Songs for Drella
2023.01.24.
Posted on 01.24.23
昨日のお休みは阪急電車に乗って塚口まで出向き、塚口サンサン劇場で上映されている映画『Songs for Drella』を観てきました。
塚口サンサン劇場は今回初めて行ったのですが、ローカルな駅にあるにも関わらずスクリーンも大きく立派で、とても素敵な映画館でした。
劇場の名前も良いし。
僕もV:oltaの店名を“堀江サンサン美容室”に改名したくなりました。
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本作『Songs for Drella』は、1990年に発表された音楽,映像作品の4K修復版。
元The Velvet Undergroundの二人の天才, ルー・リードとジョン・ケイルによる、1968年の決別以来21年ぶりに共演した無観客ライヴの記録映画となっております。
そして、『Songs for Drella』の“Drella”とは、The Velvet Undergroundを見出したポップアート界の天才, アンディ・ウォーホルを指します。
ウォーホル周辺のいわゆる“スーパースター”だったブルックリン出身の俳優,オンデュースによって考案されたそのあだ名は、おそろしいドラキュラと魅惑的なシンデレラを掛け合わせたものでした。
僕は、京都で開催されているアンディ・ウォーホル展には例え京都に行く予定があったとしてもついでに寄ろうとは考えないですが、この映画を観るためなら塚口まで喜んで出向くタイプの人間です。
そんな人間はこの共感万歳の時代に向いていないのは火を見るよりも明らかです。
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The Velvet Undergroundは、ニューヨーク生まれでシラキュース大学で詩人,デルモア・シュワルツの教えを受けたルー・リードと、イギリスはウェールズ生まれでクラシックと現代音楽を学ぶためにニューヨークにやってきたジョン・ケイルを中心に結成されました。
バンド名の由来はマイケル・リー著のSMなど性的なサブカルチャーを題材にした同名のペーパーバックから引用されました。
バンドはニューヨークのライブシーンで静かにその名を響かせるようになっていきます。
その評判を耳にして視察に駆けつけたのが、現代アート界のスターであったアンディ・ウォーホルでした。
ウォーホルは彼らの特異な才能をすぐに察知して、自らバンドのプロデュースに名乗りを挙げ、デビューアルバムのアートワークまで手掛けました。
そして1967年にデビューアルバム『The Velvet Underground & Nico』が発売されます。
しかし、当時では前衛的なそのアルバムはあまり売れませんでした。
別の問題として、バンドメンバー達も世間からアンディ・ウォーホルの愛玩物のような目で見られがちなことに対しても次第に反発を覚え、ルー・リードはウォーホルに決別を告げました。
同時にウォーホルが抱き合わせたニコとも決別した後、彼らは傑作セカンドアルバム『White Light/White Heat』を完成させます。
しかし、このアルバムのレコーディング中からリードとケイルはバンドの方向性について度々衝突するようになり、それはやがて感情的な対立となってしまいました。
ジョン・ケイルはこのアルバムを最後にバンドを去りました。
バンドはその後もアルバムを2枚リリースしますが、結局商業的には大きな成功を得ることなく1971年に解散してしまいます。
しかし皮肉なことに、この頃からヨーロッパを中心にThe Velvet Undergroundの人気は高まっていくことになります。
1972年には、リード, ケイル, ニコの3人による貴重なコンサートが開かれ、二人は久々に共演しました。
しかし、それ以降の二人はまた長くすれ違いの人生を歩みます。
そんな状況を変えたのがアンディ・ウォーホルの死でした。
ウォーホルの追悼会で久々に再会した二人は、共通の知人である画家のジュリアン・シュナーベルの提案もあってウォーホルを偲ぶ本作『Songs for Drella』の制作に向けて再び一緒に仕事をすることになりました。
説明が長くなってしまいましたが、これでもだいぶ端折った感じの(説明が下手ですみません)この作品が制作されるまでの経緯です。
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映像では、リードとケイルの間にはまだなんとなく関係のぎこちなさがあるのだろうなという微妙な緊張感が伝わってくるようでした。
同名アルバムの曲たちを通じてウォーホルとの関係や思い出が語られ、そしてそれはラストの“Hello It’s Me”へと紡がれていきます。
年齢を重ねた二人の姿もカッコ良すぎました。
ジョン・ケイルの衣装なんて、カール・ドライヤーの映画に出てくる登場人物のようです。
上でも少し書きましたが、The Velvet Undergroundのデビューアルバムは当時あまり売れませんでした。
ですが、そのアルバムを買った人はみんなバンドを始めたという逸話が後に残るくらい、作品は先進性があるものでした。
僕は思うのですが、それは成熟した今の時代においても同じなのじゃないでしょうか。
今の承認欲求全盛の時代において、当店がバズってるようじゃ、やはり本当に格好良いことはできていないのだと思います。
(実際バズってもないですし、思うほど格好良いことが現状できているという自信もそんなに無いんですけどね)
でも、当店にご来店いただいているお客様の中には、その時代に生きていればThe Velvet Undergroundのアルバムを買ったであろうなと思うような感性の方がたくさんいらっしゃいます。
僕は、そういった方々に認めてもらえること,選んでいただけることの方が、世間で人気が出たり商業的に成功するよりも余程大事です。
当初から通ってくださっている顧客様なら知っているかと思いますが、こんな当店でも当初はバズってしまっていた時期があったんです。
それは、僕の感性が未熟だったり技術不足だったりしたことで、自分の理想よりもその完成形が下回っていたからだと思います。
でも、それくらいの方が世間ではウケが良いんです。
今の場所に移転する際、店内を少し敷居が高く感じるくらい特別なものにしてもらいました。
引き渡していただく時に、内装を作っていただいた業者さんに「魂込めて作ったんで大切に使ってください」と仰っていただいたのを今も覚えています。そう言っていただけて身が引き締まる思いでした。
(今でも自分の技術は、この素晴らしい内装にまだまだ相応しくないレベルのものだと思っていますが、それでも移転する前とは比べ物にならないくらいには自分自身の技術もレベルアップしてきてると感じている部分もあります)
去年、NHKで特集されていた安藤忠雄さんのドキュメンタリーで、安藤さんが「今の建築物には魂が入っていない」と口にしたのを聞いた時、「自分たちのお店の内装には魂が入っているんだ」と思えて誇らしくなりました。
もちろんその空間に魂を与え続けるのは、そこで働く人とそこを訪れる人の感性や感情が大切だとも思っています。
これは大した話じゃないんですけど、でもちょっと自慢にできることでもあるし、別に僕だけ喜んでおけばよいので特にここでも書かなかったことなんですが、当店の取引先の方で安藤忠雄さんとお話しする機会があったという方が教えてくれたエピソードです。
その会話中、仕事の話になって安藤さんに「どんなところを担当してるの?」と聞かれた時に幾つかピックアップしてくれたお店の中に当店を選んでくださったみたいなのですが、当店のページを見せた時に「ここええやん!」と当店を褒めてくださったらしいです。
巨匠に褒めていただいて、僕も嬉しいです。
でも、美容室の中では、わかってくださる方には評価していただけることをやっている(目指している)自負は持っているつもりです。
まだまだ日本人は欧米の人の感性や考え方と比べると未熟な部分があると思っています。
V:oltaは、美容室という形式を通じて、日本人の感性を少しでも豊かにするようなことができたら、という密かな思いを持っています。
その為には、自分が一番頑張らないと、ということも重々承知しているので、これからも必死に頑張っていきます!
もう最後の方はヴェルヴェッツもウォーホルも全く関係のない話になってしまってすみません。
最後まで読んでくださってありがとうございます!