3月28日に亡くなった坂本龍一さんが最晩年に語った自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

 

 

 

僕は、連載されていた新潮を毎月買って既に読んでいましたが、坂本さんへのお香典代わりの気持ちとして購入させていただきました。

 

本書のタイトルにもなっている「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」という言葉は、坂本さんが音楽を手掛けた映画『シェルタリング・スカイ』の最後で、同作品の原作者であるポール・ボウルズが語る言葉から引用されています。

 

坂本さん自身も『シェルタリング・スカイ』を手掛けていた頃は脂の乗り切った年頃で、まだそんなことを現実的に考える時期ではなかったと思いますが、大病を患い、自身の死期が迫っていることを自覚したことで、この言葉を改めて思い返したところがあったのだと思います。

 

本書には、新潮の連載では掲載されていなかった、口述筆記の聞き手を務めた鈴木正文氏による“あとがき”がありました。

それを読むと最晩年の坂本さんは、病床で本を読んだり映画を観たりということを積極的にされていたそうです。

そして、教授自身が選曲した『Funeral (葬儀)』と題した、自身の葬儀で流す為のプレイリストを作成し、その曲目や曲順を何度も入れ替えたりしていたそうです。

 

 

僕は5年くらい前に、イサム・ノグチ庭園美術館というところを訪れたのですが、そこには土の庭一面にノグチさんの遺した彫刻作品がたくさん並んでいました。

それらは、ノグチさんがその庭で遊ぶ近所の子供たちのことを頭に浮かべて配置したそうで、晩年はその庭に並べた作品の配置をどうするかということを主に考えておられたそうです。

 

 

坂本さんが亡くなる直前までプレイリストを悩まれている姿を想像して、この美術館のことを連想しました。

イサム・ノグチ庭園美術館は、個人的に国内で一番好きな美術館です。

 

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坂本龍一さんの音楽(戦場のメリクリ以外)や、イサム・ノグチさんの美術館に対して強い興味を持っているというような方は、今の日本の若い世代の人達に限定すると(残念ながら)100人の中に1人いるかどうかというくらい少ないのではないかと思っています。(実際はもっともっと少ない割合かも知れません)

 

最近、李禹煥さんの版画を一枚手に入れたのですが、それは白い和紙の真ん中にチョンと黒い点をひとつ描いただけの作品なんです。

(それを李禹煥という人物が手掛けているからいいわけです。そして一見簡単そうに見えるもので違いを生み出すことの方が、より一層洗練された技術が必要となります)

 

そんな一見誰にでも描けそうな作品を何十万も出して買いました。

自分の旦那さんや彼氏が同じことをしたら発狂するくらい怒るという方もたくさんいらっしゃると思いますが、僕なら自分の奥さんがブランドのロゴ丸出しの映え系大ヒットバッグなんて持ってようものならそれこそ発狂するくらい酷評すると思いますし、人の価値観というのは本当に千差万別です。

 

僕にとってその版画は、今の自分の所有物の中で一番の宝物です。

 

 

そういう偏屈な自分が経営している美容室というのも、自分の好みを出せば出すほど今の大多数の人の興味の中心からは外れていってしまうものだと思っています。

ですが、一般的には分かりにくい感覚のものを表現すればするほどに、それに共感して選んでくださる人の存在というのは本当に力になるものです。

別段何も秀でているものを持たない自分にとって、一番誇れるものは当店のお客様です。

改めて感謝の気持ちを表したいと思います。

こんなに自分の趣味を出してお店作りができているのも、当店を選んで通ってくださる皆さんのおかげです。

いつも本当にありがとうございます。

 

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僕も坂本さんのように、老後は好きなだけ映画を観て音楽を聴いて,本を読んで過ごすことを楽しみに(既にその時に備えて山ほどストック中)、今はサボらず(チャンスがあればサボってます)一生懸命に仕事を頑張ろうという気持ちです。

その時代も、平和で穏やかな日本であることを切に願っています。

 

そして、いざその時が近づけば、僕も坂本さんを見習って(僕の場合、誰に聴かせるわけでもない)僕のFuneral Playlistの作成を一人愉しみたいと思います。

 

皆さんも一度しかない人生を、存分に楽しんで生きてください!

flower picture

2023.05.24.

Posted on 05.24.23

ロシアの映画監督, アンドレイ・タルコフスキー自身が撮影したポラロイド写真のポスターを手に入れたのですが、自分にとって特にお気に入りの写真なので今回は額縁をオーダーして作ってもらいました。

 

 

 

KAWACHIのフレーマー, 岡崎さんは、こちらの意図を瞬時に汲み取ってくれて、写真にマッチした素晴らしい額縁をご提案くださりました。

 

これぞプロの仕事だと感心いたしましたし、自分も美容師として同じような仕事がしたいと改めて思いました。

 

 

ポスターは5000円もしなかったですが、自分が希望した額縁の金額は3万円以上になりました。

(ポスターは2種類手に入れたので、額縁も2つ注文したので、フレームだけで6万円以上費やしました)

 

 

メインのポスターより何倍も高い額縁を選ぶような感覚は、昔の自分なら(金銭的な面でも)持ち合わせていなかったと思いますが、今なら大切な写真やポスターほどその額縁をこだわることで所有者の大切な思いを込めるのは至極当然のことだと感じます。

 

ちなみにこの掲載している写真の方は、特にお気に入りの方なので、当面は自宅で飾ろうと考えています。

 

お店に飾るもうひとつの方もとても素敵な写真と額縁なので、ご来店時にぜひご覧になってみてください!

EO

2023.05.10.

Posted on 05.10.23

先日のお休みはシネリーブル梅田で、ポーランドの鬼才, イエジー・スコリモフスキ監督の最新作『EO』を観てきました。

 

 

 

本作の主人公は一匹のロバ。

 

 

 

そう、ロベール・ブレッソン作品の名作『バルタザールどこへ行く』をオマージュした作品となっております。

 

 

 

サーカス団の一員として生活していたロバのEO(イーオー)ですが、ある時サーカス団から連れ出されてしまいます。

そのEOの予期せぬ放浪旅を通じて、人間たちの本性やその愚かさを映し出します。

 

 

僕はブレッソンの『バルタザール』が衝撃的な作品でとても印象に残ってるということもあって、同じくロバを主人公にした本作の公開を楽しみにしていました。

 

作品は現代版『バルタザール』という感じでしたが、極限まで削ぎ落とした構成でじっとりと湿ったような人間模様を描き出す本家ブレッソン作とは別物の映画でした。

 

でも、映像や音楽はさすがスコリモフスキという感じでした。

ちょうどシネリーブル梅田がodessaを搭載したスクリーンで上映してくれていたので、映像と音響を存分に楽しむことができました。

 

 

 

本作は、ロバよりも後半で登場したイザベル・ユペールの方が圧倒的な存在感を感じましたが、そういう作りにしているのも監督の意図なのでしょう。

 

本作が『バルタザール』と同様の作品と言われるとかなり違和感を感じてしまいますが、こちらはこちらで面白かったです。

 

ご興味のある方は、ぜひ映画館に足を運んでみてください!

Posted on 04.07.23

歯科医をされているお客様から、素敵なポストカードを送っていただきました。

 

 

 

この絵はお客様自身が描かれたものをポストカードに印刷したものです。

趣味で絵を描いているというのは以前から聞いていましたが、どれも本当に素敵な絵だなと思いました。

 

「出来上がったらまた見てください」とおっしゃってくださっていましたが、わざわざ送ってくださるなんて。

 

このポストカードは、クリニックの検診案内を送る時とかに使う為に作られたらしいです。

益々デジタル化が進んでいる現在、こんなに素敵なポストカードで検診の案内が来たら、どれほど嬉しい気持ちになるでしょうか。

 

僕も送っていただいた封筒を開けて絵を見た瞬間は、自然と顔が微笑んでいたと思います。

 

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僕も芸術や絵画が好きなので、こちらのお客様とは最近観に行った美術館のお話とかを普段からよくさせていただくのですが、僕が「色々な作品を見て感じたりすることで、自分の技術にも何か良い影響が出てくれればいいなって思ってるんです」と言った時に「それは絶対に出ると思いますよ」と力強く返していただいたお言葉がとても嬉しくて、心に残っています。

 

 

僕には、このお客様みたいに上手に絵を描ける才能は無かったのだと思います。

(もちろんお客様は才能だけでなく絵を描くことを続けてきたことで洗練されたのだと思いますので、そのプロセスを踏んでいない自分にもまだ可能性は残されているのかも知れないですが)

他にも、これだけ音楽が好きなのに歌が音痴だったり、リズム感も大して無かったりと、僕は割と自分の好きなものと得意とするものが違って出てしまったタイプかも知れません。

でも、だからと言って他人を羨ましく思うこともないですし、そんなことを考えるよりも自分に与えられたカードをどう上手く使おうかということを考えてきました。

そして、自分の努力次第で手持ちのカード一枚一枚のレベルを上げることも可能です。

 

僕自身は、自分の髪の毛の朝のセットとかでもものの5秒で済ませるし、美容師が天職だなんて思ったことも今まで一度もありません。

それでも美容師として自分なんかには分不相応なくらいの多くのお客様方にご支持をいただいてここまでやってこれたのは、仕事を自分好みに楽しめるように工夫しつつも元々大したことない腕でも少しずつ磨いてきたからだと思います。

 

その日常に感謝して、これからも少しでもお客様の為になれるよう切磋琢磨していきたいです。

いつもありがとうございます!

Posted on 03.26.23

東京都美術館のエゴン・シーレ展を十分堪能した後、東京駅に戻り午後からはアーティゾン美術館で開催中の『DUMB TYPE 2022: remap』に行きました。

(もう今回で完結編なので最後までクドイくらいに言っておきますが、タイトルの東京物語は小津安二郎監督の名作映画から引用させていただいております)

 

 

 

本展覧会は、第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(主催:国際交流基金)の日本館展示に選出されたインスタレーション作品の帰国展となっています。

 

ダムタイプは、京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたアーティストグループ。

特徴的なのは、固定メンバーを持たずリーダーを擁立しないというスタンスで、今作では、坂本龍一さんが新たなメンバーとして参加しています。

 

僕がダムタイプ展にも行くとお客様にお話ししていたら、恩師が今回のインスタレーションに参加されているというお客様もいて、何か少しだけ本展覧会に親近感が湧いて嬉しい気持ちになりました。

 

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作品は、とても素晴らしいインスタレーションと音響でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は、本作で坂本龍一さんが手掛けた『Playback 』の17枚のレコードで構成されたアートボックスが発売されると知ってぜひ欲しいと思ったのですが、お値段が何と税込30万円(!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)もしたので一度は潔く諦めたのですが、実際インスタレーションを体感してとても良かったので、展覧会を観終えた頃に半ばヤケ気味に買う決心をして移動中ネットで調べたら100セット限定のそのボックスは既に売り切れていました。。

なぜかガッカリ感よりも安堵感に包まれました。

 

 

それから何日かが経過してこのブログを書いている今は、「やっぱり無理してでも買いたかった」と懲りずに思ってしまっています。

たまに一般的な感覚をお持ちの方からすればクレイジーに思われることもあるのは自覚しておりますので、温かい目で見てください。

 

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展覧会を観終えた後は、Dover Street MarketとGINZA SIXに少しだけ寄って(これももう一度言っておきますがGINZA SIXは心斎橋のおもんなパルコ以上にマジで全く何も面白くなかったです)、銀座三越や東京大丸で家族とスタッフの機嫌を取る為に美味しそうなお土産をしこたま買って、夕方には新幹線に乗って帰路につきました。

 

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という感じのとても充実した東京旅でした。

また趣味が合う方にはお土産話をさせていただきます。

お客様の中には神戸の方のBjörkのコンサートに行かれるとおっしゃられてた方も結構たくさんいらっしゃったので、お客様の感想を聞くのを僕も楽しみにしております!

 

4編に分けて長々とブログを書かせていただきましたが、最後までお読みくださりありがとうございました!

Posted on 03.25.23

東京2日目の朝は、ビョークのライブアルバムを流して前日のコンサートの余韻に浸りながら身支度を整えました。

(毎回オウムのように繰り返しますが、タイトルは小津安二郎監督の名作映画から引用させております)

 

 

2日目の日程もゆっくりしている暇はなく、朝の9:30前には上野に着けるように行動しました。

もちろん桜を見に行く為ではなく、東京都美術館で開催中の『エゴン・シーレ展』を鑑賞する為です。

 

 

この展覧会は、たとえビョークのコンサートなど,他の目的がなくとも会期中には絶対来たいと思っていました。

それくらい、エゴン・シーレが好きです。

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でも、やっぱり桜は綺麗だったし僕にも人間の血が流れているので、道中の上野公園で桜の写真も一枚撮りました。

 

 

立派な徳川家の家紋の両サイドに超魅力的な文言が書いてあったのが無意識で気になっていたのでしょう、気付いたら上野東照宮の文字までバッチリ入るくらいの構図で撮影してしまっていました。

 

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エゴン・シーレ展に戻ります。

作品の写真を撮っていいエリアが少しだけあったので、ここで一枚ご紹介させていただきます。

 

 

『吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)』

 

風に吹きさらせれる枯れ木が、灰色の空で覆われたカンヴァスに広がっています。

白く塗られた幹は背景に溶け込み、ほとんど抽象的な線と化して画中に伸びる神経質そうな枝の孤独感がいっそう際立っています。

この景色を実際に目で見た時のシーレの内面の感情や精神性というものが強烈に表現されています。

これを“表現主義”と呼びます。

 

シーレは、表現主義の画家として有名ですが、晩年(と言っても28歳の若さで生涯を閉じています)では写実的な作風へと変化していきました。

 

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会場にあったシーレの詩もひとつご紹介いたします。

 

 

後半の部分は、知り合ったばかりの友達の家に初めて行った時にこの発言をされたら何か変な勧誘を受けそうで不安になりそうなものですが、冒頭の2文には感銘を受けました。

 

大人になって、スウェーデンの巨匠, イングマール・ベルイマン監督の作品なども観るようになって、宗教や芸術に対してももっと知識を増やして深く理解できるようになりたいと思うようになりました。

 

まだ20歳とかの頃だったらファッションに夢中だったので、東京に来たら気になるセレクトショップや古着屋に行くことばかり考えていましたが、今はファッションよりも断然芸術鑑賞などに時間を割きたいと思うように考えが変化しました。

(でもDover Street MarketとGINZA SIXには行きました。GINZA SIXは初めて行きましたがマジで何も面白くなかったです)

 

 

エゴン・シーレ展の物販では、Björkの物販よりも遥かに散財しました。(複製版画を注文したのです)

服も好きなので未だにちょくちょく買いますが、最近は自分の買える範囲でアート作品なども収集したいと思うようになりました。

(それらの中には、お客様にも見ていただきたいとお店に設置しているものも多いので、どんどんお店の待合付近がゴチャゴチャしてきています… でも、止められない止まらない。。 )

本物はそんなにしょっちゅう買えないですが、リトグラフやドライポイントなどであればまだ頑張ったら手が出せるものもあるので、これからも少しずつ自分が好きな作家の作品を増やしていければと思っています。

 

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図録は朝日新聞のサイトで注文できたので、事前に購入しておきました。

 

 

シーレ展に行く頃には、リュックの中身がヒッチハイクで日本横断にチャレンジしている人くらいの重厚感になってきていたので、事前に買っておいて心底良かったと思いました。

 

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ラストの完結編は、まだ後日書きます。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました!

Posted on 03.23.23

昨日のブログ,東京物語(小田原編)の続編です。

再度書いておきますが、タイトルの『東京物語』は小津安二郎監督の名作から引用させていただいております。

 

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江の浦測候所の見学を終えて、小田原から新幹線で東京に到着した後、ホテルでチェックインを済ませた頃には夕方を迎えようとしていました。

1日目の2つ目の予定は、(勘の良い方ならタイトルでお気づきになられた方もいらっしゃるかも知れないですが)この旅での、というか大袈裟にいうと僕の人生においてもメインイベント、björkのコンサートを観ることです。

 

 

今回のbjörkのジャパンツアーは、最新型のcornucopiaと古典的なorchestralという2つのバージョンに分かれています。

オールドファンの僕は、どちらかひとつ選ぶなら即決で古典的なorchestralの方を選びました。

大阪でも同様の公演が今週ありますが、仕事に影響が出ない日程が東京だったので、僕は東京公演に行くことにしました。

 

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ここで前回のブログを読んでくださった方の中には「ビョークのコンサートがあるなら、カリ・マローンとか聴いてるんじゃなくてビョーク予習しとけよ」とお思いになられる方もいらっしゃるかと思いますが、ビョークの場合はむしろ直前まで聴かない方が良い気がしたんです。

(観に行くのがリバティーンズやストロークスなら、直前までガンガン聴いていたかも知れません)

 

 

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当店の店名“V:olta”は、björkのアルバムタイトルから引用させてもらいました。

『volta』は、僕が独立する一年前に発表された当時の最新アルバムでした。

 

 

björkは高校生の時に初めて聴いて、そこからずっと彼女のファンですが、実際に観ることができたのは今回が初めてでした。

舞台には32人のオーケストラとビョークのみ。

セットリストは『Post』や『Homogenic』など初期の頃の作品からのものが多かったです。

 

 

 

時間にして1時間強ほどの比較的短いステージでしたが、ストリングスとビョークの肉声のみでのコンサートは、あまりにも優雅であまりにも贅沢な時間でした。

 

“Hunter”くらいから当時高校生の頃に聴いてた時のことを思い出してきて、“Jóga”では感極まり過ぎて目から涙が溢れました。

コンサートで泣いたのは初めての経験でした。

 

 

 

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僕は、淡路島の田舎育ちでした。

僕が実家で暮らしていた当時は、インターネットもスマホもなく、それどころか本屋だって町にひとつくらしかない程にのどかな田舎では海外のカルチャーなんてものはほとんど存在していませんでした。

父は家族で出かける車中ではボブ・ディランやニール・ヤングをかけ、小学生の僕にサルバドール・ダリの画集を買ってくれましたが、まだその頃は僕自身ごく普通の田舎の少年だったと思います。

 

僕が自分自身で海外のカルチャーに興味を持ったのは、ヴィヴィアン・ウエストウッドやセックス・ピストルズなどのパンクがきっかけだったと思います。

高校は一応田舎では進学校に進みましたが、高校時代はさらにファッションや音楽などのカルチャーに夢中になりました。

 

毎月、一生懸命アルバイトして稼いだバイト代の入った茶封筒をそのまま持って、月に一度田舎から神戸や大阪へ買い物に出かけるのが何よりも楽しみでした。

コム・デ・ギャルソンやY’sなどのドメスティックブランドから、ジャン・ポール・ゴルチエやドリス・ヴァン・ノッテンなどインポートのデザイナーズ系など、今以上に着こなせていない当時の自分にはまるで身の丈に合っていない買い物ばかりしていましたが、給料袋と財布の中身がすっからかんになる代わりに両手に持ちきれないほどの洋服の入ったたくさんの紙袋を手に、タワレコなどで買った大量のCDをバッグに詰め込んで田舎へと帰る帰路は、毎回何とも言えない高揚感と満足感に包まれていました。

だいたい毎月お給料を貰った週の土曜日に買い物に出かけ、日曜日は前日に買ったCDを聴きながら、こちらも前日に買ったばかりの服を部屋で改めて試着してみたりして過ごす時間がとても幸せで楽しかった記憶があります。

 

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その当時、CDが擦り切れるほど聴いた作品が2枚あります。

レディオヘッドの『OK コンピューター』と、ビョークの『ホモジェニック』です。

 

 

それから音楽の趣味はシューゲイザーやポストパンクなど~さらにディープな世界へと掘り進んでいき、今ではこの2枚以上に好きなアルバムもたくさんあるのですが、やはり自分の青春をリアルタイムで彩った音楽というものには特別な思い入れがあります。

 

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大阪には美容学校で出てきて、今では田舎の実家で過ごした時間より大阪に住んでいる時間の方が長くなってしまいました。

美容師として社会に出てからも歳月は流れ、20代後半で独立して自分のお店を持つ時がきました。

 

その時、トム・ヨークのような考察力とビョークのようなアート性を持つヘアサロンにしたいと思いました。

そして、店名はビョークのアルバムから取って“v:olta”とすることに決めました。

“v”のあとの“:”は、björkについているoの上の“:”の意味でもあります。

 

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自分自身は独立してから、スタッフにも支えられながら初心のコンセプトを忘れずに一生懸命、何とかここまで続けてくることができました。

まだまだビョークの作品タイトルを名付けさせていただいているお店としては役不足感は半端ないですが、それでも当時の高校生の自分から思うと、今現在の僕自身の日常は望外なくらい幸せなものであるのは間違いないです。

 

ビョークの素晴らしい歌声を聴きながら、そんなことに思い馳せていました。

この日の夜のことは多分、一生忘れないと思います。

 

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会場ではリトグラフやTシャツなどのグッズもしっかりゲットできて、トートバッグはその日から大活躍してくれています。

 

これからbjörkのコンサートに行かれるという方は、ぜひ楽しんでください!

アリガト、björk!!!

 

 

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東京旅の2日目のことは『美術館編』でまた後日書きます。

 

 

Posted on 03.22.23

先日の連休を利用して、(当然ながら)一人で東京へ行ってきました。

ちなみにブログタイトルの東京物語は、小津安二郎監督の名作映画から引用させていただいております。

 

限られた休日の2日間を有効に使った今回の旅のプログラムは、事前に綿密に計画した4本立て。(後ほど順番にご紹介いたします)

 

 

まず1日目の午前は小田原で途中下車して杉本博司さんが設計した江の浦測候所を見学する予定にしてたのですが、極度の心配性から自分が虚弱体質であると信じ込んでしまっている僕は少しでも当日の体調を万全にする為に、日曜日の仕事終わりに小田原まで新幹線で移動して前泊することでしっかりと睡眠を取って当日を迎えられるようにしました。

 

ということで、日曜日は夜の予約を少し早めに設定させていただいて、東京へ向かう最終便のひかり号に乗り込んだのですが、もうひとつ、この旅のルール(であり楽しみ)みたいなものを自分で設定していました。

それは何かというと、Kali Maloneの延べ5時間にも及ぶ超絶ドローン作『Does Spring Hide Its Joy 』を旅の移動中再生させ続けた結果何曲目まで聴くことができるかという、小学生の自由課題でももっとマシなことをテーマにするのではないかと思うほどのしょうもない検証。

水曜日のダウンタウン風に言うと「カリ・マローンの最新ドローン・アルバム、大阪から東京への2泊2日の旅の移動時間及び空き時間くらいでは最後まで聴けない説」

 

 

日曜日の仕事を終えた僕は一旦、家に帰って支度を整えて、家族に「行ってきます」と言ってエレベーターに乗り込んだ瞬間に『Does Spring Hide Its Joy 』を再生させました。

 

ですが、すぐに思いがけない問題が発生してしまいました。

元来インドア派で自分の部屋が大好きな僕は、地下鉄で梅田を過ぎたあたりで既に「このままKali Maloneを聴き続けたら家に帰りたい気持ちになってしまう。まして新幹線になんて絶対に乗れない」とくらい心境が追い込まてきてしまってたので、「これはマズい、パトリシア・マズィ(ただのオヤジギャグです)」と思ってThe Libertinesの2002年発表のデビューアルバム『Up The Bracket』をガンガンでかけました。

 

 

なぜ今リバティーンズかと言うと、少し前にThe Strokesのシングル集が発表されたことで久々に『Is This It』を聴きたくなって、その流れてリバティーンズの1stも久々に聴いてたところだったんです。

どちらも今聴いても良いアルバムです。

 

 

そして、新幹線に乗り込んでからはイタリアの巨匠,フェデリコ・フェリーニの名作『甘い生活』(こちらも3時間あります)を観ていました。

 

もう音楽でもないし当初のルールは何だったのかというくらい滅茶苦茶です。

 

映画はスマホの画面なんかで観てしまったことを後悔するくらい、とても素晴らしい作品でした。

今度観る時はBlu-rayを購入して、大画面でゆっくりと観たいです。

小田原に到着した頃には既に深夜だったので、ホテルの部屋に入ると明日に備えてすぐに寝ました。

 

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前置きがかなり長くなってしまいましたが、まず最初の目的地は『江の浦測候所』です。

 

 

【明月門】

鎌倉にある臨済宗建長寺派の明月院の正門として室町時代に建てられた。

 

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【夏至光遥拝100メートルギャラリー】

この100mの廊下の端まで光が差し込むのは、1年のうち夏至の一日のみ。

 

 

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【光学硝子舞台と古代ローマ円形劇場写し観客席】

冬至の軸線に沿って、檜の懸造りの上に光学硝子が敷き詰められた舞台。

 

高所恐怖症なので、この写真を撮るまでにその場で行動開始から撮影までに体感10分くらいかかりました。

 

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【石造五重塔】

高麗-李朝初期(14世紀)の石造。

僕も並の日本人なので、桜と共に引きで撮ってしまいました。。(その後アップも撮りました)

 

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【冬至光遥拝隧道】

冬至の朝、相良湾から昇る陽光は70メートルの隧道を貫き、対面して置かれた巨石を照らす。

見学した時、ちょうど隧道の先から光が差し込み、仏様の後光のように美しく眩しく感じました。

 

対面の巨石。

 

 

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【隠れキリシタン地蔵像】

三方には地蔵が彫られているが、背面には十字架が刻まれている。

 

 

おそらく背面を隠して信仰されていたものと考えられる。

 

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見どころはこの他にもあと10倍くらいありましたが、さすがに長くなり過ぎるので江の浦測候所の紹介はこれくらいで終わりにします。

ご興味の沸いた方は、ぜひ実際訪れてみてください!

 

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江の浦測候所を離れる最後に、杉本博司さんの『海景』シリーズをオマージュした江の浦の海面の写真を一枚撮りました。

 

 

少ししか滞在できなかったですが、日本の原風景も残る江の浦の雰囲気はとても魅力的なものでした。

だいぶ先になるかも知れないですが、いつかまた来たいと思いました。

 

江の浦で精神面が整った僕は、初心に帰ってKali Maloneの『Does Spring Hide Its Joy 』を聴きながら東京へと向かう新幹線に乗り込みました。

 

ちなみに、杉本博司さんが書き下ろした江の浦測候所についての“奇譚”、『江之浦奇譚』は事前にAmazonとかで買って予習して行こうか悩んで結局買わなかったのですが、現地で杉本さんのサイン入りバージョンがありました。(金額は同じでした)

 

これから行かれる方、本の購入を検討されていた方は、どうぞご参考に検討してみてください。

 

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続きの東京編はまた後日書きたいと思います。

Posted on 03.08.23

先日のお休みはシネヌーヴォでクレール・ドゥニ監督の1994年の作品『パリ、18区、夜。』を観てきました。

 

 

 

ドゥニの昔の作品を観れる機会はあまりないので、今回のチャンスは絶対に逃すものかと思っておりました。

ちょうど僕が休みの月曜日に上映があってラッキーでした。

 

クレール・ドゥニは、ジャック・リヴェットやヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュなどの元で助監督としてキャリアを積みました。

 

ジャック・リヴェットの創り出す世界観も非常に独特で美しいものですが、今作のドゥニの作風はどちらかというとヴェンダースやジャームッシュからの影響が色濃く出ている作品だと感じました。

 

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本作の舞台となるパリ18区は芸術の街として有名です。

一方で、移民が多く住む町という一面もあります。

ストーリーは、実際にあった老女連続殺人事件を中心に、パリ18区移民の街の生々しい事情と暮らしを描く群像劇。

 

前半はうっとりするくらい色鮮やかでバチっと決まったフレームワーク、そして物事が暗転していく後半ではカメラも薄暗い色調へと陰を落としていきます。

 

音楽も良かったです。

ファッションや音楽にも詳しい人の撮る映画は、映し出すショットにもその感性が如実に現れています。

 

特に主演のカテリーナ・ゴルベワが素晴らしかったです。

 

 

 

僕もジム・ジャームッシュやクレール・ドゥニの撮る映像のように、魅力的なカルチャーの要素をヘアスタイルにおいてもっと表現できるように、腕を磨いていきたいです。

 

 

今作も上映されている、特集『フランス映画の女性パイオニアたち』は京都の出町座でも開催されていますので、ご興味のある方はぜひそちらにも足を運んでみてください!

PRODISM -sacai-

2023.03.08.

Posted on 03.08.23

そこまで強い興味もないのに、PRODISMのsacai特集号を買ってみました。

 

 

 

sacaiデザイナーの阿部千登勢さんは、ブランド立ち上げ前はCOMME des GARCONSでパタンナー/ニットウェアの企画を担当していた経歴を持っています。

 

sacaiは、当初は面白いニットを作るブランドという印象がありました。

ブランドの成長と共に手掛ける洋服の種類を増やし、今ではパリコレのsacaiのランウェイには世界中のバイヤーが集まる人気ブランドへと駆け上がりました。

 

阿部千登勢さんの旦那さんは、こちらもkolorを手掛けるファッションデザイナー, 阿部潤一さんです。

もともとはPPCMというブランドで業界からも注目されていました。

 

sacaiの洋服は、トレンドを捉えたセンスの良さの中に実験的でニッチな要素が入っています。

そのニッチさはもともと阿部千登勢さんが持ってた部分もあると思いますが、旦那さんである阿部潤一さんからの影響も少なからずあるのではないかなと感じています。

 

現代のモード界では、少し前にValentinoを復興させたピエールパオロ・ピッチョーリとマリア・グラツィア・キウリの男女コンビ(現在は解散、ピエールパオロのみ留任)や、現在もトレンドセッターの位置にいるJil Sanderを手掛けるルーシー&ルーク・メイヤー夫妻、一番最近ではPRADAにおけるラフ・シモンズを招聘してのミウッチャ・プラダとの協業体制など、デザイナー職に男女二人を置くブランドも珍しくありません。

 

ジェンダーの多様性が謳われている現在、こういうことを言うのもナンセンスかも知れないですが、ファッションやバランス感覚においてセンスの良い人は男性よりも女性の方が圧倒的に多いように思います。

でも、豊富な知識量など、突き詰めるタイプのオタク気質な人は逆に男性の方が多いです。

ここにおいても大事なのはそのバランス感覚で、その両方の要素がどれくらいの割合で配合されているかによって「玄人受けもしつつ売れる」領域が存在します。

(僕個人的には、玄人寄りであんまし売れないけどしっかり継続できているようなブランドの方が好きですが)

お互いの強みをハイブリットさせる男女共同デザインというのは、浮き沈みが激しいモード業界で成功し続ける為にも理に適った戦略だと思います。

 

 

僕はsacaiは昔何着か買ったことがありますが、以前とはニッチさが幾分薄まった(その分爆発的に売れるようになった訳ですが)ように思える最近のsacaiは個人的には買いたくなるようなブランドではなくなりました。

これだからオタク気質のメンズは扱いが難しいです。

 

という感じの、sacai及び最近のモード界のトレンドへの雑感でした。

本誌はお店に置いていますので、ご興味のある方は待ち時間などにぜひご覧くださいませ!

Posted on 03.02.23

長年の顧客様がわざわざ(朝日)新聞のコレクションレポートの切り抜き記事を持って来てくださりました。

 

 

 

ファッション関係を専門でやってるWWDのレポートよりも余程知的でしっかりとした記事でした。

 

最近のWWDは、わかり易さやエンタメ性に振れ過ぎてて、専門誌なのにライト層向けという訳のわからないことになっているように思えます。

 

読者に(それも読者のレベルを低く見積もって)寄り添うような記事を書くよりも、WWDを購読することで読者が鍛え上げらていくような特集や記事をもっと書いてほしいです。

 

僕の考えが古いのかも知れないですが…

ヴァージル起用は理解できても、今回のファレル・ウィリアムス就任はさすがにルイ・ヴィトンの格的にもやりすぎではないかと思います。

 

 

 

オリンピックの総合演出で起用するとかなら楽しそうではありますが…

 

Get Lucky言うてる場合か。

 

 

Songs for Drella

2023.01.24.

Posted on 01.24.23

昨日のお休みは阪急電車に乗って塚口まで出向き、塚口サンサン劇場で上映されている映画『Songs for Drella』を観てきました。

 

 

塚口サンサン劇場は今回初めて行ったのですが、ローカルな駅にあるにも関わらずスクリーンも大きく立派で、とても素敵な映画館でした。

劇場の名前も良いし。

僕もV:oltaの店名を“堀江サンサン美容室”に改名したくなりました。

 

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本作『Songs for Drella』は、1990年に発表された音楽,映像作品の4K修復版。

元The Velvet Undergroundの二人の天才, ルー・リードとジョン・ケイルによる、1968年の決別以来21年ぶりに共演した無観客ライヴの記録映画となっております。

そして、『Songs for Drella』の“Drella”とは、The Velvet Undergroundを見出したポップアート界の天才, アンディ・ウォーホルを指します。

ウォーホル周辺のいわゆる“スーパースター”だったブルックリン出身の俳優,オンデュースによって考案されたそのあだ名は、おそろしいドラキュラと魅惑的なシンデレラを掛け合わせたものでした。

 

 

 

僕は、京都で開催されているアンディ・ウォーホル展には例え京都に行く予定があったとしてもついでに寄ろうとは考えないですが、この映画を観るためなら塚口まで喜んで出向くタイプの人間です。

そんな人間はこの共感万歳の時代に向いていないのは火を見るよりも明らかです。

 

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The Velvet Undergroundは、ニューヨーク生まれでシラキュース大学で詩人,デルモア・シュワルツの教えを受けたルー・リードと、イギリスはウェールズ生まれでクラシックと現代音楽を学ぶためにニューヨークにやってきたジョン・ケイルを中心に結成されました。

バンド名の由来はマイケル・リー著のSMなど性的なサブカルチャーを題材にした同名のペーパーバックから引用されました。

 

バンドはニューヨークのライブシーンで静かにその名を響かせるようになっていきます。

その評判を耳にして視察に駆けつけたのが、現代アート界のスターであったアンディ・ウォーホルでした。

ウォーホルは彼らの特異な才能をすぐに察知して、自らバンドのプロデュースに名乗りを挙げ、デビューアルバムのアートワークまで手掛けました。

そして1967年にデビューアルバム『The Velvet Underground & Nico』が発売されます。

しかし、当時では前衛的なそのアルバムはあまり売れませんでした。

別の問題として、バンドメンバー達も世間からアンディ・ウォーホルの愛玩物のような目で見られがちなことに対しても次第に反発を覚え、ルー・リードはウォーホルに決別を告げました。

同時にウォーホルが抱き合わせたニコとも決別した後、彼らは傑作セカンドアルバム『White Light/White Heat』を完成させます。

しかし、このアルバムのレコーディング中からリードとケイルはバンドの方向性について度々衝突するようになり、それはやがて感情的な対立となってしまいました。

ジョン・ケイルはこのアルバムを最後にバンドを去りました。

 

バンドはその後もアルバムを2枚リリースしますが、結局商業的には大きな成功を得ることなく1971年に解散してしまいます。

 

しかし皮肉なことに、この頃からヨーロッパを中心にThe Velvet Undergroundの人気は高まっていくことになります。

1972年には、リード, ケイル, ニコの3人による貴重なコンサートが開かれ、二人は久々に共演しました。

 

しかし、それ以降の二人はまた長くすれ違いの人生を歩みます。

そんな状況を変えたのがアンディ・ウォーホルの死でした。

 

ウォーホルの追悼会で久々に再会した二人は、共通の知人である画家のジュリアン・シュナーベルの提案もあってウォーホルを偲ぶ本作『Songs for Drella』の制作に向けて再び一緒に仕事をすることになりました。

 

説明が長くなってしまいましたが、これでもだいぶ端折った感じの(説明が下手ですみません)この作品が制作されるまでの経緯です。

 

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映像では、リードとケイルの間にはまだなんとなく関係のぎこちなさがあるのだろうなという微妙な緊張感が伝わってくるようでした。

 

 

同名アルバムの曲たちを通じてウォーホルとの関係や思い出が語られ、そしてそれはラストの“Hello It’s Me”へと紡がれていきます。

 

年齢を重ねた二人の姿もカッコ良すぎました。

ジョン・ケイルの衣装なんて、カール・ドライヤーの映画に出てくる登場人物のようです。

 

 

 

 

 

 

上でも少し書きましたが、The Velvet Undergroundのデビューアルバムは当時あまり売れませんでした。

ですが、そのアルバムを買った人はみんなバンドを始めたという逸話が後に残るくらい、作品は先進性があるものでした。

 

 

僕は思うのですが、それは成熟した今の時代においても同じなのじゃないでしょうか。

今の承認欲求全盛の時代において、当店がバズってるようじゃ、やはり本当に格好良いことはできていないのだと思います。

(実際バズってもないですし、思うほど格好良いことが現状できているという自信もそんなに無いんですけどね)

 

でも、当店にご来店いただいているお客様の中には、その時代に生きていればThe Velvet Undergroundのアルバムを買ったであろうなと思うような感性の方がたくさんいらっしゃいます。

僕は、そういった方々に認めてもらえること,選んでいただけることの方が、世間で人気が出たり商業的に成功するよりも余程大事です。

 

 

当初から通ってくださっている顧客様なら知っているかと思いますが、こんな当店でも当初はバズってしまっていた時期があったんです。

それは、僕の感性が未熟だったり技術不足だったりしたことで、自分の理想よりもその完成形が下回っていたからだと思います。

でも、それくらいの方が世間ではウケが良いんです。

 

今の場所に移転する際、店内を少し敷居が高く感じるくらい特別なものにしてもらいました。

引き渡していただく時に、内装を作っていただいた業者さんに「魂込めて作ったんで大切に使ってください」と仰っていただいたのを今も覚えています。そう言っていただけて身が引き締まる思いでした。

(今でも自分の技術は、この素晴らしい内装にまだまだ相応しくないレベルのものだと思っていますが、それでも移転する前とは比べ物にならないくらいには自分自身の技術もレベルアップしてきてると感じている部分もあります)

 

去年、NHKで特集されていた安藤忠雄さんのドキュメンタリーで、安藤さんが「今の建築物には魂が入っていない」と口にしたのを聞いた時、「自分たちのお店の内装には魂が入っているんだ」と思えて誇らしくなりました。

もちろんその空間に魂を与え続けるのは、そこで働く人とそこを訪れる人の感性や感情が大切だとも思っています。

 

これは大した話じゃないんですけど、でもちょっと自慢にできることでもあるし、別に僕だけ喜んでおけばよいので特にここでも書かなかったことなんですが、当店の取引先の方で安藤忠雄さんとお話しする機会があったという方が教えてくれたエピソードです。

その会話中、仕事の話になって安藤さんに「どんなところを担当してるの?」と聞かれた時に幾つかピックアップしてくれたお店の中に当店を選んでくださったみたいなのですが、当店のページを見せた時に「ここええやん!」と当店を褒めてくださったらしいです。

 

巨匠に褒めていただいて、僕も嬉しいです。

でも、美容室の中では、わかってくださる方には評価していただけることをやっている(目指している)自負は持っているつもりです。

 

まだまだ日本人は欧米の人の感性や考え方と比べると未熟な部分があると思っています。

V:oltaは、美容室という形式を通じて、日本人の感性を少しでも豊かにするようなことができたら、という密かな思いを持っています。

 

その為には、自分が一番頑張らないと、ということも重々承知しているので、これからも必死に頑張っていきます!

 

もう最後の方はヴェルヴェッツもウォーホルも全く関係のない話になってしまってすみません。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

 

 

味変

2022.12.08.

Posted on 12.08.22

大掃除のついでに、ディスプレイ棚をまた少し変えました。

 

 

 

当店のカルチャーにお詳しいお客様方なら、この棚にあるものの解答率がかなり高い方もたくさんいらっしゃるかと思います。

 

もし、何かわからないけど気になるのがあると言う方は、直接聞いてください!

 

今週号のWWDを見てもわかるように、先週はモード界におけるビッグニュースが2つありました。

 

 

アレッサンドロ・ミケーレのGUCCI退任と、ラフ・シモンズのシグネチャーの終了という、どちらもどちらかというとネガティヴなニュースです。

 

まずアレッサンドロ・ミケーレの方から書きたいと思います。

ミケーレは今から約8年前にGUCCIのデザイナーに就任しましたが、GUCCIでの歴史は実はもっと前からで、トム・フォードがデザイナーだった頃から参加しています。

今の若い世代の方は知らない方も多いと思いますが、トム・フォード期のGUCCIは当時モード界で最も輝きを放っていたブランドのひとつでした。

(僕自身は着たいと思うタイプのクリエイションではなかったですが…)

トム・フォード退任後は何人かのデザイナーを経てフリーダ・ジャンニーニという女性が長期間デザイナーを務めましたが、トム・フォードの頃から比べる(比べるのは酷かも知れないですが)とモード界のトレンドセッターの位置からはかなり距離が離れてきてしまっていました。

そんなジリ貧な状況にあってGUCCIに更なる試練が降りかかります。

 

当時のGUCCIのCEOだったパトリツィオ・ディ・マルコと、デザイナーのフリーダがほぼ同時期に退任することになりました。

二人は公私ともにパートナーの関係にありました。

GUCCIは、フリーダが退任した後の後任デザイナーを決められないまま、とりあえず次のコレクションはメゾンのデザインチームに任せました。

そのコレクションでデザインチームを牽引し、クリエイションを統括した人物がアレッサンドロ・ミケーレでした。

そんな所詮デザインチームの一員という立場であるのに、GUCCIの世界観を根底からガラリと変えるようなことをしでかしたのです。

 

 

今、ジル・サンダーのデザイナーを夫婦で手掛けているルーシー・メイヤーも、ラフ・シモンズが退任した後のDIORをデザインチームで手掛けた際の中心人物の一人でしたが、そのコレクションは良くも悪くも「まずまず」なものでした。

DIORはその後、ピエールパオロ・ピッチョーリと共にヴァレンティノ復興の立役者となったマリア・グラツィア・キウリをヘッドデザイナーに招聘しました。

要するに(特にビッグメゾンであればある程に)、デザインチームが手掛けるコレクションとは多くの場合、後任デザイナーが決定するまでの“つなぎ”のような役割にしか過ぎないのです。

 

そんな“つなぎ”のタイミングで、ミケーレは一世一代の挑戦をしました。

そしてデザインチームが手掛けたそのコレクションは、モード界の話題を大いに攫うに値するものでした。

 

GUCCIはそのコレクションの2日後、アレッサンドロ・ミケーレのデザイナー就任を発表しました。

ミケーレがGUCCIで行った一番の大仕事は、実はデザイナーに就任する前に既に成し遂げていたのです。

ましてや、LVMHと双璧を成すケリング・グループの最高峰ブランド,GUCCIにおいてそれをしたのだから尚更凄いです。

 

その後、GUCCIの売り上げは飛躍的に向上しました。

そんなGUCCIを窮地からトレンドセッターの座にまで押し上げた功労者,ミケーレが退任するまでの事態になったのには、やはり昨今の資本主義が加速するモード界の事情があったみたいです。

 

GUCCIの売り上げ規模を大幅に伸ばしたミケーレでしたが、就任から年月が経過したここ最近は、その成長性が鈍化していました。

僕なんかは、売り上げが落ちている訳でもないし、クリエイションが錆びてきている訳でもないんだから、それで十分じゃないかと思ってしまうのですが、昨今のラグジュアリービジネスはそれでは満足できないみたいです。

僕はアメリカよりもヨーロッパの文化の方が好きなのですが、モードにおいてもヨーロッパは商業性よりも伝統や文化を大切にしているなと思うようなメゾンがたくさんありました。逆にアメリカは売れたら伝統や文化なんて何でも良いというようなビジネス色が強い印象です。

ですが、昨今のモード界はヨーロッパまで超資本主義になってしまいました。

それがとても残念です。

 

もうひとつのニュースであるラフ・シモンズのシグネチャー終了は、そういった時代の変化の中でネガティヴな影響を受けた事象のひとつだと思います。

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ラフ・シモンズがモード界に登場し、たちまち大きな話題を攫ったのが90年代後半でした。

 

 

僕なんかもまだ高校生の身でありながらも、必死でバイトしてラフの服を買っていました。

その後、一時期は日本にも直営店まであったほどでしたが、それも無くなり、そして今回の事態となりました。

クリス・ヴァン・アッシュのシグネチャーなんかもそうですが、コアなファッション好きをターゲットにするようなデザイナーズブランドは今の時代、とても厳しいのかも知れません。

 

大阪に阪急メンズ館ができた頃は、僕もよく洋服を見に行っていましたし、行けば自分と同じようなモードが好きそうな人をよく見かけました。

今では客層がガラリと変わってしまったと思います。

リック・オウエンスやアン・ドゥムルメステール、ハイダー・アッカーマンなど、コアなモードファンが好むようなブランドの取り扱いも無くなりました。

その変化が今のモード界の縮図でもあると思います。

 

ラフに関しては、ミウッチャ・プラダから直々のお誘いを受け、今はプラダのデザイナーとしても活躍しています。

カルバンクラインのデザイナー時代は、経営陣との衝突から、商業性を求められるラグジュアリーブランドにおいてのデザイナー職には心底嫌気が刺した様子でしたが、自身と考え方の近いミウッチャ・プラダの元での仕事には満足し、現在はやり甲斐を感じているようにも見えます。

今はそこに全力を尽くしたいからシグネチャーは一旦終了する、というような決断の上であれば良いのですが…

 

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今GUCCIやPRADAを買っている人の中にはデザイナーの名前も知らないという人も多いのではないかと思います。

それは今、オシャレなイメージが爆発的にマス化しているメゾン・マルジェラにおいても同様のことが言えると思います。むしろ今のマルジェラ購入層ではGUCCIやPRADAよりも酷い結果が出そうです。

そんな中でも本当にブランドやデザイナーのことを理解して、“モードな買い方”をされている方も中にはいるんですけどね。

 

僕はずっとアメリカ大陸を占領された先住民みたいな気持ちです。

 

長々と書いてしまいましたが、これが今のモード界に対する僕の率直な意見です。

どこのブランドのものか誰にでもわかるようなものを身につけるより、「それどこのですか?」って興味を持って聞いてもらえるような洋服を身につけている方が、僕は素敵だと思います。

 

ヘアデザインにおいても、そういう感覚を大切にしています。

今のようなマジョリティ全盛時代に、当店のようなお店を成立させていただいているのは、同じような感覚を持ってくださってる顧客様のおかげです。

本当に感謝しております。

 

ラフのシグネチャーは終わってしまいましたが、V:oltaは末長く続けられるようにより一層精進いたします。

いつもありがとうございます!