イメージの本

2019.05.14.

Posted on 05.14.19

映画館で鑑賞してから感想を書こうと思ってましたが、忙しいG.W.があって先週は先週でアパレル関係など連休中に休めなかったお客様が結構いらしてくださって、今週はいよいよ本気モードでお店が暇になりそうです。お時間のある方は、絶賛いらしてください。

 

そんなこんなで感想書くこと忘れてて、今から3分前に「ハァッ!!!」となって書いてる次第であります。

 

今回観たのは、齢88歳を迎えるジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『イメージの本』

 

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ゴダールの映画は、前作の『さらば、愛の言葉よ』も映画館で鑑賞したのですが、その映画がとても面白かったのです。

面白かったと言ってもストーリーはほとんど理解できなかったのですが、当時は3Dメガネをかけて鑑賞する映画が増えてきた頃で、「アバター」が大ヒットしてどの監督もそれを追随するような3Dならではの迫力のある映画を作ってた時代に、ゴダールが初めて手がけた3D映画が『さらば、愛の言葉よ』でした。

ゴダールは3Dをとても芸術的に駆使していました。

それは迫力のある派手な映像ではなく、ベンチに座った女性の読んでいる本が風で捲られるページの描写だったり、木の葉っぱの間から差す木漏れ日の眩しさを演出する為に両目の焦点をわざとずらして目をチカチカさせたり。

これはやってくれたな、と思いました。内容はほぼ入ってこなかったですが。

 

という経緯があるので、今回も映画館で観ようと思ってました。

 

本作は、映像や音楽を巧みにコラージュし、現代の暴力、支配、不和などに満ちた世界に対する「怒り」をのせて、この世界が向かおうとする未来を示す5章からなる物語。

 

みたいな宣伝文句ですが、実際映画を観た感想は、そんな難しいことを考えてたら矢継ぎ早に変わる映像に思考回路が間に合わなくて途中で脳内エンスト起こしそう。逆にそういうことを何も考えなければひたすら眠たくなりそうな…

行くも地獄、帰るも地獄な映画。

 

そんな映画を(前のブログで書きましたが)朝6時起床で京都に向かい、レンタサイクルでKYOTOGRAPHIEを回りに廻った瀕死の状態で夜19時過ぎから観たのです。

もう逆に中学生の時に初めてブラックコーヒーを飲んだ後くらいに目がギンギンに冴えわたってました。

 

鑑賞人数は精鋭5人(全員他人、うち一人は目がギンギンに冴えわたったスーパーサイヤ人)。

その中で比べると、おそらくこんな僕でもキング・オブ・ポップに選出されそうなくらい、他の人たちからただならぬアンダーグラウンド性を感じました。

 

僕はこの映画のストーリーに関しては、開始2分くらいから理解するのを諦めて(というかストーリーとかで観る映画ではないのだなと理解して)、これはゴダールが手がけたテーマパークのアトラクションなのだと思って鑑賞してました。

芸術的エンターテイメントと、その映像から滲み出るゴダールの感情…

 

パンフレットにも載っていましたが、この映画にはかなりの映画が断片的に引用されています。

全部許可を取ったのでしょうか?

映画を観ながらそんな野暮なことを考えてたのは、鑑賞者5人中たぶん僕一人だったと思います。

(あとで調べたら全部無許可らしいです。そう来なくっちゃ。)

 

 

コラージュされた映像の数々は、その全容がもたらす意味とは裏腹に、とてつもなく美しいものでした。

ゴダールの生き様に敬服。