VOGUE ITALIA N.852

2021.09.16.

Posted on 09.16.21

イタリアンヴォーグの最新号が届きました。

 

 

 

トスカーナの美しいビーチに、色彩豊かな洋服のモデル達。

とても絵になる表紙です。

 

今号のテーマは“new beginnings”

コロナ以降の新たな時代への幕開けです。

 

ちなみに表紙は広げると3種類ありました。

 

 

隠れていた真ん中のは、顔がコラージュのアート作品みたいになっていて、右側のはボルタンスキーのパクリみたいになっています。

それぞれ、ファッション界の今後をイメージさせるようなポートフォリオです。

 

 

近年モードはアートと親和性を増してきています。

今から10年くらい前、どこか排他的な世界だったモード界はスポーツブランドに食指を伸ばしました。

幅広い層に人気のあるスポーツブランドとコラボすることでモードの知名度を広めたいという戦略が、そこにはありました。

そして更に、スポーツブランドからストリートブランドにも裾野を広げ、SNS時代の風にも乗り、モードは一気に開放されたものとなりました。

 

モード界(主にLVMHとケリング)をビジネス的に拡大させるという戦略が大成功を収めた現在、モード界が次の戦略として取り組もうとしている一つは、商業的に大きくなったことで以前に比べて少し大衆的になってきたブランドイメージを(売り上げを落とさずに)もう一度上昇させていくということです。

ファッションにおいてモードというものは一つの頂点でありますが、文化としてのヒエラルキーにおいてはファッションの上には芸術があります。

ファッションを芸術やアートと共鳴させることで、ファッション界からすればイメージが更に格調高いものとなり(プライス面においても)特別な価値を持たせることができますし、閉鎖的だったアート界においても(モード界がスポーツやストリートを利用したのと同様に)票田であるファッション層を購買層に取り込むことでアート界も裾野を広げることができます。

実際に近年、アート界の一般的な注目度も飛躍的に上がってきています。

ちょっと長くなりましたが、そんな感じのことを思わせるのが真ん中のポートフォリオです。

 

 

一番右は、とてもわかりやすいですね。

近年、どの企業においてもサステナブルは積極的に取り組んでいくべき時代になっていますし、そうすることが企業イメージの向上にも繋がります。

積み重ねられた古着と新品が混ざったような洋服の山は、服を捨てないで大切に着ようというメッセージや新品在庫の廃棄問題を表しているように思います。

 

惜しくも今年亡くなった、現代アーティストのクリスチャン・ボルタンスキーは、これの10倍くらい大きなサイズ感の古着の山を作って、その上からクレーンで服をつまみ上げては落とすということをやっていました。

上でもファッションとアートの間に存在する“目に見えないヒエラルキー”のことを書きましたが、このVOGUEの写真とボルタンスキーの作品においても、見るものにより深い意味をもたらしているのはボルタンスキーの方だと思います。

ファッションは芸術に比べると、どうしても表面的に寄ってしまうところがあります。

それの最たるところがインスタグラムなどのSNSだと思います。

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もうこの時点でだいぶ長くなってしまいましたが、もうちょっと書きます。

ですが、今回は表紙以外のポートフォリオは紹介せずに、VOGUEの広告を見て感じたことを少し書きます。

 

 

各国ヴォーグをはじめ、モード誌の広告は今号の9月号が最も数が多くなり、その結果雑誌も分厚くなります。

暖かい春夏よりも寒くなる秋冬の方が着る服にもボリュームが出るので、人々の服に遣う金額も春夏と秋冬では一般的には秋冬の方が多くなるから、その消費を自社に呼び込む為にどのブランドも一番広告をかけるわけです。

 

個人的に、最近映画をよく観るようになって、ファッションの世界も映画からインスピレーションを得ているものが多いことに気づきました。

ファッションはトレンドを扱うので、インスピレーションになっている映画にもトレンドが反映されます。

 

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わかりやすいところで、これは『地獄の黙字録』

 

 

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こちらもモロにJ.L.ゴダール

 

 

 

これらは知ってる方も多いかと思いますが、どちらも映画界でも評価の高い作品&監督です。

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こちらもヌーヴェルヴァーグな空気感です。

 

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このロレアルの広告もシネマティックな雰囲気がありました。

 

どの監督の作品がインスピレーションになっているのかはわからないですが。

(ケリー・ライヒャルトとフランソワ・オゾンの間くらい?)

 

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これらがインスピレーションを受けてそうな映画に共通するのは、シネフィル(映画通)が関心を持ってそうな作品で、なおかつ芸術性がありオシャレっぽいということです。

 

ここで重要なのは、コアなシネフィルがガチでフェイバリットに挙げているような作品だとファッション界においては“ウケにくい”ということです。

ファッション界でクリエイティヴ面を任されるような人物は映画や音楽などのカルチャーにおいて逆にコア過ぎる人はそう多くないのではないかと思います。(特に日本においては)

そういう面においてもエディ・スリマン(最先端のロックにも常に精通していながら、過去のニッチな音楽カルチャーも掘り下げている)は凄いと思います。

 

 

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V:oltaに高校生の時くらいから通ってくださってるお客様で、今は東京でモード誌やブランドの広告などを手掛けているカメラマンの元で修行を積んでいる方がいるのですが、いよいよ独立するということで今のうちにということもあって、コロナ以降で久々に大阪に帰って来て先日カットしにきてくれました。

 

そのお客様が従事していた師匠もおそらく日本のファッション界の中心にいるファッションカメラマンの一人だと思うのですが(お店に置いてあった今月の某有名モード誌の表紙を見て、これも師匠が撮ったものだと教えてくれました)、彼自身も若い頃から類稀な感性を持っていると思っていました。

 

僕なんかは(俗に言うシネフィル系の)映画を本格的に観だしたのは本当に最近のことなのですが、彼は大学の頃は単館系の映画館でアルバイトをしてたくらいで(僕が映画に弱かったので、あまり映画の話はした記憶がないのですが)、今回はようやく映画の話ができると楽しみにしてて、ジャン・ユスターシュの話になった時に彼がユスターシュは一番好きな映画監督で、バイトしてる時に『ママと娼婦』のリバイバル上映に合わせて来日したベルナデット・ラフォンの劇場トークショーのインタビュアーをしたことがある(他のスタッフも彼がユスターシュのファンだから任せてくれたらしいです)と教えてくれました。

 

ユスターシュが一番(もしくはかなり)好きな映画監督だと心から思っているような人が日本のファッション業界の中心にどれくらいいるでしょうか?

おそらく、ほとんどいないのではないかと思います。

(それなのに彼は自分にはバックボーンが足りないと悩んでいる様子でした)

 

彼にはいずれ日本の(とりあえずは)ファッションカメラマンのトップの一人になってほしいと思っています。

 

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マス層が海面だとすれば、ファッションは少し潜った海面に近いところくらいがインスタ受けするようなオシャレで、モードは更に深く潜ったところに位置するくらいだと思っています。

そこから下の深海はファッションでは光が当たらないところですが、カルチャーにおいてはそこが一番興味深くて面白いところだったりします。

 

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余談に次ぐ余談で、最後まで読んでくださった方には感謝の気持ちしかないですが、個人的にはファッションやカルチャーを現状の知識ではそんな感じで捉えています。

 

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最後に、やっぱり誌面のポートフォリオも一枚だけご紹介いたします。

 

 

バレンシアガが53年ぶりに発表したオートクチュールを用いた写真です。

なんだかんだ言って、モードはカッコイイですし、長年魅了されています。

 

僕も(独立した頃には知らなかった)ユスターシュやブレッソンがファッション以上に好きになりましたが、V:oltaのコンセプトがモードだという点はこれからも変わらないと思います。

もっとカルチャーを吸収して、ヘアデザインとしてのモードの質をもっと向上させたいです。

 

本誌はお店に置いてますので、ご興味のある方はぜひご覧くださいませ!