今にも内々で静かに爆発しそうな感情が伝わってくるようでした。

 

残りの1作品も近いうちに観に行こうと思っています。

読んででご興味が湧いたというキトクな方(笑)は、ぜひシネヌーヴォへ足を運んでみてください!

 

シール型の映画チラシも貰えますよ!

 

 

 

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天使の影

2023.08.08.

Posted on 08.08.23

昨日のお休みは、シネリーブル梅田でライナー・ヴェルナー・ファスビンダー脚本, ダニエル・シュミット監督の映画『天使の影』を観てきました。

 

 

この作品は、ファスビンダーが書いた戯曲『ゴミ、都市そして死』をダニエル・シュミットが映像化したものです。

 

まず、このアートワークのシーン。

なんてロマンティックな構図なんだろうと思ってましたが、実際は相当にクズなヒモ野郎から酷いセリフが言い放たれたシーンでした。

でも、だからこの作品は『タイタニック』とかの何万倍も人間の本質を突いてきます。

 

映像はやはりファスビンダーの方が個人的には好きですが、シュミットはシュミットで素晴らしかったです。

ファスビンダーの演技も堪能できて良かったです。

 

日程は少しタイトでしたが、関西でもファスビンダー映画祭を上映してくださってありがたかったです。

まだ間に合う方は、ぜひ観に行ってみてください!

 

Posted on 06.21.23

先日は、シネヌーヴォのゴダール特集で、『1PM ワン・アメリカン・ムービー』と『ニューヨークの中国女』を観てきました。

(ちなみに、この2作品はゴダールが監督を務めた映画ではありません)

 

 

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まずは『ニューヨークの中国女』から。

 

 

 

本作は、ゴダールが監督を務めた映画,『中国女』(1967年)がニューヨークで封切られた翌日に撮影されたドキュメンタリー作です。

(奇しくもその日はキング牧師が暗殺された日【1968年4月4日】でもあります)

 

毛沢東主義や世界情勢に対してユーモアを交えて斬り込んだ作品,『中国女』を巡って、ニューヨーク大学の大学院生とゴダールで交わされた議論の様子が収められています。

 

僕も直前に『中国女』を観たり、中国大革命のことを少し調べたり、僅かながらの予習をして観に行きました。

 

ゴダールと言えば、いかにも偏屈で気難しそうなイメージがあると思いますが(実際そういうのの結晶みたいな人だと思います)学生たちの質問には丁寧で誠実に、しかも英語で(途中からはテンション上がってフランス語になっていましたが笑)応えている姿が印象的でした。

 

この当時は、若者の政治や社会問題に対しての関心が世界的に高かった時代だと思います。

それらの考えの多くは反体制的なものでした。

 

この撮影日のおよそ20日後、同じニューヨークのコロンビア大学で数百人の学生が校舎に立て篭もるストを起こし、翌月パリでは5月革命が起こりました。

何か体制の在り方を変える時には、若者たちの声や行動というものは、(本人たちが思っている以上に)大きな力となるということを時代が証明しています。

 

今年亡くなった坂本龍一さんはSEALsなど日本の若者が声を上げた活動にも関心を持ちその行動力を支持していましたが、(SEALsも当時色々と言われていましたが、そういうところにも自分は何と思われようがそんなこと関係なしに応援に駆けつける坂本さんの姿も僕は素晴らしいなと思っていました)、当時のゴダールにも同じような気持ちがあったのかも知れません。

 

このドキュメンタリーを観て、またゴダールのことが少しだけ好きになりました。

 

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『1PM  ワン・アメリカン・ムービー』

 

 

1968年の秋に企画されたゴダールとダイレクト・シネマの旗手ペネベイカー&リーコックのタッグによる『1AM (ワン・アメリカン・ムービー)』

 

しかしこの共同作業はそれぞれがお互いの主張を譲らず、編集段階で頓挫してしまいました。

 

本作『1PM』は、ゴダールが放棄したフッテージをペネベイカーが繋ぎ合わせて作った作品。

 

二人に構想を伝えるゴダールの姿や、ブラックパンサー党のエルドリッジ・クリーヴァーの談話、60年代アメリカのカウンターカルチャーを体現するバンド, ジェファーソン・エアプレインのゲリラライブ(ゴダールが依頼)など、貴重な映像をたくさん観れました。

 

監督がゴダールじゃないから(笑)、アメリカのこの時代の情勢や空気感といったものが割とストレートに伝わってきました。

 

ゴダールがやっていた数を数える時の指を上げる順番は、早速今日から真似したいと思います。

 

 

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という感じでどちらとも大変興味深い作品でした。

来週からはゴダール監督の作品の追悼上映も始まりますので、ご興味のある方はぜひシネヌーヴォに足を運んでください!

 

EO

2023.05.10.

Posted on 05.10.23

先日のお休みはシネリーブル梅田で、ポーランドの鬼才, イエジー・スコリモフスキ監督の最新作『EO』を観てきました。

 

 

 

本作の主人公は一匹のロバ。

 

 

 

そう、ロベール・ブレッソン作品の名作『バルタザールどこへ行く』をオマージュした作品となっております。

 

 

 

サーカス団の一員として生活していたロバのEO(イーオー)ですが、ある時サーカス団から連れ出されてしまいます。

そのEOの予期せぬ放浪旅を通じて、人間たちの本性やその愚かさを映し出します。

 

 

僕はブレッソンの『バルタザール』が衝撃的な作品でとても印象に残ってるということもあって、同じくロバを主人公にした本作の公開を楽しみにしていました。

 

作品は現代版『バルタザール』という感じでしたが、極限まで削ぎ落とした構成でじっとりと湿ったような人間模様を描き出す本家ブレッソン作とは別物の映画でした。

 

でも、映像や音楽はさすがスコリモフスキという感じでした。

ちょうどシネリーブル梅田がodessaを搭載したスクリーンで上映してくれていたので、映像と音響を存分に楽しむことができました。

 

 

 

本作は、ロバよりも後半で登場したイザベル・ユペールの方が圧倒的な存在感を感じましたが、そういう作りにしているのも監督の意図なのでしょう。

 

本作が『バルタザール』と同様の作品と言われるとかなり違和感を感じてしまいますが、こちらはこちらで面白かったです。

 

ご興味のある方は、ぜひ映画館に足を運んでみてください!

Posted on 03.08.23

先日のお休みはシネヌーヴォでクレール・ドゥニ監督の1994年の作品『パリ、18区、夜。』を観てきました。

 

 

 

ドゥニの昔の作品を観れる機会はあまりないので、今回のチャンスは絶対に逃すものかと思っておりました。

ちょうど僕が休みの月曜日に上映があってラッキーでした。

 

クレール・ドゥニは、ジャック・リヴェットやヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュなどの元で助監督としてキャリアを積みました。

 

ジャック・リヴェットの創り出す世界観も非常に独特で美しいものですが、今作のドゥニの作風はどちらかというとヴェンダースやジャームッシュからの影響が色濃く出ている作品だと感じました。

 

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本作の舞台となるパリ18区は芸術の街として有名です。

一方で、移民が多く住む町という一面もあります。

ストーリーは、実際にあった老女連続殺人事件を中心に、パリ18区移民の街の生々しい事情と暮らしを描く群像劇。

 

前半はうっとりするくらい色鮮やかでバチっと決まったフレームワーク、そして物事が暗転していく後半ではカメラも薄暗い色調へと陰を落としていきます。

 

音楽も良かったです。

ファッションや音楽にも詳しい人の撮る映画は、映し出すショットにもその感性が如実に現れています。

 

特に主演のカテリーナ・ゴルベワが素晴らしかったです。

 

 

 

僕もジム・ジャームッシュやクレール・ドゥニの撮る映像のように、魅力的なカルチャーの要素をヘアスタイルにおいてもっと表現できるように、腕を磨いていきたいです。

 

 

今作も上映されている、特集『フランス映画の女性パイオニアたち』は京都の出町座でも開催されていますので、ご興味のある方はぜひそちらにも足を運んでみてください!

Posted on 02.26.23

先日のお休みは、シネリーブル梅田でジョージア人の映画監督,オタール・イオセリアーニの『歌うつぐみがおりました』を観てきました。

 

 

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『歌うつぐみがおりました』  1970年     監督、オタール・イオセリアーニ

 

まず、邦題がなんともチャーミングです。

 

主人公のギアは、ティンパニー奏者。

しかし、何もせずにじっとただ待っていることが苦手なギアは、自身の楽器の出番の少ない演奏の合間にスルスルとホールを抜け出してナンパしに行ったり遊びに出かけたりと自由奔放な生き方をしています。

ですが、演奏フィナーレの出番までには(なんとかギリギリ)絶対に遅れないという変な真面目さを持っていたりするので、観ていて憎めないところがあります。

 

映像や脚本も、ジョージア流ヌーヴェルヴァーグという感じで、大変魅力的な作品でした。

 

イオセリアーニ監督は、故郷のジョージアで映画を撮り始め、その後、拠点をパリに移しました。

他のジョージア時代の作品ももっと観たいですし、パリで撮った作品もぜひ観てみたいです。

 

今回の映画祭を機に、Blu-rayが発売されればいいのですが…

素敵な映画を撮る監督さんなので、ご興味が湧いた方はぜひイオセリアーニ監督の作品をご覧になってみてください!

 

 

Songs for Drella

2023.01.24.

Posted on 01.24.23

昨日のお休みは阪急電車に乗って塚口まで出向き、塚口サンサン劇場で上映されている映画『Songs for Drella』を観てきました。

 

 

塚口サンサン劇場は今回初めて行ったのですが、ローカルな駅にあるにも関わらずスクリーンも大きく立派で、とても素敵な映画館でした。

劇場の名前も良いし。

僕もV:oltaの店名を“堀江サンサン美容室”に改名したくなりました。

 

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本作『Songs for Drella』は、1990年に発表された音楽,映像作品の4K修復版。

元The Velvet Undergroundの二人の天才, ルー・リードとジョン・ケイルによる、1968年の決別以来21年ぶりに共演した無観客ライヴの記録映画となっております。

そして、『Songs for Drella』の“Drella”とは、The Velvet Undergroundを見出したポップアート界の天才, アンディ・ウォーホルを指します。

ウォーホル周辺のいわゆる“スーパースター”だったブルックリン出身の俳優,オンデュースによって考案されたそのあだ名は、おそろしいドラキュラと魅惑的なシンデレラを掛け合わせたものでした。

 

 

 

僕は、京都で開催されているアンディ・ウォーホル展には例え京都に行く予定があったとしてもついでに寄ろうとは考えないですが、この映画を観るためなら塚口まで喜んで出向くタイプの人間です。

そんな人間はこの共感万歳の時代に向いていないのは火を見るよりも明らかです。

 

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The Velvet Undergroundは、ニューヨーク生まれでシラキュース大学で詩人,デルモア・シュワルツの教えを受けたルー・リードと、イギリスはウェールズ生まれでクラシックと現代音楽を学ぶためにニューヨークにやってきたジョン・ケイルを中心に結成されました。

バンド名の由来はマイケル・リー著のSMなど性的なサブカルチャーを題材にした同名のペーパーバックから引用されました。

 

バンドはニューヨークのライブシーンで静かにその名を響かせるようになっていきます。

その評判を耳にして視察に駆けつけたのが、現代アート界のスターであったアンディ・ウォーホルでした。

ウォーホルは彼らの特異な才能をすぐに察知して、自らバンドのプロデュースに名乗りを挙げ、デビューアルバムのアートワークまで手掛けました。

そして1967年にデビューアルバム『The Velvet Underground & Nico』が発売されます。

しかし、当時では前衛的なそのアルバムはあまり売れませんでした。

別の問題として、バンドメンバー達も世間からアンディ・ウォーホルの愛玩物のような目で見られがちなことに対しても次第に反発を覚え、ルー・リードはウォーホルに決別を告げました。

同時にウォーホルが抱き合わせたニコとも決別した後、彼らは傑作セカンドアルバム『White Light/White Heat』を完成させます。

しかし、このアルバムのレコーディング中からリードとケイルはバンドの方向性について度々衝突するようになり、それはやがて感情的な対立となってしまいました。

ジョン・ケイルはこのアルバムを最後にバンドを去りました。

 

バンドはその後もアルバムを2枚リリースしますが、結局商業的には大きな成功を得ることなく1971年に解散してしまいます。

 

しかし皮肉なことに、この頃からヨーロッパを中心にThe Velvet Undergroundの人気は高まっていくことになります。

1972年には、リード, ケイル, ニコの3人による貴重なコンサートが開かれ、二人は久々に共演しました。

 

しかし、それ以降の二人はまた長くすれ違いの人生を歩みます。

そんな状況を変えたのがアンディ・ウォーホルの死でした。

 

ウォーホルの追悼会で久々に再会した二人は、共通の知人である画家のジュリアン・シュナーベルの提案もあってウォーホルを偲ぶ本作『Songs for Drella』の制作に向けて再び一緒に仕事をすることになりました。

 

説明が長くなってしまいましたが、これでもだいぶ端折った感じの(説明が下手ですみません)この作品が制作されるまでの経緯です。

 

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映像では、リードとケイルの間にはまだなんとなく関係のぎこちなさがあるのだろうなという微妙な緊張感が伝わってくるようでした。

 

 

同名アルバムの曲たちを通じてウォーホルとの関係や思い出が語られ、そしてそれはラストの“Hello It’s Me”へと紡がれていきます。

 

年齢を重ねた二人の姿もカッコ良すぎました。

ジョン・ケイルの衣装なんて、カール・ドライヤーの映画に出てくる登場人物のようです。

 

 

 

 

 

 

上でも少し書きましたが、The Velvet Undergroundのデビューアルバムは当時あまり売れませんでした。

ですが、そのアルバムを買った人はみんなバンドを始めたという逸話が後に残るくらい、作品は先進性があるものでした。

 

 

僕は思うのですが、それは成熟した今の時代においても同じなのじゃないでしょうか。

今の承認欲求全盛の時代において、当店がバズってるようじゃ、やはり本当に格好良いことはできていないのだと思います。

(実際バズってもないですし、思うほど格好良いことが現状できているという自信もそんなに無いんですけどね)

 

でも、当店にご来店いただいているお客様の中には、その時代に生きていればThe Velvet Undergroundのアルバムを買ったであろうなと思うような感性の方がたくさんいらっしゃいます。

僕は、そういった方々に認めてもらえること,選んでいただけることの方が、世間で人気が出たり商業的に成功するよりも余程大事です。

 

 

当初から通ってくださっている顧客様なら知っているかと思いますが、こんな当店でも当初はバズってしまっていた時期があったんです。

それは、僕の感性が未熟だったり技術不足だったりしたことで、自分の理想よりもその完成形が下回っていたからだと思います。

でも、それくらいの方が世間ではウケが良いんです。

 

今の場所に移転する際、店内を少し敷居が高く感じるくらい特別なものにしてもらいました。

引き渡していただく時に、内装を作っていただいた業者さんに「魂込めて作ったんで大切に使ってください」と仰っていただいたのを今も覚えています。そう言っていただけて身が引き締まる思いでした。

(今でも自分の技術は、この素晴らしい内装にまだまだ相応しくないレベルのものだと思っていますが、それでも移転する前とは比べ物にならないくらいには自分自身の技術もレベルアップしてきてると感じている部分もあります)

 

去年、NHKで特集されていた安藤忠雄さんのドキュメンタリーで、安藤さんが「今の建築物には魂が入っていない」と口にしたのを聞いた時、「自分たちのお店の内装には魂が入っているんだ」と思えて誇らしくなりました。

もちろんその空間に魂を与え続けるのは、そこで働く人とそこを訪れる人の感性や感情が大切だとも思っています。

 

これは大した話じゃないんですけど、でもちょっと自慢にできることでもあるし、別に僕だけ喜んでおけばよいので特にここでも書かなかったことなんですが、当店の取引先の方で安藤忠雄さんとお話しする機会があったという方が教えてくれたエピソードです。

その会話中、仕事の話になって安藤さんに「どんなところを担当してるの?」と聞かれた時に幾つかピックアップしてくれたお店の中に当店を選んでくださったみたいなのですが、当店のページを見せた時に「ここええやん!」と当店を褒めてくださったらしいです。

 

巨匠に褒めていただいて、僕も嬉しいです。

でも、美容室の中では、わかってくださる方には評価していただけることをやっている(目指している)自負は持っているつもりです。

 

まだまだ日本人は欧米の人の感性や考え方と比べると未熟な部分があると思っています。

V:oltaは、美容室という形式を通じて、日本人の感性を少しでも豊かにするようなことができたら、という密かな思いを持っています。

 

その為には、自分が一番頑張らないと、ということも重々承知しているので、これからも必死に頑張っていきます!

 

もう最後の方はヴェルヴェッツもウォーホルも全く関係のない話になってしまってすみません。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

 

 

best movie of 2022

2022.12.28.

Posted on 12.28.22

先日書かせていただいた年間ベストアルバムに続いて、年間ベスト映画も一応発表させていただこうと思います。

あくまで僕自身が今年観た映画の中でのランキングですので、新作旧作はもちろん、視聴環境も映画館と自宅どちらも混合でのランキングです。

 

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【10th】

テンギズ・アブラゼ   『懺悔』(1984年)

 

旧ソ連時代のジョージア出身の映画監督、テンギズ・アブラゼによる“祈り三部作”の最終章。

スターリン時代の恐怖政治の暗部を鋭く描いた喜劇。

 

上の写真の本作の独裁者が、もう夢にも出てきそうなくらいの強烈キャラでした。

 

反体制を訴えかけるシンボリズムと、独特のツボを持ったシュールレアリスムの調和。

室内のカットは、インテリアの調度や色遣いなど、ブレッソン映画のような格調の高さを感じました。

 

本作は、ゴルバチョフによるペレストロイカの前に制作されたもので、その体制批判的な内容から上映禁止となり、フィルムも廃棄寸前となりました。

エンドロールに「グルジア・フィルム、1984年」とありましたが、あえて年号を制作会社と共に明記させているところに、関係者の思いを感じずにはいられません。

当時のソ連において、本作が公開されるとは誰も期待していなかったのでしょう。

 

本作は、1987年にソ連でも公開されました。

そこにはジョージア人のソ連外相, シェヴァルドナゼ氏の大きな努力があったと言います。

 

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【9th】

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー   『マリア・ブラウンの結婚』

 

『第三世代』もそうでしたが、本作も冒頭のクレジットからバチバチにカッコイイ。

ファスビンダーの作品は、いつも「何を見せてくれるんだろう」とワクワクします。

戦争により、結婚式の翌日から引き裂かれる二人の運命。

 

これがファスビンダー流“フェミニズム”なのか。

バーのホステスからのマリア・ブラウンの成り上がりっぷりが狂ってて面白い。

爆破で始まり、爆破でおわるラストもお見事。

 

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【8th】

マノエル・ド・オリヴェイラ    『神曲』 (1991年)

 

今年、ある香水を買ったことをきっかけにダンテの『神曲』を読んだのですが、どうせならオリヴェイラのこちらも今年中に観ようと思いました。

 

オリヴェイラの描く『神曲』は、ダンテとは全然違います。

 

舞台となるのは精神病棟。

冒頭、旧約聖書の有名なアダムとイヴの場面から始まります。

 

ドストエフスキーの小説の登場人物の名前に準えた役者達。

キャスト達の豪奢な衣装、ここは本当に精神病棟なのか?

そのセリフは劇中劇として用意されたものなのか、それともよりリアルなものなのか。

 

キリスト教、ドストエフスキー、ニーチェなど、日本人がこの映画をより理解する為にはそのあたりの知識がそれなりに必要かも知れないです。

僕もドストエフスキー作品は買って手元にあるのに、なかなか途中までしか読めていない浅学非才の身ですが、それでも傑作だと思える作品でした。

 

崇高な芸術性を存分に発揮しつつ、観るものに問いかけているようで、ラストの“カチンコ”で「これは所詮映画なのだ」と自らオチをつけるオリヴェイラ。

凄すぎます。

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【7th】

タル・ベーラ    『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)

 

タル・ベーラの傑作、ここに在り。

 

ハンガリーの作家, クラスナホルカイ・ラースローの『抵抗の憂鬱』を映画化した作品。

145分の映画で、僅か37カット。

1カット毎、時間という概念, 映画という概念をまるで取り払ったかのような渾身の長回し。

厳格なモノクロの映像には、無駄なものは一切削ぎ落とされ、その結果、人間の姿が浮き彫りになる。

 

人間とは、どこから来て、どこへ向かうのか?

 

地球と月、和音と不協和音、土地の者と招かざる客、秩序と暴動、神とクジラ…

その間を媒介する主人公, ヤーノシュの生きる姿。

 

そしてこの物語をファンタジーかのように錯覚させるヴィーグ・ミーハイによる幽玄で甘美な音楽。

尋常ではない長回しでも、眠くならないどころか、むしろ逆にその映像に引き込まれました。

 

 

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【6th】

エリック・ロメール    『恋の秋』(1998)

 

エリック・ロメールによる“四季の物語”、そのラストに描くのは円熟味が出る40代の大人の恋。

 

ロメールは何かと難しくなってくる不惑の恋でも、これほどまでに面白く描けるのですね。

 

サッカーで例えると、自陣でのパス回しから相手陣地へと攻めていき、FWが相手DFを交わしてシュート!ボールがゴールキーパーの手の横をすり抜けてゴールネットにいざ突き刺さろうとする。

でも、ロメールはゴールネットを揺らすところまでは決して写さない。

その腹6分目加減が堪らない。

 

かと思えば、全てがハッピーで多幸感に包まれたエンディングのダンスシーンでイザベルが最後にみせる意味深な表情。

いかにもロメールらしい余韻のラストでした。

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【5th】

シャンタル・アケルマン    『私、あなた、彼、彼女』 (1974年)

 

 

撮影時24歳だったアケルマンによる、セルフポートレイト作。

 

後の『ジャンヌ・ディエルマン』へと繋がる、ある種アケルマンの原点とも言えるようなものがありました。

むしろ、本作の方が孤独感や閉塞感、そして本能や生命力といったプリミティヴな感性が強烈に伝わってきました。

 

荒く禍々しいモノクロ映像は、風で消えかけそうになっている魂の蝋燭のよう。

時折、画面が闇に消されてしまいそうになるくらい危なかしく感じるシーンもありましたが、その後に映し出されるラストの長回しは言葉では表せない圧倒的なものでした。

 

 

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【4th】

マルセル・アヌーン   『夏』 (1968年)

 

クラシック音楽が流れ、女性が走る。

これぞ僕が観たいヌーヴェルヴァーグです。

ゴダール映画のあの独特なナレーションは、アヌーンをパクっていたんだなということがわかりました。

(ほぼ同時期ですし、ゴダールはアヌーンの映画をサポートしてたくらいですが)

 

ぜひ日本各地の映画館でも上映してほしいですし、四季ボックスが発売されるなら10万までは余裕で出します。

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【3rd】

ジャン・ルーシュ     『人間ピラミッド』 (1961年)

 

 

シネマ・ヴェリテの創始者にして、映像人類学の巨人, ジャン・ルーシュによる、人種差別問題に切り込んだ実験映画。

 

オープニングの字幕

「この映画は、黒人と白人の青年グループの中に作家が喚起した実験である」

 

本作の舞台はコートジボワール。

フランスの植民地下にあった当時、現地では同じ学校に通ってる白人と黒人の学生達でも互いに交流はなかったと言います。

冒頭のシーンでルーシュは白人のグループを集め、これから撮ろうとする映画の実験的な意図を説明し、その後、同様の説明を黒人のグループにも行います。

 

生徒(登場人物)たちは、演技や会話だけでなく、本作におけるストーリーの展開においてまで即興に委ねるという趣旨を伝えられます。

但し、その中に監督の指示もいくつか入りますが、白人学生の誰かにレイシストを演じてもらうという指示以外は、こちらにはどこまでが監督の脚本なのかがわかりません。

でも、それが斬新な挑戦でとても面白かったです。

 

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【2nd】

ロベール・ブレッソン  『たぶん悪魔が』 (1977年)

 

 

ドストエフスキー最後の長編小説『カラマーゾフの兄弟』の一説から引用されたタイトルは、きっとブレッソンがこの世の有り様や人間達の愚かさに対して、嘆きとも言えない絶妙に微妙な感情で言い表したものでは無いかと思います。

耳を引き裂くようなパイプオルガンを調律する音、車のブレーキ音、そして日常そこら中にある協和融合しない生活音。

 

ブレッソンの映画は情報が極限までに削ぎ落とされているからこそ、自分達が日々聞こえているであろうそれらの音の異常さに改めて気付くことができます。

 

都会に住んでいると夜空の星の本当の美しさに気づくことができないのと同様、現代における日々が便利で忙し過ぎる故、この世の狂い様にも気がつきにくくなっているのだろうと思います。

 

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【1st.】

アンドレイ・タルコフスキー 『ストーカー』 (1979年)

 

 

タフコフスキーの映像詩は本当に素晴らしいです。

 

日本では、“ストーカー”は一般的に恋愛対象者への執拗な付き纏い行為のことを指しますが、もともとの意味は“密猟者”。そして、本作では地上に忽然と出現した不可解な空間「ゾーン」への案内人のことを指しています。

 

冒頭はセピアがかったモノクロ映像から始まり、「ゾーン」に侵入するとカラー映像へと変わる。

そのどれもが溜息が出るほどに美しい。

特に水の表現力は圧巻でした。

本作は、後に亡命するタルコフスキーからロシアの体制に対しての冷静でいて痛烈な批判が込められているのだろうと思います。

タフコフスキーの映画は、いつも自然が奇跡を起こしたような映像があります。

これは芸術に他ならない。

 

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ということで映画は10位まで紹介させていただきました。

そして結果的に新作映画はひとつも入らなかったです。

『TITAN/チタン』とか『英雄の証明』とか『リコリス・ピザ』とか、新作もちょくちょくは観てたんですけどね。

 

選んだものはレアな作品が多くなってしまいましたが、レンタルとかサブスクで観られる作品も中にはありますので、ご興味が沸いたという方はぜひ年末年始のお休みにでもご覧になってみてください!

 

僕は正月休みでドストエフスキーの小説を1冊は読み終えようと思っています。

 

長々と読んでいただき、ありがとうございました!

冬の旅

2022.12.06.

Posted on 12.06.22

タイトルだけ見たら、どこか旅行へ行ったのかな、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、僕が行ったのは梅田にあるシネリーブルで、このタイトルはアニエス・ヴァルダによる映画『冬の旅』のことです。

 

 

原題は『Sans toit ni loi』

直訳すれば「屋根もなく、法もなく」と言う意味になります。

 

ベルギーの映画監督,アニエス・ヴァルダによる1991年の作品。

 

本作の主人公は18歳の少女,モナ。

物語は、若い彼女の遺体が発見されたところから始まります。

 

 

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観るまでは『冬の旅』という邦題もいいなと思っていましたが、これは旅なんてもんじゃない。

生きるということを放棄しているかのような怠惰な女性の終わりなき放浪記。

 

傑作ドキュメンタリー作を多数遺したヴァルダですが、劇映画での視点も流石です。

 

自分はアリの如く働くので、怠け者の主人公には一切共感できなかったですが…

 

日本にもホームレスはいますが、それを選ばない選択肢があった方もたくさんいらっしゃると思います。

でも、彼ら彼女らは、自由と制約とを天秤にかけて、そして自由を選択したのです。

その結末が、他人にとってはとても哀れに見えるものでも、それを選択することも本人の自由なのだから。

ただ、いよいよと言うところまで追い詰められた時、その選択を後悔する人はどれくらいいるでしょうか。

それは、御馳走三昧の暮らしをしてきた裕福な人が取り返しのつかない大病を患った時に後悔するのと大して違いはないような気がします。

 

資産家のおばあちゃんと主人公が談笑するシーンがとても良かったです。

主人公に少しでも生に対して欲の気持ちがあれば、人生のレールに戻れるチャンスはいくつもあったのに。

 

感電のシーンとかも最高でした!

ヴァルダのユーモアのセンスは、ゴダールよりも数段優れています。

 

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話は変わりますが、先日、英国映画協会が10年ごとに発表している「史上最高の映画100」(全世界の映画関係者が投票しています)の最新版が発表されたのはご存知でしょうか?

https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/greatest-films-all-time

 

ここで選出されている作品の多くは、映画において特に芸術性が高いと評されているものが多いです。

古い映画も多いですが、それらは今の時代にこういう映画を作るのは、もはや無理だろうと思えるものがたくさんあります。

 

観たことない作品が多いけどキューブリックやデヴィッド・リンチあたりは好きだ、というくらいの感覚をお持ちの方なら、あとは白黒や長回し等に対する耐性さえつけば、どんどん映画の沼にハマっていけると思います。

 

僕は今、新潮で連載されている坂本龍一さん(以下教授)の連載を読んでいるのですが、東京大学で講義をした際、(大勢の希望者の中から厳選された)受講者の学生に一人ずつ自身の専門分野に関することと好きな映画について質問したらしいです。

皆自身の勉強している分野については立派に答えたそうですが、映画に関してはここで選出されているような作品を出した人はただ一人(ゴダールの映画を挙げたそうです)だったみたいです。

それを残念そうにしていました。

また、教授が韓国でイベントを開催した際、若い世代の子もたくさんサインを求めて来られたらしく、日本では全くそういうことがないのでビックリしたとも語っていました。

それだけ芸術寄りのカルチャーに興味を示すような日本人が減ってきているのだと思います。

 

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僕自身はあくまで自分のしていることはただのサービス業だと思っていますし、実際美容師はその名の通りのサービス業です。

ですが、その中にほんの僅かでも芸術性みたいなものを入れられたらなと思って、こうやって芸術映画とかも積極的に観たりする訳です。(もちろん、好きだから観てる部分の方が大きいのですが)

 

僕自身は個人のインスタグラムもやっていないくらい(お店のアカウントは作ってしまったので、なんとか頑張って続けています)インスタにはあまり大きな関心が持てないのですが、同じく美容師をされている方の中にはインスタを使って自身の担当したお客様とかを掲載している方もたくさんいらっしゃるかと思います。

それは全然良いのですが、そのアカウントのカテゴリを芸術/アートみたいなのを自ら選択されている方も少なくないように思います。

これはあくまで僕の個人的な考えですが、職業が美容師で自分の仕事を自ら芸術だと分類するには相当な技術と感性を持っている必要があると思いますし、それを掲げるなら最低でも僕なんかよりもこういった芸術映画にも関心を示してほしいなと思ったりします。

そうじゃないと本当に芸術を理解しているような人達からは、美容師自体がいつまで経っても安っぽく見られてしまうと思うので。

大したことない奴が偉そうなことを言ってスミマセン。

 

あ、それとこちらのランキングは、上と少し違って世界480人の映画監督たちによるベスト100ですが、こちらには『冬の旅』が堂々ランクインしています!

https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/directors-100-greatest-films-all-time

 

二つのランキングで、1位がアケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』とキューブリックの『2001年宇宙の旅』で違いがあるのも面白いです。
僕は20歳の頃なら『ジャンヌ・ディエルマン』を観ていたとしても、まだまだそれを理解できるくらいの知識がなかったので、『2001年』の方をフェイバリットにしていたかも知れないですが、今ならアケルマン作品の方がキューブリックよりも断然好きだと言えます。

僕自身もまだまだ未鑑賞の作品がたくさんあるので、これからの人生をこれらの作品と共に楽しみたいと思います。

 

映画にご興味が湧いてくださった方は、ぜひシネリーブルにも足を運んでみてください!

Posted on 10.21.22

先日のお休みは、またまたシネヌーヴォへ、カリスト・マクナルティーによるドキュメンタリー映画『デルフィーヌとキャロル』を観てきました。

 

 

本作は、アラン・レネの『去年マリンバードで』をはじめ、トリュフォーやブニュエル, デュラス, アケルマン等、錚々たる監督の作品に出演したフランスの女優デルフィーヌ・セリッグと、フランスで2番目にビデオカメラを手に入れた人物(一人目はゴダール)で後にフランスにおけるビデオアートのパイオニア的存在となったキャロル・ルッソプロスの出会いと二人のフェミニズム運動を記録したドキュメンタリー。

 

多様性や差別に対して人々が関心を向けだした現代だからこそ再評価されるべき、素晴らしい作品でした。

 

この作品は、森元首相をはじめとする日本の残念な男尊女卑脳を持ったオジサン連中には全員強制で観させるくらいした方が良いと思います。

 

作中でキャロルは、「ビデオカメラは、今まで専門家や組合の代表(それらは皆男性)しか発言する場が与えられなかったところに、当事者の意見(女性など当時、社会的弱者とされていた人達)を伝える機会を与えてくれた」と言っていました。

その言葉だけで、当時の女性の意見がどれだけ男性や社会から軽視されていたのかが想像できます。

(このビデオカメラはソニー製でした。この時代は日本のメーカーも革新的な製品を世界に送れ出せていたのに…)

 

 

「シェフがお金を稼ぐ為に作る料理には相応の価値があって、主婦が毎日作る料理には価値なんて全くなくただ作ってるだけ」みたいな酷い発言をするコメンテーターが出てきましたが、今ではそういう考えを信じられないと思える社会になったのは、デルフィーヌやキャロルのようにフェミニズム運動に取り組んできた人達のおかげであり、彼女たちの確固たる功績でもあります。

 

若き日のアケルマンと貫禄タップリのデュラスが並んでインタビューに応えているシーンは、何気に凄い画だなと思いました。

音楽で例えると何でしょうか。

Snail Mailとキム・ゴードンが並んでても、アケルマンとデュラスの1/10くらいのインパクトしか出せないんじゃないかと思います。

 

 

という感じで、シネヌーヴォは現在『映画批評月間』として、普段なかなか観ることのできないような作品もたくさん上映してくれています。

 

 

ご興味のある方は、ぜひシネヌーヴォにも足を運んで、素敵な作品に出会ってください。

OTHER MUSIC

2022.10.13.

Posted on 10.13.22

先週の日曜日は、仕事終わりに雨の中シネヌーヴォへ向かい、『アザー・ミュージック』を観てきました。

 

 

2016年に閉店したニューヨークの伝説的レコードショップ, OTHER MUSIC の軌跡を追ったドキュメンタリー映画。

 

アザー・ミュージックの前の通りを挟んだ向かいには、メガストア, TOWER RECORDSが君臨する。

(アザー・ミュージックがオープンした1995年当時は特に)メジャーどころ中心の品揃えだったタワレコとは違う音楽を提供するから、OTHER(他の) MUSIC。

 

ニューヨークにある高級百貨店, バーグドルフ・グッドマンは、ファッションデザイナー達にとって「ここで取り扱ってもらうことができたら感無量」と思えるくらいの百貨店だったらしいですが、特にN.Y.のオルタナティヴ・シーンで活動するバンドマンやアーティスト達にとって OTHER MUSIC で自身の作品を取り扱ってもらえることは、それと同等の喜びがあったと思います。

 

それだけカルチャーを産み出せて世界中にファンを作れるOTHER MUSICのようなお店でも、時代の流れには抗えないのかと哀しい気持ちになりました。

 

自分も小さいですがお店を経営しているので、経営者の気持ちを思うと余計に無念に思います。

 

でも僕なら今の場所で維持費が厳しくなってきたとしても、お店を閉めることよりも少し離れた場所に移ってまた頑張ろうと考えてしまいますが、潔く閉店することを選択したOTHER MUSICはやっぱり凄いなと思います。

N.Y.の中心で、今の場所で、カルチャーを発信することに意義がある、と考えていたのかも知れません。

 

 

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また個人的な話をして申し訳ないですが、(先日のブログでも少し書いたのですが)僕の田舎は淡路島の南の方のド田舎と言っていい地域にあって、カルチャーなんてものはそこには無かったので、毎月1回アルバイトで稼いだお金を全て財布に詰め込んで、大阪や神戸に服とCDやレコードを買いに行っていました。

 

ついでに髪の毛も切ってもらおうと思って、当時のカジカジHとかに載ってた大阪や神戸の中心部にある美容室を予約して、その都度よく聴いてたり興味のあった海外アーティスト(バンド)の写真を必ず持って行ってたのですが、(自分の選択も良くなかったのか)どこの美容室に行ってもそれらのアーティストを知ってるような美容師さんには出会うことができませんでした。

知っていると言ってもバンドの名前や音楽を多少知っているということではなく、そのアーティストの好きなアルバムとか、もう少し具体的な話ができる人という意味です。

 

その時の僕は、(やってほしい髪型の写真を持って行ってるので)それと似たような雰囲気に仕上げてほしいという思いももちろんあるのですが、それよりも「このバンド、僕も好きなんだ」と言ってくれるような美容師さんに出会いたいという思いの方が強かったのかも知れません。

実際、そういう美容師さんと出会えてたら、イメージの写真と仕上がりが多少違っても僕は満足して帰っていたと思います。帰りのバスの中でカット中にした会話のことを思い出しながら。

 

 

僕が美容師になろうと思ったのは、自分の髪の毛を触るのが好きだからでもヘアスタイルそのものに格段興味があったのでもなく、ファッションや音楽などのカルチャーにおいてナードな感覚を持った美容師というのは実はかなり少なくて、でも(そういうものに魅了されていた当時の高校生の自分のように)そういう共通の感覚を持った美容師さんに切ってほしいと思うような人は一定数いるんじゃないかと思ったからです。

そういう感覚の人って、好きなものに対して自分なりのこだわりを持ってる人が多くて、皆と同じような感じにされるのは嫌だと思ってしまうから。

 

自分で身につける服は自分で選べますし、(僕はしないですが)メイクとかも自分で自分の好みに仕上げることができますが、髪型というのはほとんどの人が他力に頼る必要があります。

だから、例え大多数ではなくて一部の人にとってだけであっても、「この人の感覚なら任せられる」と思ってもらえるような美容師になりたいと思って美容学校に進みました。

美容師は、仕事中でも自分の好きな服を着て、好きな音楽を聴きながら仕事できますしね。

そもそもがそういう考え方なので、僕の作るヘアスタイルは、その人のファッションやスタイルの邪魔をするような類のものではないと思います。(かと言って確信的な自信はないです)

 

 

今のV:oltaには、お店をオープンした時では想像してなかったくらいいろんなタイプの方が通ってくださってて、それは予想外のことでもあるし本当にありがたいことで、いつも感謝の気持ちで一杯ですが、その中でも当店が一番守らないといけないと思っているのは、上に書いたような感覚を持った方々であることは今も代わりありません。

 

V:oltaがカルチャーを内包した美容室なのだということがある程度伝わるようになって(それはあくまで美容室というカテゴリの中ではという注釈付きで、自分なんかのやってることはOTHER MUSICとは比べものにならないくらいの素人レベルのものですが)、僕以上に(というかレベルが2段階は違うと思うような)カルチャーの各分野に精通したお客様も通ってくださるようになりました。意外とそういう方って特別な場所ではなく一般的なところに潜んでいるんだなと思います。

僕自身もそういったお客様から更に知識を増やしていただいています。これは僕の人生観を飛躍的に豊かに感じさせてくれるようなものになっています。いつも本当に感謝しております。

もっと勉強して、もっと知識を増やしたいです。

 

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なんかここ数日で店閉める人くらいの内容の濃さと文字数のブログを頻繁に書いてしまいましたが、まだまだV:oltaは今の場所で頑張りたいと思っていますし、オルタナティヴな美容室(爆)としての道を極めていきたいです。

 

ということで、また話が脇に逸れてしまってすみません。

音楽好き, オルタナティヴ・ロック好きの方は、ぜひ映画もチェックしてみてください!

 

 

昨日のお休みは、映画館をハシゴして、ギヨーム・ブラックの『みんなのヴァカンス』とシャンタル・アケルマンの『アンナの出会い』を観てきました。

 

 

 

黄色の無地のものは『みんなのヴァカンス』のパンフレットです。

 

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まずはシネマート心斎橋で鑑賞した『みんなのヴァカンス』から。

 

 

 

ヴァカンス映画と言えば、エリック・ロメールかジャック・ロジエの十八番ですが、現代においてはギヨーム・ブラックがいます。

今作も凄く良い映画でした。

 

いつも僕が紹介している映画は小難しそうでなかなか観ようという気になれない、という方もいらっしゃるかと思いますが、本作はシネフィル気質じゃない方でも十分楽しめる映画だと思います。

 

男3人の一夏のヴァカンス旅。

なんてことないストーリーですが、暖かくて涙が出てきそうになりました。

 

楽しいヴァカンスもいつか終わり、夏もいつか終わる。

休暇の前に想像してた程、順風満帆なヴァカンスではなかったかも知れないけど、それでも大切な人と過ごした時間や景色というものは歳月が経つほどに眩しく色鮮やかに心に残るものです。

 

最後の夜に皆でバーのカラオケで歌っていた、クリストフの“愛しのアリーヌ”が心に沁み入りました。

 

 

 

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そして、夜はシネヌーヴォへ。

 

 

この『アンナの出会い』で、今回のシャンタル・アケルマン映画祭の作品は無事全部観ることができました。

 

その結果、好きな監督のベスト5に入るくらいアケルマン作品に魅了されました。

 

本作もこれをラストに観て良かったと思えるような作品でした。

ヨーロッパの夜を彷徨い歩く孤独で無表情のアンナの姿は、どこか『たぶん悪魔が』の主人公, シャルルを連想しました。

そしてアケルマンは、いつもショットが退廃的で美しい。

 

こちらの作品は、ある程度映画慣れしている方のほうがオススメできます。

個人的にはアケルマン作品の商品化も強く願っております。

今回の5作品のボックスセットが出るなら、たとえ価格が10万であろうが(本音を言えばなんとか2万円くらいで)喜んで払います。

アケルマンは、それくらい魅力的な監督ですし、魅力的な至宝の作品群でした。

 

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ということで、また今週も仕事頑張ります!

Posted on 09.13.22

ゴダールが死去したとのニュースを見て、このブログを書こうと思いました。

 

というのも昨日休みで、たまたまゴダールの『フォーエヴァー・モーツァルト』を観たところだったので、余計に驚きがありました。

 

 

『フォーエヴァー・モーツァルト』と題しながら、冒頭に流れるベートーヴェン。

 

ありふれた日常と戦争が共存している矛盾に満ちたサラエボ内戦への痛烈な風刺。

 

そして、赤いドレスの海辺のシークェンス。

ゴダールの映画への情熱と愛情に溢れた、本当に素晴らしく美しいシーンでした。

 

ラスト、唐突に流れるモーツァルトも、いかにもゴダールらしかったです。

 

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ゴダールのことは最初『気狂いピエロ』で衝撃を受けて、その後数本観て「ちょっと苦手かも」と思った時期もありましたが、それでもその後も少しずつ観続けた今は「やっぱり面白いな」と思っています。

 

今年買ったゴダールのパンフレットに印象的な言葉がありました。

 

「私の中に残っていること、それはひとりの女優と仕事をし、映画を撮り、そして共に生きたことだ。上手くできなかったかもしれないけどね」

 

この最後の一節に、ゴダールという人物の魅力が溢れています。

 

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あなたが残してくれた映画の多くを、まだこれから観ることができる自分は幸せ者です。

 

フォーエヴァー・ゴダール!

R.I.P.

 

WANDA

2022.08.02.

Posted on 08.02.22

昨日のお休みは、またまた自転車に乗ってテアトル梅田へ向かい、バーバラ・ローデン監督の映画『WANDA』を観てきました。

 

 

 

本作は1970年に11万5千ドルという僅かな予算で制作された映画で、マーティン・スコセッシ監督設立のザ・フィルム・ファウンデーションと、イタリアのラグジュアリーブランド, GUCCIの支援を受けてフィルムが修復され、今回の上映に至りました。

 

ケリンググループ(旧グッチグループ)なんていつもロクなことしてないのに(失礼な言い方ですみません)、ちょっと見直しました。ちょっとだけですけど。

ソフィア・コッポラが意外にも本作の熱烈なファンらしく、そのへんとミケーレの繋がりでしょうか。

(ミケーレの感性からは『ワンダ』には行き着かないと思うので)

それならコッポラがナイスアシストです。

(コッポラの作風は本作とは全然違うと思いますが。。。)

 

前置きはこれくらいにして、本作はエリア・カザンの妻でもあったバーバラ・ローデン唯一の監督作品。

1959年にオハイオ州で起きた強盗事件がモチーフになっています。

 

支店長を誘拐して銀行の金を奪うつもりだったカップルの計画は失敗して男は射殺され、女も3週間後に逮捕される。

その女、アルマ・マローンは裁判で「生きていく理由なんてもう残ってないのに、それでも生きていきたかったんです」と語り、20年の懲役刑が言い渡されると裁判官に感謝の言葉を述べたと言います。

 

その様子が報じられた新聞記事を切り抜いて本作を構想したというローデンの感覚は、当時としてはかなり前衛的なものだったのだと思います。

ヒーローでもなく、アンチヒーローでもない女性の生き様がカタルシスなく描かれた本作は、どこかシャンタル・アケルマンの代表作『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』にも通ずる精神性がありました。

 

いかにもインディ映画という感じの16ミリフィルムのザラザラとした質感の映像も、とても好みでした。

 

ケリー・ライカート(『リバー・オブ・グラス』)が、どれだけローデンに影響を受けたのかが、本作を観てよくわかりました。

 

ラストの退廃的で虚無感漂うフリーズフレームも良かったです。

 

ローデン(48際の若さで既に亡くなっています)の言葉で、印象に残るものがいくつかあります。

 

「シンプルな物語を語ることは、アヴァンギャルドであることよりも難しい」

 

これは(目指す方向性にもよりますが)美容師としてヘアスタイルを作る時にも言えることです。

僕もV:oltaという看板(風が吹いたらすぐに飛んでいきそうなくらいのものでしかないのですが)を掲げて10年以上やってきましたが、まだスタイリストになりたての頃はシンプルな髪型よりもアヴァンギャルドな髪型を作る方が難しいと思っていました。

ですが、ある程度のレベルを身につけてくると、シンプルでも“語れる”ような髪型の方が当然難しいと思えてくる訳です。

 

これまで長年お店をやってきて、未だに確信的な気持ちなんて全然持ててないのですが、最近ひとつこうありたいと思うことは、美容室として文化を感じてもらえるようなお店を目指したいということです。

 

今回映画を観たテアトル梅田は、先日、9月30日をもっての閉館が発表されました。

また関西から文化がひとつ消えるのか、と哀しい気持ちになりました。

 

巷の美容室をみても(とは言っても同業にはあまり興味が湧かないのでほぼ見てないのですが)、今までそんな系統ではなかったお店まで、最近ではこぞって“韓国系ヘア”を打ち出しています。

V:oltaは、時代に媚びたことも、流行を追うようなこともやりたくありません。

(やろうとしても上手くできない不器用さもあるのですが…)

 

ですが、そういう不器用なお店や施設ほど、今の時代は淘汰されていきます。

 

本作『WANDA』のフィルムは、閉鎖前のハリウッド・フィルム&ビデオ・ラボの書庫から廃棄寸前のところを発見され救出されました。

 

その時代では注目されなくとも、そこに“文化”があるものの価値というのは永遠に朽ちることはありません。

 

特別な才能など全くない自分が、美容室を通じてどこまでそういうことができるかというと自信はありませんが、意地とプライドまでなくなったら本当におしまいなので、僕は僕の生きる道をゆっくりとでも脇道にそれることのないように歩いて行きたいです。

 

あ、当店は幸いにも規模も小さく、こんなお店でも支持してくださるお客様が(今のところは)たくさん来てくださってるので、自分が頑張り続ければ当面は何とか大丈夫そうです。

(またこんなことを書くと、ターゲットの範囲がより一層少なくなりそうで心配ですが。。)

 

いつもこういう類の映画を観に行くと若い世代の客はほぼいないのですが、本作は若い方もたくさん観にきてて、少し嬉しい気分になりました。

その内の何人かでも、V:oltaに来てほしいものです。

 

ということで、ご興味のある方は、ぜひ閉館前のテアトル梅田へ足を運んでみてください!

僕もテアトル梅田にはこれまでお世話になったので、閉館まであと何回行けるかわからないですが、なるべく映画を観に行こうと思います。

 

長々とお読みいただいて、ありがとうございました。